■患者に寄り添い半世紀
新潟水俣病が公式確認された昭和40年から患者を診察しているのが、木戸病院名誉院長(新潟市東区)の斎藤恒(ひさし)氏(84)だ。今も週2回は診察する斎藤氏。常に患者に寄り添う姿勢に、周囲からの信頼も厚い。損害賠償訴訟にも関わり、進まない救済策に憤りをみせる。
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《沼垂診療所(同市中央区)の所長だった40年春、新潟大に有機水銀中毒患者が入院していることを知ったのが新潟水俣病と関わるきっかけだった。公式確認前だったが、阿賀野川の堤防沿いで釣りをする人の姿を見て、身震いを覚えたという》
「患者の症状は手足のしびれ、足がつる、耳鳴り、難聴などが多い。視界の脇がぼやけ夕方は車を運転できない人が多い。食べ物をかむと舌や頬の内側をかむ、嚥下(えんげ)障害で水をごくごく飲めないといった症状もある。子供の頃に発症して、記憶力が低下し算数の九九を覚えられない人もいる」
「新潟水俣病第1号患者は今も2カ月に1回は来院する。両方のつえで少し歩ける程度だが、畑で寝転びながら野菜を作っている。それが長生きをさせているんだ」
《現在の患者は第2、第3世代が中心だ。認定患者もいるが、認定申請を棄却された人や水俣病特別措置法で一時金を受け取った人が多くなっている。かつては月200人くらい、今でも140~150人を診察するという》
「胎児性水俣病の女性が印象に残る。話せない、歩けない、運動も不活発で2歳になっても首が座らなかった。だが、新潟女子短期大にいた金田利子さん(現静岡大名誉教授)が『こういう人こそ義務教育をやらせたい』と協力してくれて、女性は高校まで進学した。今はパソコンを使い、買い物もする。講演会も行う。教育は非常に大事だと教えられた」
《半世紀たっても、新潟水俣病の実態が理解されにくいことを実感するという》
「一見、普通の人と違いが分からないから、世間ではなかなか認められない。悪口をいわれたり、いじめられたり、からかわれたりしている。筋肉のつりを抑えたり、手のふるえを抑えたりする薬もできて、症状は改善されているが…」
《当初から患者の救済運動に参加し、新潟水俣病共闘会議の前身組織で初代議長を務めた。今年3月、新潟水俣病3次訴訟判決では、原告7人を水俣病と認めたが、国と県の責任は否定。判決後の記者会見では「国際的にも笑いものになる」と憤った》
「阿賀野川の魚を食べて生活する人たちが知らない間に、毒を流した大きな犯罪だ。熊本の水俣病発見から9年経って、どうして同じ種類の工場排水から、世界に類のない悲劇が2回も起きたのか。国会でも水俣病が問題になっていたが、対策を立てなかった。これでいいのかと思う」(市川雄二)