荒木経惟vs.大塚寧々 - ソリトン (1/2)
荒木経惟vs.大塚寧々 - ソリトン (2/2)
東京猫町
ちょっと前に、二年ぐらい歩いたんだけどさ、「東京猫町」っていう本出したんだけどね。必ず猫のいるっつーところはね、あったかくてね、いい町だね。猫に出会うところは、うん、すごく、ほとんどね。そう、この辺でも、名作をいっぱい撮ったよ。だから猫がさ、名作を撮らしてくれるつーか、名作の場所を知ってんだよ、名所、いい場所を。「東京猫町」ってね、案外ロングなんだけどさ、猫がぽーんて、その猫がぽーんているだけなんだけど、たとえばそれをね、猫を取っちゃってみると、すごーくつまんなくなっちゃうのよ。猫っていうのはね、活きいきとした町にすんだよね、猫は。
「人は知らないものを深く愛することが出来る、しかし、愛さないものを深く知ることは出来ない」 (from "A Handboolk of Aphorisms" by Simon May)
2009-12-06
2009-10-26
荒木経惟という現象
もの思う秋。写真家、荒木経惟の「東京人生since1962」(basilico,2006)を再読した。荒木さんは、一貫して東京に寄り添うように、東京という「もの」と「こと」を写真に写し取ってきた。だから、題して「東京人生」という。
妻陽子さんとの「センチメンタルな旅」の始まりと終わり。人生は短く、哀しい。写真に荒木さんのコメントがついている。(以下、写真のコメントは荒木さん)
「1971年7月7日、陽子と結婚。「センチメンタルな旅」がこの日から始まった。」
「この写真好きだね、この陽子好きだね。はじめて撮った時「物思いに耽る表情が良い」と言ったらしい。」
「陽子とチロと私。幸福の構図。陽子は東京女子医大に入院することになった。」
「手指をにぎりしめると、にぎりかえしてきた。お互いにいつまでもはなさなかった。午前三時十五分、奇跡が起こった。陽子が目をパッとあけた。輝いた。私はベッドにあがって、何枚も撮った。1990年1月27日、妻陽子死去。享年44(満42歳)。」
「雪の日にチロがバルコニーに出て、はねた。「センチメンタルな旅・冬の旅」のラストシーン。」
「妻が逝って、私は空ばかり撮っていた。」
「陽子がいなくなって錆びたテーブル。バルコニーでチロとふたり。」(荒木さんのコメントはここまで)
日本の写真史における「巨匠」、荒木経惟。彼の写真には、例えば都市の情景であっても、あるいは緊縛された女を撮っても、いつも「滅び」や「死」の匂いが漂う。また、彼の写真は、被写体を通して彼の人生が重なって見える。だから題して「センチメンタルな旅」という。初期の写真から現在までそれは見事に一貫している。これは驚くべきことだと改めて感じる。
折りしも、NHK-BShiのプレミアム8「写狂人の旅~アラーキーと歩く4日間~」を観た。アラーキーも、もう69歳か。私が荒木さんに初めて出あったのが「わが愛、陽子」(朝日ソノラマ,1978)という写真集。
妻陽子さんとの「センチメンタルな旅」の始まりと終わり。人生は短く、哀しい。写真に荒木さんのコメントがついている。(以下、写真のコメントは荒木さん)
「1971年7月7日、陽子と結婚。「センチメンタルな旅」がこの日から始まった。」
「この写真好きだね、この陽子好きだね。はじめて撮った時「物思いに耽る表情が良い」と言ったらしい。」
「陽子とチロと私。幸福の構図。陽子は東京女子医大に入院することになった。」
「手指をにぎりしめると、にぎりかえしてきた。お互いにいつまでもはなさなかった。午前三時十五分、奇跡が起こった。陽子が目をパッとあけた。輝いた。私はベッドにあがって、何枚も撮った。1990年1月27日、妻陽子死去。享年44(満42歳)。」
「雪の日にチロがバルコニーに出て、はねた。「センチメンタルな旅・冬の旅」のラストシーン。」
「妻が逝って、私は空ばかり撮っていた。」
「陽子がいなくなって錆びたテーブル。バルコニーでチロとふたり。」(荒木さんのコメントはここまで)
日本の写真史における「巨匠」、荒木経惟。彼の写真には、例えば都市の情景であっても、あるいは緊縛された女を撮っても、いつも「滅び」や「死」の匂いが漂う。また、彼の写真は、被写体を通して彼の人生が重なって見える。だから題して「センチメンタルな旅」という。初期の写真から現在までそれは見事に一貫している。これは驚くべきことだと改めて感じる。
折りしも、NHK-BShiのプレミアム8「写狂人の旅~アラーキーと歩く4日間~」を観た。アラーキーも、もう69歳か。私が荒木さんに初めて出あったのが「わが愛、陽子」(朝日ソノラマ,1978)という写真集。
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