<金口木舌>平和祈念堂支えた比嘉正詔さん


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 糸満市摩文仁に立つ沖縄平和祈念堂を管理運営する公益財団法人沖縄協会の専務理事を3月31日付で退任した比嘉正詔(せいしょう)さん。世界への平和発信という祈念堂の理念実現に向け20年間、重責を担ってきた

▼清明祭、レクイエムコンサート、オオゴマダラの放蝶(ほうちょう)イベントなど、新たな年中行事も定着させた。祈念堂主催の清明祭は昨年、第9回で終了したが、有志によって今後も続けられる
▼1943年生まれ。大学卒業後、沖縄協会の前身、南方同胞援護会で日本復帰事業に従事し、沖縄公庫に移る。55歳の時に沖縄協会に呼ばれ、沖縄事務所長、祈念堂担当理事など要職を務めてきた
▼「戦前生まれだが戦争体験は語れない。研究者でもない」。そこで講話や講演では「てぃんさぐぬ花」の「一人一人が助け合い補い合って生きる」という歌詞や「命どぅ宝」という言葉から平和を語ってきた
▼「おじいちゃん、おばあちゃんに習った言葉」として小学校などでも講演し、児童の感想文に感激した。4月以降、県外でも幾つか講演が予定されている
▼「摩文仁は多くの人が亡くなった地だが、生き延びた人たちの戦後の出発の地でもある」。今後は民間有志の立場で平和祈念堂をサポートする活動を模索していくという。沖縄戦から72年。祈念堂に託されてきた願いを具現化することは、今を生きる全ての人の使命だろう。