COEと若手研究者の未来

Date: Sat, 5 Dec 2009 08:17:15 +0900
 お忙しいところ、私の泣き言にお付き合いいただき、ありがとうございました。
【COE予算への反省もこめた意見が必要だという意見に対して】それは私も思います。しかし、その声を上げるのは、現在のCOE代表ではなく、本来は別の方でしょう。より客観的な目から見て、問題の本質がどうなのかを問うていただきたい。仕分けに参加した研究者にはがっかり。
 明日の権力がどうなるかもわからないままに、リーダーが軽はずみなことは言えません。
 【】COEは大学の自治を突き崩すために考えた文科省の予算とも言えます。私は、大学院重点化にも、大学法人化にも反対でした。今でも、所属名の自称には仰々しく「大学院」とはつけていません。それでも、われわれは、自分の大学を成り立たせなければなりません。次回からは別のルールで競うというなら、それに応じます。しかし、多くのPD【学位を持った研究員】や院生を抱えた事業を、途中で投げ出すわけにはいきません。
 確かに、革命が起きたのなら、その程度のとばっちりは歴史の犠牲でしょう。しかし、なくても良い犠牲を払わせることは無意味です。なぜそれがおきたかというと、事業の意味を理解しなかったからです。
 繰り返しますが、迷惑を本当に受けるのは、われわれCOEリーダーではありません。若手研究者です。われわれ自身は、海外も含めて、もっと使い勝手の良い、研究できる予算があります。COEをとめられたら、その自由度は却って増すでしょう。われわれが怒っているのは、そのためではありません。
 【】たぶん、COEは求心力を失い、COEのために多くの教員が集まるような会議は、ほとんど成立しなくなるでしょう(別に、社会から期待されていない事業ですから、それでよいのでしょうが、生首が切られる不安を若手に与え続けている現状が問題です)。
 今、われわれCOEリーダーが直面しているのは、後三年の役源義家の状態です。前九年の役で朝廷から得た恩賞がなく、「私財」を投じてでも若手への信義に答えることです。
 大変残念です。
 明治時代以来、日本人留学生は多く母国に戻り、母国の発展を支えてきました。他の途上国を現状は、必ずしもそうではありません。それは、日本が住みやすいという側面もあったでしょう。しかし、このような仕打ちを受けた若者が、母国のために働くでしょうか。野球の大リーグと同じく、まさに、日本の大学は欧米の二軍化していくでしょう。私は歓迎しませんが、その意味では、教育と研究の分離分業がますます進むでしょう。さらに、途上国に地位を得る者も多く現れるでしょう。スポーツならば、それもひとつの選択です。科学の発展が国益とは無関係に進むと【】本当に思っているのでしょうか。
 いずれにしても、政権交代が起こる中では、文科省の顔色を伺うような体制では、やっていけません。真の意味の外部評価が必要です。つまり、権力から独立した市民にしっかり評価してもらい、彼らの声を大学運営に生かして、外部評価を大学の自治を守る手段として位置づけなおさないといけません。
 今回のような場合、それでも救えません。個々の大学のCOEの内容ではなく、COEという制度そのものが仕分けられたのですから。