「戦場に行ったこともない奴が語る愛国主義には吐き気がするよ」 オリバー・ストーン監督に聞く戦争と歴史

アメリカを代表する社会派映画監督のオリバー・ストーン氏がこの夏、はじめて被爆地の広島・長崎を訪問した。かつて「原爆投下が戦争を終わらせ、日米両国の多数の人命を救った」と信じていたストーン監督だが、いまでは「『原爆投下は正しかった』というのはアメリカが創作した神話であり、トルーマンという凡人によって引き起こされた悲劇」だと断言する...
Akihiro Chishiro

アメリカを代表する社会派映画監督のオリバー・ストーン氏がこの夏、被爆地の広島・長崎を初訪問した。かつて「原爆投下が戦争を終わらせ、日米両国の多数の人命を救った」と信じていたストーン監督だが、いまでは「『原爆投下は正しかった』というのはアメリカが創作した神話であり、トルーマンという『凡人』によって引き起こされた悲劇だ」と断言する。

今回の来日は、アメリカン大学歴史学部准教授のピーター・カズニック氏とともに制作したドキュメンタリー『The Untold History of the United States』のPRを兼ねたもの。日本ではNHK-BS1で放送されている。

アメリカ現代史の「負の部分」に焦点をあて、覇権国家の誕生から二度の世界大戦、アメリカ同時多発テロ、オバマ大統領の誕生まで、世界に影響を与えた外交政策の問題点と背景を膨大な資料や関係者への取材で浮かび上がらせた。トルーマン大統領をはじめとする歴代の権力者たちへの厳しい批判もあり、従来の「英雄的なアメリカ史」に正面から挑む内容となっている。

ドキュメンタリーは国内外で大きな反響を呼び、書籍化もされた。日本でも今春、日本語版の『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』が早川書房から出版され、売れ行きも好調のようだ。

広島・長崎への訪問を経て東京に滞在中のストーン監督とカズニック准教授にインタビューをし、被爆地を訪れた感想や日本人の歴史観などについて話を聞いた。

(広島平和記念資料館を見学するストーン監督とカズニック准教授 2013年8月6日、広島市)

■はじめて被爆地を訪問した感想は

ストーン氏:

被爆者から直接聞いた原爆投下後の惨状、それは想像を超えるものだった。完全に破壊された街で救いを求めてさまよう人たちの姿、瀕死の重傷を負った人たちであふれた病院。熱線で焼かれた肌からは毎日大量の血が噴き出し、包帯も役割をなさない。まさに「カオス」そのものだ。

しかし、一番ショックだったのは、当時の日本人がそのような被爆地の現実をほとんど知らなかったということ。軍や政府による報道統制やプロパガンダもあっただろう。被爆者たちは自分たちがどのような状況にあるのか教えられることなく、誰かに知ってもらう術もない完全な闇の中にいた。

終戦後でさえ、被害の実態把握や救済組織ができるまでに10年もかかっている。被爆者の一人はこの時の心情を「私は苦痛とともに孤独に耐えていた」と表現している。被爆者たちの怒りが社会を動かすには、1954年3月に起こった「第五福竜丸事件」まで待たなければならなかった。

■被爆展示が「衝撃的すぎる」として内容を変える動きもあります。一方で、過去にあった出来事を直視しなければならないという意見もある

カズニック氏:

日本では、子どもたちが遠足や修学旅行などで広島・長崎を訪れ平和学習をするという伝統があるが、年々、訪問者数は減少傾向にある。しかし、それは日本だけの現象ではない。アメリカ・ワシントンD.C.にある「ホロコースト・ミュージアム」も同様だ。訪れる子どもたちへのショックを考慮するという理由で犠牲者の写真や資料などの展示が減らされているのだ。将来を担う子どもたちが過去の歴史を知ることはとても重要であり、この問題への対処は真剣に考えなければならない。

ストーン氏:

広島・長崎の資料館の充実ぶりには驚いた。あのような施設がアメリカにも必要だ。

カズニック氏:

アメリカには日米戦争についての資料館はほとんどない。オハイオ州・デイトンの空軍博物館に長崎に原爆を投下したB-29「ボックスカー」の機体と原爆のレプリカが展示してある程度だ。

ストーン氏:

長崎で「岡まさはる記念長崎平和資料館」に立ち寄った。私設の資料館だが、戦争で日本軍が関わった「加害」に関する写真や証言など多くの展示があり非常に感銘を受けた。

戦争中、シンガポールやベトナム、マレーシアなどアジア太平洋地域で日本軍が何をしたか。慰安婦の問題もあるし、中国や朝鮮の人たちを強制労働に駆り出したことも事実だ。日本の軍人が笑みを浮かべながら人間の首を切り落としている写真を見たことがある。彼らにとっては「男らしさ」の証明だったのかもしれないが残酷すぎる。私もベトナムで普通の人間が残虐性を増して行く光景を目の当たりにした。

日本にも「まだ語られていない歴史」がたくさんあるだろう。戦争被害の実態とともに加害の事実にも関心を向けなければいけない。

■戦場での経験が「社会派映画監督」を生んだ

War and Conflict The Vietnam War. pic: 1967. Dak To, South Vietnam. American soldiers looking tired and exhausted during the costly fighting for Hill 875. (Photo by Rolls Press/Popperfoto/Getty Images)

ストーン監督はエール大学中退後、21歳の時に志願兵としてベトナム戦争に参加している。米陸軍歩兵部隊や空挺部隊などに所属。1967年9月から1968年11月までの15ヶ月間、戦闘の最前線にいた。その時の体験をもとに制作した映画『プラトーン』はアカデミー賞作品賞、監督賞など多くの賞に輝き、ベトナム帰還兵の苦悩を描いた『7月4日に生まれて』もアカデミー賞監督・編集賞を受賞した。

どちらの映画も戦場のリアリティにこだわり人間の残虐性を描くことで、敵味方関係なく心身に大きな傷を負うこと、そして戦争が決して「勇ましくかっこいい」ものではないことを訴える。

■ストーン監督が徹底して歴史の真実と権力批判にこだわるのは、ベトナム戦争での経験が影響しているのか

ストーン氏:

それは間違いない。私はウォール街で働く父を持ち、ニューヨークで生まれ育った。極めて保守的な人間だったが、ベトナム戦争で価値観が完全に変わった。80年代にレーガン政権がベトナムと同じようなことを南米でしようとしたとき「政府は信じられない」と確信し、積極的に批判をするようになった。90年代になると『JFK』や『ニクソン』など、さらに政治的に踏み込んだ映画を作った。2008年には当時現職だったブッシュ大統領を批判する『ブッシュ』を作った。

戦場経験がある人間とそうでない人間では戦争に対して明らかな考え方の違いがあると思う。みんなが戦争のことを正しく理解できるとは思わないが、より注意深くそのことを考える必要がある。アメリカでは、第二次世界大戦でもベトナム戦争でも帰還兵と国内にいた人の間で何度も摩擦が起きた。戦争に行っていたものは理由なく「殺人者」とか「異常者」とみなされ批判された。

アメリカの上院には、ベトナム戦争で北ベトナム側の捕虜となって監禁・拷問などの地獄を味わったジョン・マケイン(John Mccain)と一度も戦争に行ったことがないのに他国への軍事介入に熱心なリンジー・グラハム(Lindsey Graham)という対照的な二人の議員がいる。彼らの考え方の違いを比べてみて欲しい。後者のような人間が語る「愛国主義」は吐き気がするほど不快だ。うんざりするよ。

カズニック氏:

イラクやアフガン戦争で話題になった「チキンホーク(Chicken Hawk)」という言葉がある。自分は戦争から逃げ続けてきたのに、戦争や軍事介入を積極的に支援する人たちのことだ。ブッシュやチェイニーが典型だろう。彼らは自分たちが避け続けた戦場へ若者たちを送り出し、危険にさらしている。

■日本は第二次大戦以来、戦争をした経験がない。そのことが歴史観に影響を与えているという考えもある

ストーン氏:

私たちが来日した理由の一つがそれだ。日本人にも現代史をこれまでとは違う視点から見て欲しいという思いでこのドキュメンタリーを作り、各地で話をしている。日本にもこのような種類のドキュメンタリーや歴史書があるのだろうか。

カズニック氏:

今回の訪問に非常に多くのメディアが注目していることは、歴史を違った視点から見るということへの関心が高いことの現れだろう。日本人にも「Untold History of Japan」を書いて欲しい。私たちはそれを待っている。日米関係はほかに類のないほど密接な二国間関係だ。血塗られた歴史もあるがそれを超えた強い絆を持っているのだから、お互いに歴史を語りあうべきだ。

■ストーン監督は「日本人はなぜ反戦・反核にもっと積極的にならないのか。声を上げる政治家もいない」と指摘した

(「第17回ハヤカワ国際フォーラム」で語るオリバー・ストーン氏 2013年8月11日、千代田区内幸町のイイノホール)

ストーン氏:

第二次世界大戦後、日本ほど急速に「アメリカ化」した国はなかっただろう。マッカーサー将軍の上陸以降、アメリカ製の車や電化製品などがなだれこみ日本のライフスタイルは一変した。その時、日本人は自らの「個性」を保つことを意識したのだろうか。私は映画監督として、黒澤明や小津安二郎、溝口健二らが作品に込めた「日本人の精神性」や「宗教観」を尊敬している。そのようなものはまだどこかに残っているのか?

カズニック氏:

私の大学にも日本人学生がいるが、アメリカ人に比べればおとなしい印象がある。それは他人よりも目立つことで注目されることを恐れ、衝突を避けようとする国民性が影響しているのかもしれない。自由な意見を出そうと試みる人もいるが、社会的圧力がかかることもある。極端な例としては、1980年代から日本軍が太平洋戦争で犯した戦争犯罪についての議論が始まったが、長崎市長が天皇の戦争責任に言及したことに反感を持った右翼団体の幹部に銃撃された事件などがある。

70年代くらいまでは安保運動など激しい体制批判の動きもあったが、いまの日本社会では右翼や左翼を問わず際立った活動をしたり、歴史観を打ち出すのは難しいのだろう。

■ソーシャルメディア全盛の時代にどうやって歴史を伝えていくべきか

ストーン氏:

ハフィントンポストがソーシャルメディアを活用していることは私も知っているし、若い人たちがより簡単に効率よく情報を得る手段としてそれを選ぶことも理解できる。ニュースを深く知ることよりも、断片的でもいいからなるべく多くの情報を効率的に得たいという傾向があるのだろうか。

私も昔は新聞や本よりもテレビが好きだった。その経験から言えることはいつの時代も誰にでも「真実を知りたい」という信念があるということだ。情報を得る媒体は変わってもその信念は変わらないと信じている。私たちが作ったドキュメンタリーは全部で10のエピソード計12時間もある。万人受けしないかもしれないが興味がある人にはきっと響く内容だと思う。

カズニック氏:

日英両言語で本が出ているし、映像もある。一番親しみやすい方法でこれまで語られなかった歴史に触れてもらえたらうれしい。

■オリバー・ストーン (Oliver Stone)

1946年、ニューヨーク生まれ。アメリカの映画監督・脚本家・映画プロデューサー。ベトナム戦争に従軍した後、ニューヨーク大学で映画を学ぶ(指導教官はマーティン・スコセッシ)。『プラトーン』『7月4日に生まれて』でアカデミー賞監督賞を二度受賞。ほかにも『ウォール街』『JFK』『ナチュラル・ボーン・キラーズ』などの作品がある。

■ピーター・カズニック (Peter Kuznick)

1948年、ニューヨーク生まれ。アメリカン大学歴史学部准教授、同大学核問題研究所長。主な著書に『原発とヒロシマ』『冷戦文化の再考』『広島・長崎への原爆投下再考』(いずれも共著)などがある。『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』では脚本を担当。1995年から立命館大学とアメリカン大学が共同して学生たちを広島・長崎に引率するプログラムの責任者を務める。

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