棚木城(能登町・旧能都町)
長景連と長連龍の戦いで知られる棚木城
2011年08月19日
棚木城は、能登守護畠山義統の次男棚木左門が築城したと伝えられます。
天正5(1577)年、能登に侵攻した上杉謙信は、七尾城を攻略すると棚木城も上杉軍が攻略します。そして、正院川尻城に長景連(黒滝長氏)を配置し奥能登を統治させます。
しかし天正6(1578)年、謙信が死去し「御館の乱」が勃発すると、景連は織田信長に通じた三宅長盛・温井景隆等の旧畠山氏家臣団の攻撃を受けて越後に退却しました。
天正10(1582)年、越中魚津城で織田軍と対峙していた上杉氏は、長景連等を宇出津に上陸させ棚木城を占拠させましたが、前田利家が急遽与力の長連龍を棚木城に派遣し、降伏を勧告しました。
しかし、景連は拒絶したため、連龍は激戦の末、棚木城を攻略し景連は討死しました。景連の首は安土の織田信長の元に送られました。利家は捕虜を釜煎りにするため、中居の鋳物師に大釜の鋳造を命じています。景連の佩刀「丈木の太刀」は前田利家の所蔵となりました。
棚木城の跡は現在は半島全体が遠島山公園として整備されています。
公園整備のため遺構はあまり残っていませんが、上杉軍が城を攻撃した際、水を絶たれたため米を坂から流し、水があるように見せかけたものの鳥が群がり、事が露見したという伝説が残る米流し坂などが残っています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.7.22
住所: 石川県鳳珠郡能登町宇出津イ112-5
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