ボクとセキを拾うヘキ
先週の頭。職場に週末から当面休みますと伝えた。
店長の渾身の「えっ?」は来週からのシフトどうすればいいんだよ7割。コロナウイルスに過剰反応し過ぎじゃない2割。ギガさん、収入なくなるけど生活大丈夫?1割。で構成されていた。ある視点ではまともな反応だろうし、ある視点では異常な反応である。よって誰一人としてまともな人間は現在いないと考えるのが一番まともではないだろうか。
自粛するにあたって自分は今の暮らしをどのように失っていって、どのようにこれから暮らしていきたいか、いけるか、いくべきかを、向き合っているのかわからないくらいの半目でぼーっと考えた挙句、まともでない人間の一人として、朝から近くの河原に赴き、流木や倒木(我が家ではボクと呼んでいる)に加えさっと眺めた時にはっとなる石(セキ)を拾いに行くことをせずにはこの難局乗り切れないだろうと、誰もいない河原に足を運んだ。以前から何故かボクやセキと戯れてると心がまろやかになることから時折河原や山を訪れては明確な目的のないボクとセキを拾ってきてしまう癖があった。
昨年の台風の爪痕の上に咲き誇る菜の花と戯れていると、倒れた場所にも必ず新しい花が咲くと綺麗事を言いたい気分にさせられる。マスクを外して思い切り花の匂いを嗅ぐ。
いくつかのボクとセキを拝借しそそくさと家に帰る。
家に帰り全て高圧洗浄機で洗い天日干し、我が家に招き入れる準備をする。
これは先月、拾って招き入れたボク達。
朽ち果ててからが面白いものもある。
助けを求めれるパワーのある人たちには協力を、
助けを求めるパワーもない人たちにも生きる希望と本当の助けを。
ボク達を拾いながらそんなことを考えていました。
gigadylan
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