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> コペルニクスとガリレオの功績の違い 確かに質問の趣旨が今一つ、はっきりしないですね^^; コペルニクスもガリレオも、当時信じられていた天動説から地動説への転換を唱えた人。 同じような功績とも言える。 コペルニクス:1473~1543 ポーランドの人(父親:独、母親:ポ) 聖職者 - 僧侶そのものではなかったが、教会の参事職で、まあ、教会の管理職の立場。 1543年、天下に有名な!『天球の回転について』を出版、地動説を公にする。 ガリレオ・ガリレイ:1564~1642 イタリア・ピサの生まれ、主に、パドヴァ(ヴェネツィア共和国)で活躍。 キリスト教の教義に取り込まれていたアリストテレスの自然学(運動論と天動説)に反論。 ・ 等時性の発見(振り子時計) ・ 慣性の法則の発見(地球が動いているなら、なぜ、人はよろめかないか、に対する論証) ・ オランダで発明されたばかりの望遠鏡を改良し、史上初めて(肉眼ではなく)望遠鏡での天体観測を行った人 ・ 太陽の黒点を発見(望遠鏡による観察) ・ 木星の衛星の発見(ガリレオ衛星)(望遠鏡による観察) ・ 土星の輪の発見(望遠鏡による観察) 業績と云うことでは、ガリレオの方が幅が広いのでは。 ----- Repeat ... コペルニクスもガリレオも、当時信じられていた天動説から地動説への転換を唱えた人。 天動説は、当時、キリスト教の教義に取り込まれていて、 それに反することを唱えるのはキリスト教の教義に反すること - つまり、異端となる。 異端者と宣告されるとお墓を作ることも許されず、お経(?)もあげてもらえない。 二人とも、(当時の)キリスト教の教義に反することを唱えた。 ガリレオは宗教裁判を受けた。 コペルニクスはお咎め無しだった。 (「天球の回転について」は、後に、閲覧禁止になりましたが ...) この違いは何なのでしょうね。。。。???? コペルニクスは、「天球の回転について」の出版には、非常に慎重だった。 不用意に発刊した時のインパクト - 自分に降りかかるであろう不都合は充分承知していた。 彼の没年は 1543年。 「天球の回転について」の発刊は 1543年。 つまり、彼の没年に同書は発刊された。 慎重に、慎重を重ね、-- ただ、自説を断念するのではなく -- 没年に発刊された。 彼は、火の粉が降りかからないように慎重を期した。 1582年。 ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦が行われますが、 彼の存命時のローマ法王から、当時、ずれが生じていた暦の改正について意見を求められています。 コペルニクスは言う; 数学的(幾何学的)に、地球中心図形から太陽中心図形に変更が可能。 このように地球中心から太陽中心に図を置き換えると、図式は簡単になり、 天動説とは別の解釈もできる。 言外に、... 決して、ローマ教会の教義に反することを主張しているのではなく、 あくまで、方便として、技術的に、このような理解も可能で、このように見た時、 図はシンプルとなり、改暦の技術的方便として、このような見方もあると ..... コペルニクスは、彼の生まれ故郷である、ポーランドのカラカウの町で亡くなった。 遠くローマを離れていた。 ローマ教会も、結果として、その重大さを認識していなかった。 ----- 一方、ガリレオの場合は違っていた。 彼はローマ教会のお膝元にいた。(同じ、イタリア人だった) 更に、彼は、自分の信ずることをストレートに表現する論争好きだった。 彼が、当時の最新の -- ハイテク装置である -- 望遠鏡を使って発見した事実は、 全て、地動説を裏付けるものばかりだった。 当時、ローマ教会は「免罪符」なる「まがい物」を売っていた。 莫大な利益があった。 ガリレオはこれに批判的だった。 教会が言っていることは、常に、正しくはない。 アリストテレスの自然学、プトレマイオスの天動説、それを取り込んだローマ教会のスコラ学派の天動説。 --- ガリレオは、性格としての論争好き故に、彼の信ずる「真実」(そして、それは、今日の真実なのですが)を主張した。 --- 彼は、甘かったのかも知れない。 彼は、彼の発見の事実、太陽の黒点・木星の惑星をもってすれば、人は納得するだろうと考えたのかも知れない。 .... しかし、世の中の「しがらみ」はそう単純ではなかった。。。 彼は、宗教裁判を受けた。 そして、敗訴した。 相手は、ローマ教会だ。 国を相手にした訴訟と同じだ。(この場合は、教会が起訴した) ガリレオの晩年は不遇だった。 決して、裕福なる年金生活を送ったのではなかった。 (もちろん、彼の生活は保護されたのですが、これは、例えです) ===== > コペルニクスとガリレオの功績の違いなんですか? 私なら、こう答えます。 コペルニクスは老後のことを考え、お上に楯突かなかった。 おバカさんのガリレオは、自分の信ずることを言った。 結果として、彼の老後を棒に振った。 ===== 私は、コペルニクスもガリレオも、その功績に於いて違いはないと思いますが、 「おバカさんのガリレオ」の功績の方が大だと思います。
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