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 『週刊ダイヤモンド』今週号(1月23日号)に於ける私の「発言」について 2010年01月19日

『週刊ダイヤモンド』Twitter特集(1月23日号)については、編集部の清水さんがわざわざ取材に来てくれたが、本意が伝わっていないので、補います。


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私の発言は、60頁~61頁に引用括弧付きで次のように纏められています。

「フォローする人を間違えなければ、検索をかけなくても特定の話題に関するトレンドがはっきりと理解できる。タイムラインの本質はそこにある」。

●第一の間違い。「フォローする人を誰にするかよりは、フォロー数が重要、特に100名以下ではTwitterの面白さはわからない」とは発言したが、「フォローする人を間違えなければ」とは言っていない。

フォロー者が重要というのであれば、たぶんミクシィの「マイミク」設定やRSSの登録をどうするか、というのと同じ悩みをTwitterも持つことになる。結局Twitterは属人的ということになる。

しかし、そういった「選択」や「検索」にそろそろ人々は飽きてきた、あるいは疲れているというのが、Twitter(あるいはTwitter現象)に人々が関心を寄せている大きな理由。

「選択」や「検索」という主題主義的な情報処理、それは諸情報を積分的に丸める、傾向化するということだが、こういった傾向性分析、傾向性的アプローチは、結局のところ、知的で専門的な主体を必要とする。〈検索〉というのは、〈選択〉(例えば「人生の選択」「クルマの選択」「冷蔵庫の選択」といった)が難しいのと同じように、高度に知的な行動なのである。

Twitterにおけるフォロー者は、実はどうでもいい。なぜなら、選んだ途端に、その人は日常的で月並みなことを(をも)言い始めるから。

これはダイヤモンド社編集部の清水さん自身が言っていたこと。「たぶん、自分を選んでくれた人は、私がダイヤモンド社の記者だから、ジャーナルな発言を期待してフォローしてくれたと思うけど、実際Twitterをやり始めたら、全然別のことをつぶやき始めた。たぶん、選んでくれた人は当初の期待からは失望しているかもしれない」なんて清水さんは私に話していた。

「そうなんだよ。それが言いたいの」と、私。twitterのフォロー者設定は、主観的、主体的なように見えて、実は選んだ自分を否定するように働く。ここが積分型の「選択」や2ちゃんのテーマ主義と異なるところ。

これは、典型的なフォロー現象を表現している。なぜそうなるのか。それはTwitterのタイムラインが現在のフローに定位しているからである。現在(瞬間)という時間で人間の心理や行動を切り取れば、傾向性なんて出てこない。

どんなに「賢い」人間も馬鹿なことをつぶやくし、どんなに投げやりで勉強嫌いな人間もまじめになるときもある。だから、フォロー者が誰であるかは、少なくともブログを選別したり、「マイミク」を選別したりするほどの神経を使う必要はない。そもそも有名人、普通の人という「格差」自体を「タイムライン」は解消しようとしているのだから。

私などはフォロワーの多い「有名人」は一切選択していない。「有名人」は「つぶやく」時にも、読者を意識して格好をつけるからだ。格好をつけたら、つまりフォロワーを意識したら「つぶやき」ではない。ふと本音が漏れるのを「つぶやき」というのだから。

その意味でもフォロー者の選択というのは余りこだわる必要のない、Twitterの最大の魅力。この点がTwitterが「新しい」メディアと感じられるゆえん。

重要なのは、フォロー数だ。結局フォロー数が少ないと属人度が増す。だからすぐに飽きてしまう。微分度を高めることがタイムラインが有意義に機能する鍵。初心者はほとんどの場合ここでつまずく。だから、ダイヤモンド誌が啓蒙すべきなのは、フォロー数とはそもそも何なのかということだった。そこがわからないとTwitterはわからない。


●第二の、私の発言に対しての誤解。「検索をかけなくても特定の話題に関するトレンドがはっきりと理解できる」。

これはおかしい。「特定の話題」も「トレンド」ももともと、傾向のこと。傾向とはそもそもが「積分」。Excelの数値(微分)をグラフ化(積分)すれば、「傾向」が出る。また検索も、特定の個人が膨大な情報の微分(断片)の中から、一つか二つの(あるいは数個の)テーマでもって積分するという行為。

だから「検索をかけなくても」というのは、手間のことを言ってるだけでやってることは同じ積分主義。

Twitterが「検索なしで」情報を楽しめるというのは、Twitterがそもそもが微分だから。テーマをもって、その流れを追うということがあってもそれ自体が偶然。

データベースはデジタルイン(その時点では意味をなさない断片のデータ入力)、アナログアウト(利用段階=現在段階での特定の目的をもった検索)だが、Twitterはその意味ではデジタルイン・デジタルアウトが現在において融合しているということ。

トレンドや傾向(両者とも積分)は存在しないのではなく、たえず生成しているが、たえず解体もしている。ある連続し類似する値を「トレンド」や「傾向」というのだから、その意味ではTwitterには「トレンド」や「傾向」は存在しない。「トレンド」や「傾向」が存在していないからこそ、Twitterは「飽きない」。

もともとブログやSNS(ミクシィなど)やRSSは「トレンド」や「傾向」や「検索」のメディア。つまり積分メディア。95年以降爆発的に膨大化したインターネット情報は、それらが膨大化すればするほど、積分化したツール(まとめツール)が必要になり、検索はその一つ。その後の(それなりに進化した)バリエーションがブログやSNS(ミクシィなど)やRSSだと言える。

けれども、データベースの積分型利用モデル(典型的なのは〈検索〉)は、かなり知的で専門的な主体(利用者)を必要とする。「知的で専門的な主体」というものそれ自体が積分(人格的な傾向)だから、情報の積分型利用は依然として特定の利用者の内部でしか活用されていなかったと言える。本来の「自由な」情報利用ではなかったのである。

Twitterは、その意味で、OUTPUT(利用の段階)に積分(まとめ)を求めない「新しい」メディア。断片から始まって断片に終わる。だからこそ「タイムライン」は利用資格(利用能力)を必要としない、誰にでも開かれた情報処理装置?だと言える。

結論。「検索をかけなくても特定の話題に関するトレンドがはっきりと理解できる」。この「芦田の発言」なら、ブログ、ミクシィ、RSSなど既存メディアとの違いがよくわからない。

※私の多少なりともまとまったTwitter「タイムライン」論はこちら→ http://www.ashida.info/blog/2009/11/twitter_1.html

※このtwitterタイムライン微分論についての勉強会が、今週21日19:00より、大阪梅田で開催されます(私が講師を務めます)。関心のある方はどうぞ。内容と申し込みはこちら→http://twtvite.com/13xmb8   →「にほんブログ村」

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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