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旧唐松駅■そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト2014 (8)

2015年01月03日 01時11分11秒 | 展覧会の紹介-現代美術
(承前)

 このシリーズが2カ月余りも中断したままだったのを忘れていた。
 あと少しなので、手短に書いて、けりをつけたい。

 宝水ワイナリーはかなりの混雑で、筆者は何も買わず、ソフトクリームも食べずに、道道へと車を戻した。
 そして、道道岩見沢桂沢線に入る。
 この道路を走るのは初めてだ。三笠に行く時はいつも、幾春別川の北側にある道道岩見沢三笠線を通っているからだ。
 岩見沢三笠線は、三笠まで4車線あり、路線バスも往来する。まっすぐ行けば、市役所などがある三笠の中心街へ達する。いわば、三笠へのメーンルートである。

 しかし、旧国鉄幌内線は、幾春別川の南岸を通っていた。
 こちらのサイドにも、いわゆる幌内地区以外にも市街地があるのだ。うかつにも、気づかなかった。
 旧産炭地では、市役所のまわり以外にも大きな集落がある場合が多い。なりたちを考えれば、当然のことなのだが。



 旧唐松(とうまつ)駅舎は、道道沿いにあった。

 改札口と駅の入り口の間、駅舎の中央に、今村育子さんの「光の入口」が置かれていた。
 透明なコップに水を入れた、シンプルなインスタレーション。

 周囲の風景を静かに写しこむ水を見ていると、かつてのにぎわいが見えてきそうな気がしないでもない。



 ところで、幌内線の廃止が1987年であることを思えば、実によく手入れされて保存されている(これは旧朝日駅なども同じ)。

 地元の方々による、息の長い管理と手入れに、頭が下がる。




 昔の写真なども展示されていた。
 
 説明によれば、唐松とはアイヌ語ではなく、この近くで木を切り出していたか、炭を焼いていた「藤松」さんの名に由来する「藤松沢」から来ているそう。住友の炭鉱が開かれる際に「唐松」となり、駅名もそれに倣ったという。




 さて、最終目的地の旧住友奔別炭鉱まで、あと少しだ。

(この項続く) 


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