片姫神社の祭り | 羽黒神社宮司のブログ

片姫神社の祭り

片姫神社は明治43年に森腰地区の氏神「潟姫宮」と、粟津地区の氏神「十二之宮」の二社が合併・合祀されて、以降両区全体の氏神様なのですが、秋祭りだけはそれぞれのお神輿にそれぞれのご分霊を招いて、9月11日に豊玉姫命が森腰地区、9月12日に少彦名命が粟津地区を渡御し、氏子はもちろん、お神輿もお道具一式もまったく別々に行われている特異な形態を今にのこしております。

鳥居の前には大幟(おおのぼり)が二対立てられておりますが、これも森腰・粟津それぞれの氏子が一対づつ立てるのが習わしです。

渡御は、11日の森腰地区が奴振り道中で、12日の粟津地区は切籠(キリコ)祭りで、それぞれまったく違った形式です。
が、12日は残念ながら、今年は渡御中止となってしまいました。



奴振り(やっこふり)は、嘉永6年に藩主前田斉泰公が能登を巡見した折に、住民が大名行列を模して出迎えたことに始まります。



お神輿は、まず最初に神社に隣接する天崇寺へ渡御します。

このお寺は、もと片姫神社の別当(神社に奉仕する僧職)が置かれたところで、まずこのお寺の住職が参拝してから氏子区域を巡幸する取り決めがあります。

この後、この日予定している15軒の氏子さん宅へお神輿がお立ち寄り。
 

一軒一軒庭先で奴振りの舞を披露してからお神輿が入り、神事を執り行います。

まあ、ハッキリ言いまして、

メチャメチャ体力を使うお祭りです(;^_^A

先導を行く太鼓山。
 

翌日の新聞にも掲載されていましたが、途中、91歳の古老が太鼓打ちを披露されて、名人技を披露されましたヘ(゚∀゚*)ノ
 
カッチョイイですね~♪

実は渡御が行われるのは3年ぶりなのですが、前回も前々回も雨祭りで、今年のように晴天のお祭りは久しぶりです♪
 



途中、森腰浜に鎮座する恵比寿堂にお立ち寄り。

このお社は霊験あらたかであるとして、たびたびご神体が盗難に遭い、その都度、ゑびす本宮西宮神社より新たにご分霊を勧請したといいます。

この、森腰の祭礼日の11日も、この恵比寿様のえびす講から由来していると考えられています。

暗くなっても神事は続きます。






氏子の家々では、「よばれ」といわれる、親戚縁者を招いての祝宴が行われていて、時折我々もご相伴に預かります。
 

暑い日でしたので、ビールが美味かったですね~♪


還幸は午前0時過ぎ。

神社までの道のりを、お神輿が行きつ戻りつ行ったり来たり・・・
 
「寄り戻し」というもので、神様が「まだ氏子の地にいたい」ということを表現しております(^^)


最後に、鳥居前にご神火が焚かれ、お神輿の火渡り神事。
 
その年の稲の藁を焚き、魔を焼き祓って、ご神威が生まれ変わる、「再生」の儀式であります。





お神輿が無事拝殿に入ってから、御霊(みたま)遷しの儀、還幸祭をご奉仕し、帰宅したら、午前1時過ぎ・・・これでも以前から見れば随分早いです(;^_^A


翌12日は同じ片姫神社で、粟津地区の氏子が集まり、午後2時から秋祭りを齋行。

前日からお手伝いしている長女ですが、もちろん祭典のみで、渡御は出ておりません。

12日は渡御は中止になりましたが、祭典後に地区の集会場に移り、みんなで直会(なおらい)となりました。
 

来年はぜひ、力を合わせて立派なお祭りにするぞ~っという誓いを立てつつ、

古老による太鼓打ちの披露がございました(^^)
 
祝宴は夜遅くまで続いたようですが、私と助勤のH宮司はお先にタクシーで退散し、


私はそのまま、次女と一緒に、獅子舞とキリコ笛の練習指導のため、羽黒神社へ。

なんか無茶苦茶なスケジュールでございます(x_x;)

しかし、


元気な子供たちを見ていると、コチラも元気をもらえるというものです(^^ゞ

でんこでんこでんこでんこ・・・


さ!

明日から、地元、正院地区のお祭りでございますっ!(`・ω・´)ゞ