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【裁判記録は誰のものか】「これは国民の知る権利の問題です」

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

すでに無罪判決が確定している事件の取り調べの状況を録画したDVDを、NHKに提供したのは証拠の「目的外使用」(注1)だとして、大阪地検が弁護人を大阪弁護士会に懲戒請求した問題。同会に所属する刑事弁護のベテランら有志が「支援団」を結成し、DVD提供の公益性を訴えることになった。一部メディアを除いて、熱心に報道されているとは言い難いが、当の佐田元真己弁護士は、「まさに報道の自由、国民の知る権利の問題なんですよ」と語る。検察が、国民に知られたくなかったものとは何なのか…。

DVDに検察ストーリーと矛盾する供述が記録

「これは国民の知る権利の問題」と語る佐田元弁護士
「これは国民の知る権利の問題」と語る佐田元弁護士

DVDに収録された映像の一部が放映されたのは、4月5日。夜の関西地方のみに流される報道番組「かんさい熱視線」で、この日のテーマは「”虚偽自白”取調室で何が」だった。同番組は、これまでも冤罪や検察を巡る問題を積極的に取り上げてきた。この日は、取り調べの可視化などを論議している法制審議会特別部会の委員であり、映画『それでもボクはやってない』の周防正行監督をゲストに、北九州爪切り事件(注2)と大阪誤想防衛事件(注3)が取り上げられ、被疑者の供述とは異なる調書が作成されている現状を伝えた。

佐田元弁護士は、誤想防衛事件で弁護人を務めた。提供したのは、被疑者だった男性Aさんが、傷害致死罪で起訴される直前に受けた検事の取り調べを録画したDVD。その大半は、検事が作成を終えた調書を読み聞かせ、Aさんがその1枚1枚に指印を押す状況を録音録画したものだった。調書では、兄弟げんかの際、Aさんは弟の隙を突いて背後に回り込み、首に左腕を回し、その腕を右手でつかんで力一杯、約3分間首を絞めた、と書かれていた。

調書作成が終わり、検事がいくつかの事実を確認。その中で、こんなやりとりがあった。

検事「(弟の)首を絞めるということになってしまった」

Aさん「なってしまって…。結果的にそうなってしまった。はい」

この発言は、調書の内容とは明らかに矛盾する。重要な、しかし検察が組み立てた事件のストーリーには合わない言葉を、検事は聞き流した。

裁判では、このDVDが法廷で再生された。現場にいた母親の証言、Aさんが救急車を呼ぶために電話をした時の録音など、他の証拠も照らし合わせ、裁判所は調書には信用性がない、と判断。弟の暴力はAさんが奥歯を折るほど激しいもので、Aさんが押さえ込もうとしたのは、身を守るための正当な行為だったと認定。誤って妥当な程度を超えてしまったものの、Aさんには首を絞めている認識はなく「誤想防衛」だったとして、無罪とした。検察は控訴を断念し、判決は1審で確定した。

NHKかんさい熱視線が報じた取り調べ場面
NHKかんさい熱視線が報じた取り調べ場面

NHKの番組は、DVDに映った検事や検察事務官、Aさんらの顔はぼかし、音声も変えたうえで、検事が調書を読み上げたる場面の一部や「結果的に」とAさんが語る部分などを放送した。この番組の素材は、クローズアップ現代で放送することになっており、ゲストには村木厚子さんを招く予定だった。しかし、それは「延期」となった。検察が激怒していることを知った局内の報道担当者などから、懲戒請求などで佐田元弁護士に不利益が及ぶなどとして”慎重論”が出たため、と報じられている。

だが、その”自粛”は無意味だった。むしろ、NHKが引いたことで、佐田元弁護士1人が検察の矢面に立たされることになってしまった。

証拠は「検察官のもの」ではない

ーー検察からは何らかのアクションがあったのですか?

4月17日に、大阪地検刑事部の検事から電話がありました。いきなり「DVDをNHKに提供したんですか」という不躾な質問だったので、「電話で話せるようなことではない」と言って、19日に私の方から検察庁に出向きました。無視していれば、家宅捜索や逮捕される事態も考えられました。刑訴法では、弁護士も開示証拠を提供して「対価」を受け取っていれば罪に問えます。私は対価は受け取っていませんが、強制捜査はそういう「疑い」だけで可能ですから。

1時間くらい、すべて正直に話しました。NHKの番組の趣旨に賛同したこと。そして、取り調べの可視化の問題は、僕ら法律家にとってはポピュラーな議題だが、本来はもっと国民的な議論にならなければいけない、ということ。国民の大多数は取り調べを受けたことはなく、取り調べがどういうもので、なぜ可視化がどうしても必要なのか、なかなか実感を持ちにくいはずです。再現ドラマではなく、現実の取り調べがどういうものか、見ていただく必要があると思った、という意見を述べ、議論になりました。

ーー検察官はなんと?

以前より広い範囲の証拠開示を認めるようになったのは、弁護士との信頼関係に基づくもので、この信頼関係を無視する行為ではないか、と言っていました。今回の懲戒請求書にも、「検察官は、弁護士を信頼し、証拠開示を行っているものである」として、私がDVDを提供したことで「弁護士に対する期待・信頼を大きく失墜させる」と書かれています。

こういう主張の根底には、証拠が「検察官のもの」であり、弁護士には信頼関係に基づいて特別に見せてやる、という発想があります。そもそも、その発想がおかしいんです。証拠は「検察官のもの」ではない。国民の共有財産です。特に、本件では裁判は終わっており、審理への影響はない。ならば、国民の知る権利を考え、こうした証拠を含めた記録には、国民がアクセスできるようにすべきです。しかし、こういうことを話しても、検事からはスルーされてしまいました(苦笑)。

話を終え、「また何かお願いすることがあるかもしれません。そうなったら連絡します」と言われて検察庁を出た後、何も連絡はありませんでした。懲戒請求も、検察庁からは何も知らされていません。

調書はどのように作成されたのか

ーー誤想防衛事件での取り調べや調書作成は、どのようなものだったのでしょうか。

大阪地検
大阪地検

Aさんは、ものすごくまじめで、弟思いの方です。奥歯を折るような激しい暴力を受けたとはいえ、弟を死に追いやってしまったということで、自分を責めていました。捜査段階でも、無罪になりたいとも思っておらず、本人は刑務所に行くつもりだったんです。殺すつもりはなかった、ということ以外、何を言われても反論しようとか、自分の立場をよくしようという意識はない。被疑者ノートを差し入れても、1行も書かない状態でした。私は何度も、道義的な後悔と刑事責任は別だということを説いて聞かせなければなりませんでした。

しかも、体の大きい弟を取り押さえようと夢中だったので、自分の行動も断片的にしか覚えていませんでした。捜査官から「こうだったんちゃうか」「ああだったんちゃうか」と言われれば、「そうかもしれませんね」と答える。そうすると調書では、本人の記憶にはまったくないことが、あたかも本人が細かく語ったように書かれていくんです。

3分間首を絞めていた、という供述を巡っては、こんなことがありました。検察官に対して、お母さんが「そんなに長くはありませんでした」と説明しても納得してくれない。目の前で3分も兄が弟の首を絞めていれば、お母さんは止めますよ。それでも、検察官から「息子さん(Aさん)は、3分間絞めたと言っています」と聞かされ、やむなく「じゃあ、それでいいです」と言ったんです。そうしたら、お母さんの調書も「3分間絞めていた」ということになりました。

でも、Aさん本人から3分なんて言っていません。なのに、取調官から「3分以上絞めないと人は死なない」と説明され、「じゃあ、3分なんですかね…」と。最後の検察官の取り調べでも、「最大で3分」「1分から3分」と述べていましたが、「最大で」「1分から」は調書に反映されませんでした。

検察官のストーリーに沿った調書が作られてしまう。大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、隠蔽したとして上司が逮捕された時、「最高検のストーリーには乗らない」と言っていると報道されましたが、検察というのは日頃からストーリーに沿った調書を作っていくように指導されているんでしょうね。今回の誤想防衛事件でも、検察はストーリーを作っています。

こういうことがあるから、可視化が必要なんです。取り調べの体験がなく、その実態がよく分からないのは、国民の皆さんだけではありません。裁判官も同じです。裁判官には、自分が「分かっていない」ことを分かって欲しいと思います。でも、そういう裁判官が調書の任意性や信用性を判断するんです。だからこそ、可視化が必要なんですよ。今回のDVDは、わずか30秒のやりとりから、取り調べの真実の断片を見ることができました。とはいえ、長い取り調べの、ほんの欠片しか見えていません。可視化は全面的に行わなければなりません。

ーー判決は無罪。それも1審で確定しました。

これは、本当に不幸な事故でした。本来、犯罪として起訴してはいけない事件だったんです。誤想防衛の可能性は、検察官が当然検討すべきでした。なのに、それをした形跡がありません。警察は、構成要件レベルの判断でいいが、こうい法律的な判断をするのが検察の仕事。それをやっていない。捜査段階で私が「起訴すべきではない」と言っても、検察官は「人1人が死んでますからね」と言い放つだけでした。

報道の使命はどうした

ーーこの事件は検察の問題点がいくつもをあって、DVDはそれを考えるきっかけになりますね。

しかも映像の真実性が説得力を持っています。これを再現ドラマにしたら、すごく嘘っぽくなり、見た人も「ふ~ん」で終わってしまいかねません。実際に放送された番組を見て、国民の皆さんに見ていただいた判断は間違っていなかった、と確信しました。

ーー本当は、全国の国民に見てもらうはずだったのに、NHKは「クローズアップ現代」での放送を見合わせたままです。

私は、国民の知る権利、報道の自由の重要性を考えて提供しました。にも関わらず、もし最後まで放送しない、ということになると、NHKはその重要性を理解していない、ということになってしまいます。報道機関の使命はどうしたんだ、という気がします。

それに、番組では北九州爪切り事件も取り上げられています。この事件で逮捕された看護師さんは、虐待をしたように大きく報じられていました。(クロ現で)全国放送されれば、彼女の名誉回復にもなる。その部分だけでも、早く放送してあげて欲しいと思います。

公益性を考えるべき

ーー刑事訴訟法の「目的外使用禁止」の条項をどう思いますか?

開示してあげる代わりに、「目的外使用禁止」を入れる、というのがおかしい。そもそも「見せてやる」という発想がおかしい。基本的には、すべて開示するのが当然。検察は何を持っているかを明かさない中で、弁護人が「こういう証拠があるはず」と推測して請求しなければならない。トランプゲームじゃあるまいし、真実の発見が第一義の裁判でこういうことは許されないはず。その後のことは、法律ではなく、弁護士の倫理規定で拘束すれば済む話。「目的外使用禁止」がまずいのは、関係者の名誉を毀損したり、捜査への支障があるからでしょう?そういうのがない限り、弁護士の判断に任せるべきです。

ーー検察は、とかく名誉毀損やプライバシー侵害の「おそれ」を強調します。

今回のことで言えば、NHKからは顔にはマスキングをすると聞いていました。本人やお母さんの了解も取れている中、いったい誰の名誉が毀損されるんですか?

弁護士が誰かに見せるとしても、誰にでも見せる、というわけではありません。相手がどういう人で、どういう事項が書かれている書面かなどを検討し、問題がないかを確認します。しかも、今回のことは、明らかに公益性があると思います。

この事件は、裁判は終わっており、もっぱら国民の知る権利や報道の自由の問題ですが、冤罪事件などでは支援者に記録を見せることも必要な場合があります。弁護人だけでなく、いろんな人の頭で考えると、アイデアも湧いてくるものです。そういう場合は、被告人や再審請求人を弁護するために、様々な人の知恵を借りながら証拠を検討する必要があります。それが報道されたとしても、裁判は法廷に出された証拠のみで判断するわけですから、影響が出るはずがない。それで、いったいどういう弊害があるんでしょうか?

(注1)刑事訴訟法281条第4項は、被告人や弁護人、またはそういう立場だった者は、裁判準備のために検察官から開示された証拠を、利用してよい裁判手続きが列挙し、「(それ)以外の目的で、人に交付し、又は提示し、若しくは電気通信回線を通じて提供してはならない。」としている。裁判員裁判の導入に伴って、迅速で効率的な審理のための公判前整理手続きが行われることになり、以前より証拠開示の範囲が広くなったが、その一方で、弁護士らの行動を縛るこの項目が付け加えられた。

(注2)2007年6月、北九州市内の病院で、看護師が認知症の高齢患者の足の「爪を剥がした」と内部告発があり、福岡県警が女性看護師を傷害容疑で逮捕。看護師の虐待事件として大きく報道された。看護師は起訴され、1審は「爪切り自体に楽しみを覚えていた」などとする捜査段階の供述調書を元に有罪判決を受けた。2審では、寝たきり老人の肥厚、変形した爪をケアする正当な看護行為だったことが認められて無罪となった。この事件でも、密室で作成された自白調書が問題になり、高裁判決は信用性を否定した。無罪判決は確定し、北九州市も虐待の認定を撤回した。詳細はこちら

(注3)2010年9月、大阪市で実弟(当時38)と自宅2階で喧嘩になったAさんが、背後から首に腕を回して首を絞めて殺した、として殺人容疑で逮捕された。殺意はなかったとして、傷害致死罪で起訴されたが、裁判員裁判で行われた大阪地裁の判決は、Aさんの行為は、弟の暴力を封じようとする防衛行為だったと認め、誤って相当な程度を越えてしまった「誤想防衛」だとして、無罪とした。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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