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にゅーよーく・なっつ。

アメリカ在住20年以上なのに英語ヘタクソな私の英語論・断絶編

 私がアメリカに来て、ちょうど22年。なのに、なのに、英語ヘタクソな私。

 今回は、そんな私が自分のリーチできる範囲内で、英語について語ってみようと思います。

 本題に入る前にひとつお願いがあります。

 こういう英語論を書くとですね、すぐに英語エリートの皆さんがすっ飛んで来て、英語学習法等についてガタガタ言い出すんですが、今回は英語エリート軍団は引っ込んでてほしい。英語ヘタクソ組だけで話させてくれ。すまない。

 英語エリートたちに引っ込んでてほしい理由は、読んでいけばわかると思います。

 

━━━私の英語力

 英語と言っても、聴いたりしゃべったり読んだり書いたりなど範囲が広いんだけど、今回は「聴いたりしゃべったり」の部分に絞って話をします。

 ではまず、私の英語の実力について。

 私の英語力をひとことで言うなら「サバイバル英語」でしょうな。アメリカで生きていくための最低限の英語力。

 英語を「聴いたり」の部分に関しては、日常生活は何とかなるし、映画も観れるし、ラジオも聴ける。でも100%はわからないのよ。「なんとなく」わかる。その「なんとなく」がすごくポイントなんだけど。

 でも「しゃべったり」のほうが問題デカいね。英語の発音が悪いのよ。自分でも惚れ惚れするぐらい。

 NYだったら私の発音を理解してくれるアメリカ人も多いんだろうけど、いま住んでるのNJだからね。私の英語の被害者続出。まわりのアメ人、みんなわかんないよ。で、何回も言わないといけないわけ。シマイには言おうとしてる言葉の綴り言ったりして。お互いいい迷惑よねえ。

 

━━━何万回夫婦喧嘩しても伸びない英語力

 ちなみにうちのかさんはアメ人。日本語はまったくしゃべれないから、かみさんとはすべて英語。もちろん夫婦喧嘩も英語なの。

 かみさんと知り合って20年以上になるけど、これまで何万回喧嘩したか。ここまで喧嘩して離婚しない夫婦ってマジで珍しいと思う。アメリカの中でもトップクラスの喧嘩数を誇る夫婦ってわけね。

 しかしながら、英語で何万回夫婦喧嘩しても、私の英語はちっともうまくならないの。「いつも負けてるからだよ」というツッコミが聞こえてきそうなんだけど、これが結構勝ってるのよ。半分以上は私の勝ち。なのに英語はぜんぜんうまくならないってどういうこと? 自分で書いてて腹立ってきた。

 

━━━身体能力としての英語

 そろそろ本題に入りましょう。

 私はこれから「身体能力」としての英語について語ります。つまり「足が速い」とかと同じような意味での「英語がうまい」ね。頭がいい悪いじゃなくて、筋肉や五感の使い方としての英語。

 皆さんご存知のように、私たち人間の中には、生まれつき「足が速い」人たちがいますね。

 と同時に逆の立場の人たち、つまり「足が遅い」人たちも当然存在します。

 「足が遅い」人たちは、練習すれば少しは上達します。でもオリンピックやハイレベルの競技会に出ることはまず無理。なぜなら、己の肉体がそういうふうにできてないからね。

 要するに私が言いたいのは「英語にも同じことが言えるのではないか」という点。「聴いたりしゃべったり」に限定するなら、英語を効率よく習得・上達するための身体能力としての「耳」と「舌」を備え持っていないのではないか、と。

 私の20数年間の英語人生を振り返ると、どうしてもそう考えざるを得ないんです。

 

━━━エリートとヘタクソの断絶

 たとえば、オリンピックに出るレベルの選手は、「足が遅い」人たちの「できない」感がまったく理解不可能だと思うんですね。

 一方の「できない」人たちも、エリートたちの「できる」感が想像もつかない。「なぜそんなにうまくできるの?」「私たちと何がそんなに違うの?」って感じ。

 そこにはものスゴい断絶がある。

 一番わかりやすいのが、日本のバラエティ番組『アメト--ク』の「運動神経悪い芸人」でしょう。あれを見れば、「できない」人たちとの断絶感がよくご理解いただけると思います。

 このコラムの最初に、私が英語エリートたちに「引っ込んでてくれ」と言った意味が、ここでおわかりになりましたでしょうか。「できる」人たちには到底わからない「できない」感っていうのがあるのよ。

 ここで私がフォーカスしてるのは、あくまでも「身体能力」ね。頭がいい悪いじゃなくて。そこ、大事だから。

 己の身体の一部がうまく機能するか、あるいは自由自在に操作できるのか。

 「聴いたりしゃべったり」に関して言えば、「耳」と「舌」ってことになる。

 確かに、言われてる言葉を聴き取ったり、ある言葉を発音するためには、それらの言葉を記憶しておく必要があるんだけど、それはまた別の話。

 

━━━断絶の向こう側に

 こういうこと言うとですね、「努力や工夫が足りない」というツッコミが入るんです。でも、たとえば「足が遅い」人に普通そんなこと言います?「足が遅い人は足が遅い」。社会的にはそういう認識じゃないですか?

 英語の場合、言語ということもあって「頭」を使うというイメージがあるせいか、「努力や工夫でなんとかなる」的な思い込みがあるんですけど、私はその部分をスゴく疑ってるんです。もっと身体能力的というか、「足が遅い」に近いんじゃないかと思って。

 20年以上アメリカに住んで、毎日かみさんと英語で喧嘩して、それでも英語がヘタクソな己を考えると、どうしてもそこに行ってしまうんですね。

 そこでこのコラム(シリーズ化決定)では、その「できない」感を世の中に投げてみようかと思いまして。特に英語が「できる」人たち、断絶の向こう側の英語エリートたちに投げてみたい(ただ、しばらくは引っ込んでるように)。

 でも勘違いしないでほしいんですけど、私が言いたいのは「英語ができない人間はもう諦めろ」という意味じゃないからね。

 逆よ、逆。

 私ぐらい英語ヘタクソでも、アメリカで20年以上生き続けてるわけです。そこにあるのは「絶望」ではなく、「可能性」

 では次回の「地獄耳編」でまたお会いしましょう。