「男と女」のストラテジー | ESCOLTIAMO!

「男と女」のストラテジー

「Je t'aime... Moi Non Plus」ってあの「Je t'aime... Moi Non Plus」だったのね。これって夫婦で何やってるんだと思いながら聴いた曲だったわけですが、娘(シャルロット)のデビューアルバムが出たらそこでも似たよな事をやっていて、ゲンズブール困った親父だなあと思ったのを思い出します。

はい、先日書きました通り、春野寿美礼「男と女 Un homme et une femme」を購入して早速聴きました。
上はその最後の曲の話でございます。曲が始まった瞬間、え、これなの、これを一人でやるの?とパソコンの前でひとり意味なく慌てましたが、いやお見事。一回目の♪tu vas tu vas et tu viensの所がバーキンそっくりで、うわあと思いました。でも男パートはセルジュそっくりではないので(そりゃそうだ)あれほど生々しくはならず、かわりにあそこで二枚目の男役声が聴こえる事で、曲全体がそれこそ「ヅカの男役」に象徴されるファンタジーの中のものになっています。なんというか、いかに男役という存在が世界をすみれコード内に収めてしまえるものなのか、実感いたしました。

赤坂でご一緒なさった藤澤くんとはダッタン人つながりだったのねとか、「Woman in love」はバーブラより大人の恋にきこえるなあとか、ミュージカルナンバーは流石にかっこよすぎでしょう!とか(このまま東宝版エリザも出ちゃえばいいのに、と思ってしまったのは内緒)、大変に楽しんで聴けました。

そしてシングル一回で私を落っことした「前山にて」。先日のNHKも録画して拝見しました。実は私は、あの番組で語られた事を聞いてはじめて、この曲って「懐かしい風景」とか「郷愁」とかを喚起するものだったのかと思い至りました。
私自身、小学校の社会の時間にわざわざ「本物の田んぼを見に行く」という授業があったような街育ちであるせいもあってか(おまけに『おばあちゃんち』は五反田だったし)、自分の子供であった時間とここに描かれた情景は繋がりません。だからその風景描写を一足飛びにすっとばして、それの象徴する物や比喩だけが、ストレートにずっしりと心を占めてしまっています。クッション無しで射抜かれました状態。アルバム全曲を通しても、やはりこの曲がヘヴィロテになるのは間違いなさそうです。


全体を聞き終えて何となく思い浮かんだのは、市村正親さんのファーストアルバムでした。「限りなく優しく」と題されたそれは全曲なかにし礼さん作詞で、この春野さんのアルバムとはまるで傾向も世界も違います。それを何故連想したのかというと、両者ともいい意味で「役者さんの歌」だからかな、と思います。先日も書いたようにただ「良い楽器」ではなく、シンガーソングライターのようにひたすら自らの内部を表現し昇華することに終始するのでもなく。これからどんな世界を作ろうとしているのか、自分はどう成りきるか、どこでどう魅せつけて聴く人を引っ張り込むのか、それをよく心得た思い切りのいいパフォーマンスが、アルバム全体をまとめていました。役になって歌うミュージカルナンバーのみならず今回収録されているカヴァー曲にも、春野さんの経験と勘に裏付けられたストラテジーを強く感じました。それが気持ちよいと、私はああ「いい役者さんの歌だな」と思うようで、そのあたりが市村さんのアルバムを聴いた時の感じと共通したのでしょう。

だから(と話が戻りますが)、オリジナルの「前山にて」は少々異色なのですね。素の春野さん自身の人生や感情がより色濃く投影されて、こちらの感情をも揺らすのだと思います。

まだ一度通して聴いただけなので、またもう少しじっくり聴き込みたいと思います。そう思えるアルバムに出会えるのは、いくつになってもやっぱり幸せです。

大阪でのコンサートも始まりましたね。いらした皆さんの記事を拝読して行ったつもりになりましょうか、、、。
このブログのテーマに「春野寿美礼」の項目を増やすべきだろうかと悩みつつ、おやすみなさいませ。