不幸をもたらす労働【1】 | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

10月7日の フランステレコムを襲う自殺の波 、10月13日の フランステレコムを揺るがせた男 、10月14日の 【続】フランステレコムを揺るがせた男:理解されない数字 に多少関連する記事として、週刊誌 Le Nouvel Observateur 2009年10月1-7日(通巻2343)の記事を取り上げます。巻頭特集の冒頭の記事 Le travail qui fait mal (不幸にする労働、「不幸」の代わりに悪でも病でも当てはまりますが)という記事です。


Le travail qui fait mal 



うつ病、ハラスメント、自殺… ニュースは我々に、どれほど仕事との関係が不健全なものであるかが明らかになり得るかを思い出させる。社会生活の中心で、職業活動は自己実現の方法であるべきはずだ。なぜ、そしてどのようにして、それが悪夢になったのか?


タティアナTatianaは夫のレイモンRaymondが、毎晩ベッドで動き回り始めたときに、用心すべきだった。パソコンの画面のスイッチを入れるために起き上がり始めたときに。体重が減り、以前のように仲間と一緒に笑わなくなったときに。それが本当ではなく、全て上手く行っていて、きっと成功すると誓っていた。レイモンは結局、首を吊った。彼はルノーのデザイナーだった。ルノー、最初の警告。最初の意識化。9月の初めから、18ヶ月で24人にもなるフランステレコムでの、そして他の場所での自殺は、世論に殊更に反響する。時代の兆候として、(クリストフ・)ミオセック Christophe Miossec の最新の歌、『Chiens de paille (ダミーの犬)』は、従業員の苦しみに言及する。

「ホワイトカラーからブルーカラーまで Du col blanc au bleu de travail
それはいつも同じ闘いだ C’est toujours la même bataille
誰のために何のために働く Travailler pour qui pour quoi
どんな結果のために Pour quel résultat/
君が信じるのはどんな人生だ Pour quelle vie tu crois
僕はもうこんな人生に耐えられない Je n’en peux plus de cette vie-là
月末までに僕は力尽きるだろう。Je craquerai avant la fin du mois. 」


 非常に幸いなことに、仕事で不幸な状態にある人が全て自殺するわけではない。しかし不安はそこにある。産業医にも人間工学者にも認識されて。インターネットのサイトで共有されて。「パリの空港で、私の妻は次第に強くなる圧力に苦しんでいる。妻の上司は怒鳴り散らし(「私は犬にいるダニのように、君たちの上にいる」)、脅し、こぶしで叩く、今のところはテーブルを。… 私を信じてくれ、家に帰って来ると子供の前でも泣き出す妻を見るのはとてもつらい…」 確かに、「モラル・ハラスメント」の愛好者である、これらの倒錯した「小物の上司」が関わっている。しかしそれだけではない。およそ20年前からの仕事の組織化もまた、大いに関わっている。世界化によって生まれた度が過ぎた競争が、私企業でも公的機関でも、従業員にとって絶え間ない破壊的な激動を引き起こしている。どうしたら、フランステレコムの技術者が、50歳にして何の混乱もなく、オレンジの店舗の販売員に転換できるというのか?どうしたら、郵便物を配達することに慣れた郵便局員に、金融商品を売ることを要求できるというのか?企業は常にさらなる柔軟性を求める。常により多くの結果を。そして圧力下の従業員は、認知と展望の欠如への不満を言う。配置転換は苦痛に満ちている。そして、35時間労働制から歴史的な反資本主義まで、フランス的特殊性は、何も解決しない。

 経済学者フィリップ・アシュケナジPhilippe Askenazyが「カトリック諸国において歴史的に強い価値観」として持ち出すように、フランス人が他国よりも労働に強い愛着を持っているだけに、この問題はなおさら逆説的である。「アングロサクソンは自分の仕事に対してより功利的な関係を持っている」と、TNS-SOFRESの副部長、エリック・ショヴェEric Chauvetは分析する。「彼らにとって、仕事は何よりもまず生計の手段だ。フランス人にとって、はるかに情熱に関わる。」 その証拠に、フランス人は仕事に給料だけでなく、自己実現と喜びを求める… 「フランス人は仕事に余りにも多くの情動を置き過ぎる」と、IFAS(Institut français d’Action sur le Stress 直訳すると「ストレスに関する活動のフランス研究所」)の創設者で、精神科医のエリック・アルベールEric Albertは確認する。「職業の範囲での最終目的は効率だ。幸福、それは私生活だ。」 しかしフランスでは、仕事がなければ人は取るに足らぬものになる。ここでは他所よりも、仕事が地位と社会的威信を授ける。そのため、例え不幸でも、仕事を失う恐怖にとらわれて、誰もが仕事にしがみつく。フランス、失業率は記録を更新している。そのことに、凡庸な給与水準(欧州21か国中、第12位)と高い生産性を付け加えれば、企業内の満足度の国際比較でしばしば最下位近くになるフランス人従業員の不満の方程式が得られるだろう。「絶対的な恐怖は、失業することだが、絶対的な幸福は、退職して年金生活に入ることだ」と、エリック・アルベールは要約する。解決は?管理職に宛てた最近の手紙の中で、ラ・ポストLa Poste総裁、ジャン=ポール・バイイJean-Paul Baillyは新たな優先課題を提示している。「危機の過酷さに、マネージメントの過酷さが加わってはならない。それは日常の行動に、目標探知の質と人間尊重に、現れてくるに違いない。」 よし見ていろ!


1 - Peu d’actifs, beaucoup de pression 

(少ない人員、多くの圧力)

 「怠惰よ、こんにちは Bonjour Paresse 」、2004年、EDFのパート勤務だった茶目っ気のある精神分析家、コリーヌ・メイエCorinne Maierがこう主張し、アメリカの新聞の一面を飾った。なぜなら、大西洋の向こう側では、そして我々の隣国にとって、フランスは何よりもまず、「人々が余り働かない幸せな国 pays-heureux-où-les-gens-travaillenti-si-peu 」であり続けているからだ。それでは、庭いじりやテニスに割くために、週に一度の午後を35時間制から勝ち取った快楽主義のフランス人か?この美しいフィクションの背後で、現実は全く反対である。「しばしば信じられていることとは逆に、年間の労働時間、1600時間は、欧州の平均に留まっている」と、IDHE Cachan の研究者で、社会学者のジェローム・ペリスJérôme Pélisseは念を押して言う。我々の月並みな見方を再検討しよう。我々は近隣諸国の人々よりも少なからず働いている。我々の生産性、別の言い方をすれば、仕事における労力の強度は、世界でも最も高い方に属する。さらに、生産活動はたった一つの年齢層に極度に集中している。25歳から45歳に。「我国は恐らく、労働年齢が最も制限された国だろう。若年者は話されたままであり、高齢者は長い間、退職するように奨励されてきた。」 この生産年齢人口に、あらゆる圧力がかかる。それは35時間制によって顕著になった。「(35時間制が)雇用を創出しなかったとき、企業は同じ仕事量をより短い時間に配分することで満足した」と、ジェローム・ペリスは確認する。オブリ法lois Aubry以来、我々はまた、週間労働時間の柔軟性のチャンピオンクラブにも加入した。アメリカ合衆国よりも前に!35時間制が認めた労働時間の年次化は実際に、企業がその必要に応じて週間労働時間を自由に調整することを許した。従業員にとって、それは大変な制約である。「私は、かつては時間外労働を拒否する自由があると感じていて、今はいつでも働くことを要求される、ある工場の女性労働者のことを思う」と、ジェローム・ペリスは付け加える。ときには乏しい収入のために、多くのストレス、精神、組織の少ない自由。一部の経営者はボルトを再び締め、一分毎に計算するためにこの機会を捉えた。経済学者フィリップ・アシュケナジは『les Désordres du travail (労働の無秩序)』で、約束された4時間の自由時間のうち、休憩、着替えの時間が一度でも中断されれば、繊維産業の女性労働者が、最終的に、1時間30分しか得られなかったことを思い出させている。そしてジェローム・ペリスが結論付ける。「RTT (réduction du temps de travail、労働時間短縮)は、最も弱い従業員の労働条件を悪化させた。」 

 どうすべきか? 我国に関しては、若者を参加させることで国民の活動率を上げなければならない… そして、法的な定年退職の前に、「年齢措置」の犠牲になることが多すぎる、五十代の職歴の最後を改善して。鍵は、特に学校・企業の相互移動を利用して若年者の養成を改善することと、能力の改善(職業訓練)によって高齢者の雇用可能性を保つことである。


2 - Les conditions de travail négligées

(顧みられない労働条件)

 労働はまた、言葉の真の意味で、病人にしている。「フランスで、工場と事務所の健康が無視されてから1世紀以上になる」と、経済学者で『 Bas Salaires et qualité de l’emploi : l’exception française ? (低賃金と雇用の質:フランス的例外?)』の共著者、フィリップ・アシュケナジは確認する。職業病、労災に関して、我国は西洋世界の最も出来の悪い生徒の一人である。特に身体の弱点となる、有名な筋骨格障害(他を引き離して第一の労働疾患)はかくして、過去数十年間に4倍に増加した。アメリカでは990年代初頭から、ドイツと英国では2000年代初めから、減少してきたにもかかわらず。フランスの遅れのリストから、さらに引用しよう。国際労働機関の推奨から13年も遅れて、1947年に職業病として認められた珪肺症、あるいは近隣諸国の大部分より数十年遅れて、1996年にようやく禁止された、石綿の使用がある。国家、労使、専門家、公的機関・・・ 全てが問題を無視しているように見える。最後の意味のある法的な前進は1982年に遡る。このときは特に、オルー法lois Aurouxによって衛生、安全と労働条件に関する委員会が創設された。大統領選の主要候補の政策案において、このテーマに関してはいくつかの線しかなかった。そしてニコラ・サルコジが当選してからは、ほとんど何もなされなかったようなものだ(2008年5月に、当時の労働相グザヴィエ・ベルトランXavier Bertrandに提出された社会心理学的危険に関する報告書を除いて。そしてこれがやや強制的な監視所に通じるはずだ)。「フランスでは、失業と雇用の問題が労働の健康に優先し続けている」と、フィリップ・アシュケナジは要約する。はっきり言えば、仕事を得る機会に恵まれているなら、不満を言ってはならない、ということである。

 どうすべきか? 我々の近隣諸国で企業が反応するのは、保険会社(米国)か、労働市場において強い立場にある従業員(ドイツと英国)の圧力によってである。職員を有能で良好な健康状態に保つために、企業はより良い労働条件を提供してきた。


3 - Responsables et paniqués

(責任者とパニックに陥った者)

 フランスの労働者が、工場であれ事務所であれ、多くの疑問を抱えすぎずに任務を成し遂げていた時代があった。ときに辛く、しばしば反復的であっても、その任務には枠がはめられているという利点があった。その時間割は規則的で、勤労者はただ一人の上司だけに従い、職業生活を通じて、同じ同僚とだけ接していた。この単調で、孤独だが安心できる実行者としての生活が、定年退職まで静かに流れ去っていた。「“栄光の30年” (Trente Glorieuse) の間、企業の務めは従業員を保護することだった」と、社会学者のフランソワ・デュピュイFrancois Dupuyは念を押す。「顧客は、どうでもよかった。」 ところが、競争の乱入がゲームのルールをひっくり返す時代が来た。「従業員の必要よりも前に顧客の欲求を考慮しなければならなくなった」と、フランソワ・デュピュイは説明する。費用を減らし、需要にすぐに応えるために、企業は従業員に仕事を「豊かにする」ことを提案した。チームで仕事をし、より自律的になり、より「多価値」になり、仕事の手段を現代化することを。アプリオリにより興味深い仕事、したがってより自己実現できる仕事である。それに伴うストレスをすぐに忘れることでもあった。チームでの仕事?「必然的に葛藤を生む」とフランソワ・デュピュイは言う。「自動車会社のプロジェクト・チーフがDRHのオフィスで毎晩泣いているのを見たことがある。それだけチームの管理は苦痛を伴うのだ。」「課題に応じて勤務時間と仲間を変えるために、勤労者は結局、より孤立していると感じるようになった」と、フィリップ・アシュケナジは続ける。垂直だった階層は水平に、したがってさらに曖昧になり、指示はときに矛盾したものになった。多価値性にも裏側がある。「それは、他の作業を実行するために一つの作業を頻繁に捨てることを前提としている」と、アシュケナジは記す。それは時には、物理的に危険でさえある。彼は続ける、「ある商店で倉庫担当者の手が既にふさがっていたら、売り場のチーフが自分で売り場を整理し、在庫を見に行き、操作の間違いを起こして頭に段ボール箱が落ちてくるということが起こり得る。」 新技術もまた、不安の元だった。「バーコードが導入されたとき、倉庫係がストライキを起こした」と、ストレス専門のコンサルタント、エリック・アルベールEric Albertは語る。「客観的には、バーコードは作業を容易にし、彼らは商品を手に取る必要がなくなった。しかし、変化が不安定にするものだという事実を、誰も考慮しなかった。企業は、心理的ブレーキを乗り越えることを助けなければならない。」

 どうすべきか? 各従業員を企業に結びつける道徳的契約はくまなく見直されるべきである。企業はもはや、従業員に生涯にわたる保護を保障できない。したがって、労働市場に有効な切り札を、特に採用時から交渉される教育を、提供すべきである。




Eve Roger, Sylvain Courage, Véronique Radier, Nathalie Funès

Le Nouvel Observateur 2343 1-7 OCTOBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2343/dossier/a409903-le_travail_qui_fait_mal.html


次回 不幸をもたらす労働【2】 に続きます。

フランス語を勉強している割に、フランス人と話す機会がなかった(フランス語検定2級の二次試験以来)私にとっては、ここに記されたフランス人の「労働観」というのが、意外に思えました(失礼)。

現在の日本の、不機嫌な人間を生み出すためにあるとしか思えない、一部の職場(具体例を挙げるのははばかられますが、私有化されるのか見直されるのか分からない、某公社など)のように、労働が苦痛であり、給与が苦痛の対価でしかないような状態に陥るはるか前、仕事は給与をもたらす以上に何か価値があるものでした。つい最近までのフランスと、どこか似ていたような気がします。

もっとも、労働者も消費者になるし、消費者もまた労働者であるという、よく考えれば当たり前のことが無視されているかのようなどこかの国では、労働環境の悪化ははるかに早く進む可能性があり、まともな対策が取られる可能性ははるかに低いと思われますが。