昨日の朝日新聞朝刊(12/15)34面を興味深く読んだ。
がん放置大丈夫?のタイトルで、ベストセラー「医者に殺されない47の心得」を
出した近藤誠医師(※1)に勝俣範之医師(※2)が反論している。
なぜ興味を持ったか。それは6年前、54歳で亡くなった私の妹が二人の医師に
診てもらっていたからだ。

妹は乳がんが見つかって以来、近藤先生に心酔し、誰の勧めも退けて、
手術をしない道を選んだ。そして、どんどん悪化し、国立がん研究センターの
勝俣先生に診てもらった頃には手遅れに近かった。
骨と皮のようになった妹が、
「お姉ちゃん。近藤先生を訴えた方がいいと言われている」
と言った時、私は止めた。
「人を恨まず、怒らず、笑い飛ばしていたほうががんに負けないよ」
そう言うと、「うん、そうだね」そう言って妹は死んでいった。

医学的知識は私にはほとんどない。
ただ、身近に乳がんになった人が多くいて、その全員が妹のような
初期の乳がんの場合、手術をして、みな10年、20年経ってピンピン
しているのを見ると、なぜ妹は近藤医師の言う通りに「放置」して
しまったのか、悔しくてならない。
妹が選んだ先生であり、妹が選んだ道だといわれればその通りだし、
近藤医師のやり方で元気になる人もいるだろうが、一般的には、近藤医師だけを
信じず、早期にセカンドオピニオンを求めたほうがいい気がする。
がんと言われただけで不安になり、手術を想像するだけで
恐怖感をもつ人もいる。
本物ではなく、がんもどきだと言われてほっとし、
自覚症状がないなら、何もせず放置してもいいと医師に言われれば、
当然安堵するだろう。
妹も、自覚症状はなく、ピアノも弾けるし、油絵も描けるし、
近藤医師の診断に人生を委ねる方が心地良かったのだろう。

妹が亡くなった年、私は民主党東京都連の会長職にあった。
国会の仕事も多忙を極めていたが、党職として都知事選の候補者を立て、
無所属とはいえ、その候補者を勝たせなければならなかった。
毎日のように帰宅が夜中という日が続く中、一人暮らしの母が発狂した
ようになり、ホテルに入れ、叔母に付き添ってもらっていたが、
救急車でホテルから病院に運んだのは都知事選公示の前夜だった。
朝5時に帰宅し、9時に都庁前に出かけたことを今でも覚えている。
それから1ヶ月の入院期間、妹は母を心配して見舞いに駆け付けたが、
歩くこともままならず、車椅子だった。
その3ヶ月後、妹は逝ったのだが、それはまた参院選の真っ最中で、
夫がいるのに、私に病室に泊まってほしいという妹の願いを
聞いてやることができなかった。
20年前に国会議員になってから、娘にも母にも妹にも迷惑のかけ通しだった。
妹が乳がんになった初期に、もっと親身に話を聞いてやっていれば、
妹は近藤医師にあれほど心酔せず、がんを放置せず、手術を受けて
治っていたかもしれないと、毎朝線香を立て彼女の写真に手を合わせながら
後悔する私である。

※1 近藤誠医師
1988年に慶應義塾大学専任講師の肩書きで論文「乳ガンは切らずに治る」を『文藝春秋』に発表。
癌の放射線治療を専門とし、乳癌の乳房温存療法を勧める。「がんもどき理論」を提唱し、安易な手術に警鐘を鳴らし、「放置」を勧めることもある。

※2 勝俣範之医師
2010年独立行政法人国立がん研究センター中央病院 乳腺科・腫瘍内科外来医長。
2011年より、日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授。専門は腫瘍内科学、婦人科がん化学療法、がん支持療法、がんサバイバーケア。がん薬物療法専門医。

第65回はここまで。
次回は12月24日に。

vol.65 「もしガンになったら」