マニュファクチュール・ポートレート

ラング&ハイネへ ようこそ

2000年という大きな変わり目を目前に控え、自分の時計を初めて設計したのは、ライフプランに基づいたものというよりむしろ気分的なものでした。私のディテールへの愛着とこだわりは理想主義としてよく笑われたものです。当時は自分の構想から十年後、二十年後にささやかながら成功した企業が生まれるなどとは思いもしませんでした。今日、私は時代の追い風に乗れたことをとても嬉しく思っています。

私たちの仕事において中心にあったのは常に、時計やムーブメントやディテールであり、また同時にできる限り多くの部品を最高の品質で自ら製作するという課題でした。

ブランドとしてラング&ハイネが成長した過程は驚くほど順調で、むしろ結果は後からついてきました。これにより成功を収めた世界中のいわゆる「独立系」の時計師と結び付いています。
時計のコレクターや愛好家は私たちの理想主義を高く評価し支えてくれました。まさにこの信念こそラング&ハイネのすべての時計に備わる高い品質と究極的な価値の源であることを理解しているからです。

 

 

 

 

ここでは私たちのマニュファクチュールとコレクションをご紹介しています。私たちと情熱を分かち合い、どこまでも願いを追い求めていきましょう。

熱意から生まれる 時計作り

マルコ・ラングは1971年に代々伝わる時計師家系の5代目として生まれました。彼は、すでに幼少の時期から父ロルフ・ラングの従事する時計師としての姿を見て成長しています。その父は長年ドレスデンの数学・物理サロンの主任修復時計師として、世界で最も価値があるコレクションの1つといわれるサロンの時計と精密機械の管理、修復を行っていました。

幼少の頃からのフィリグリー(銀線細工)に対する情熱は、彼が最初に身につける基礎知識として金属加工の技術を目指すことになりました。彼は、グラスヒュッテにある精密機械・金属加工の専門学校を3年間で卒業します。この時計の歴史と伝統ある地で、マルコ・ラングは、時計師としてのインスピレーションを磨き続けます。

ドイツ統一を経た後、マルコ・ラングは引き続き修行を続けるため北ドイツで著名な時計師、イーノ・フレスナーのもとを訪れます。この時期、彼はフレスナーの下で職人修行に没頭し、とりわけ精密振り子時計の製作に深くかかわるようになります。7年の修行期間を終え、そして「マイスター」の資格を手にしたマルコ・ラングは、故郷ドレスデンへと舞い戻り、特別注文時計の製作と修復、復元、調整技師として自身の店舗を開きました。伝統ある家系と最高の家庭環境で育ったマルコは、しばらくすると、ドイツの時計収集家たちの間で名を馳せるようになります。

2001年の初頭、マルコ・ラングは見習い時計師の中でもピカ一に光る原石ミルコ・ハイネと知り合いました。そうして志を同じとする2人の時計師が出会い、共同で時計工房「LANG&HEYNE」をスタートさせます。

そして1年後にはすでに、ラング&ハイネの最初の2つのモデル「フリードリヒ・アウグストⅠ世」と「ヨハン」がバーゼル・メッセで発表されました。小さな時計工房では考えられないほどの契約が集まります。2002年夏、ミルコ・ハイネは工房から去り、自身の道を歩みだしましたが、これから先も時計工房ラング&ハイネの名前どおり、2人
の天分に恵まれた時計師が作り上げた根本理念は変わることがなく、工房の名はドレスデンの精密時計と同義となりつつあります。

マルコ・ラングは、独立時計師としての道を邁進します。2003年末には時計工房兼、時計販売店であった店舗を売り払い、時計の製作と創作のみに専念できる環境を作り上げています。需要の拡大とともに、チームも成長し、今日では非常に意欲的なLang & Heyneのチームには15名のウォッチメーカー、CNC技術者、エングレーバーが在籍しています

ドレスデンの閑静で緑豊かな住宅地にラング&ハイネの工房は2010年から新たな居所を見つけています。静かで時間のゆったりと流れる環境で、ラングは格別な時計職人の仲間とともに時計製作を行っています。芸術作品ともいえる時計の一本一本は、彼自身の手作業によって仕上げられ、工房を離れます。

会社の創設者マルコ・ラングは5代目の時計師で、大半の部品をマニュファクチュールで自ら製作していることにこだわりと誇りを持っています。ラング&ハイネの時計作りにおいては、針やケースやムーブメント部品の設計・製作からフィニッシュにいたるまで、素材を美しく機能的に加工するためにはスタッフの卓越した技量と知識が欠かせません。ラング&ハイネは、もはや失われつつあった工程と技術に新しい息吹を吹き込みました。

ラング&ハイネで働く時計師たちは、もちろん彼らの生み出す芸術品を完成させることに最も大きな喜びを感じています。しかし、価値の分かる時計愛好家たちと伝統的な時計師による芸術品に対する感動を分かち合えるのであれば、それに優る研磨仕上げの検査 喜びはありません。

左 : 温度管理が徹底されたパーツ保管庫 | 右 : 特別なハンド・エングレービングのための工具

AHCI

3年間のメンバー候補者としての暫定期間を経て、マルコ・ラングは自身の時計にかける創造性が認められ、2005年より国際独立時計師の機関AHCI の正式メンバーに登録されています。この閉鎖的で時計芸術と創造性を持つものだけに開かれたクラブのメンバーとして、ラング&ハイネの時計工房は大きな責務を感じ、品質、創作能力、時計師とし
ての能力において世界最高のレベルの舞台で評価されることを名誉として受け入れています。

歴史の源

左 : ヴェッティン家が輩出した君主が描かれた「君主の行列」| 右 : ツヴィンガー宮殿内 王冠の門(Kronentor)
ドレスデン旧市街の風景
左 : ドレスデン新市街の夜景 | 右 : ドレスデン ゼンパーオーパーのコンサート・ホール

ドレスデンは夢であり多くの訪問者にとってドイツで最も美しい町と言えるでしょう。
ここにはエルベ渓谷の空気が満ち、川に沿って湿地帯が広がり、斜面にはワイン用のブドウが熟し、人はヴィラから果てしない広がりを眺めます。800年以上の歴史を誇る旧市街の中心部では、貴族ヴェッティン家の9世紀からの宝物が、ドレスデン城とバロック様式のツヴィンガー宮殿で公開されています。宝物館には無数の時計職人、宝石・金細工師の傑作が輝いています。
16世紀の選帝侯アウグストⅠ世は神業ともいうべき機械仕掛けの傑作を製作した工芸職人たちをドレスデンに移らせました。後継者もそれを踏襲し、ドレスデンはヨーロッパにおける文化と美術工芸品の一大中心地となったのです。
大きな産業としての時計マニュファクチュールは19世紀に入りザクセン地方エルツ山地のグラスヒュッテに生まれています。
これに対してドレスデンの時計職人マイスターは、主に高度に洗練された個々の作品や小さなシリーズ作品を特別な顧客のために製作しました。

この伝統をラング&ハイネは受け継いでいます。職人が精魂を込めて手作業で製作する最高の品質を誇る小さなシリーズの時計、それがラング&ハイネの時計です。

    Write us*


    Send us a short note or suggestions.

    * Your message remains confidential and is not published.


    If you wish to get a reply, please leave your e-mail-address here: