田村耕太郎の離党と青木王国の落日 | 永田町異聞

田村耕太郎の離党と青木王国の落日

野中広務をして「あいつは権力の権化や」といわしめた男、青木幹雄。参院自民党一家の親分としての威光も、野党転落とともに陰りが見えてきた。


派手な背広を身にまとい、政府系ファンドの必要性を唱える政界一のキザ男、田村耕太郎参院議員が昨日、自民党を離党したのも、青木の求心力の低下を感じさせる。


田村は、地元鳥取の衆院議員、石破茂や、隣県島根の青木が所属する派閥「平成研」に籍を置いていた。


昨年7月、田村は自身のブログに青木への感謝の気持ちを以下のように書いている。


「青木幹雄先生を訪ねる。燃油高騰で苦しむ漁業や道路問題に今日も色々とご指導いただきました。山陰(島根)ご出身なので、私の地元の諸課題にご精通され、適宜ご指導ご支援下さっています」


田村が青木からの訣別ともとれる行動をしたのが、ことし9月の自民党総裁選で、青木が毛嫌いする河野太郎を支持したことだ。


青木は早大雄弁会以来の盟友、森喜朗とともに河野太郎の推薦人切り崩し工作を展開。河野が推薦人20人を確保すると見るや、森の子飼いの西村康稔を出馬させ、中堅・若手の分断をはかって谷垣総裁を誕生させた。


田村は、森、青木の画策を名指しで非難した河野に同調し、その後、参院選への選挙戦略を示さない執行部に苛立ちをあらわにしていた。


75歳の青木が来年の参院選に出るかどうかは、党の刷新をアピールしたい自民党にとって、大きな問題だ。利益誘導的な古い自民党体質をひきずる政治家には、できることなら引退してもらいたい。そう思っている党員が多いのではないか。


青木もそうした政治家の一人であることに異論はないだろう。ところが、一筋縄ではいかないのがこの男だ。排除されようとしていると感じたら、よけいに彼の闘争心は燃えさかる。


前回の改選時に、「今回でおしまいにしたい」と周囲に漏らしていたというのに、どうやらその考えはあっさり捨て去ってしまったようだ。


ある月刊誌に青木と野中広務が並び立つ写真が掲載されていた。撮影されたのはことし10月28日だ。


青木は地元松江市で開かれた「全国土地改良事 業団体連合会」の定期大会に出席し、来夏の参院選への支援を訴えていたのだ。連合会の会長はいうまでもない。野中である。


2003年の自民党総裁選で、同じ派閥でありながら、敵将、小泉純一郎に寝返ってまで権力の中枢に食らいついた青木に対する怨嗟は、いまだ野中の心のなかで疼いているはずだ。


それでも青木は有力支持団体の大会に出席して支援を求めることを厭わない。もともと青木は選挙に強いほうではなく、もし出馬すれば、小沢一郎に強力な刺客を送り込まれるのは必至だ。なりふりかまってはいられない。


かつての側近で、前回参院選で国民新党の亀井亜紀子に敗れた景山俊太郎が、民主党から鞍替え出馬するというウワサもかけめぐっているという。


これから容赦なく、自民党に手を突っ込んでくると思われる小沢一郎の参院工作に、参院の青木王国が激しく揺らいでいるのは事実だ。


田村耕太郎の離党が、小沢の参院自民党切り崩しの第一弾なのか、田村と親しい渡辺喜美の「みんなの党」との連携を考えているのか、それは今の段階では分からない。


分かっているのは、自民党公認で参院選に勝つ自信はないということだろう。


田村が10月27日、自民党両院議員懇談会で党執行部に対し、参院選の勝利戦略を示すよう求めたさい、大島幹事長から「選挙は自分で勝ち抜くもんだ」と突き放されたそうだ。


そのときの、田村の感想が自民党への深い失望を物語っている。


「マジでビビッた。聞いた私が悪かった。戦略はないのだ」


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