黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

ついに出た! 偏見丸出しの「裁判員判決」

2012-08-02 10:46:28 | 法律関係事件
 7月30日,大阪地裁の裁判員裁判で恐るべき判決が言い渡されました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120730/trl12073020360006-n1.htm
 報道によると,被告人は大阪市内の自宅で姉を殺害したとして殺人罪に問われたのですが,検察側の求刑(懲役16年)に対し,判決の下した結論は求刑を大幅に上回る懲役20年。
 犯行の背景には,広汎性発達障害の一種であるアスペルガー症候群が影響していると認定されているのですが,量刑の理由については「家族が同居を望んでいないため障害に対応できる受け皿が社会になく,再犯の恐れが強く心配される。許される限り長期間,刑務所に収容することが社会秩序の維持に資する」とされています。

 判決の批判に入る前に,アスペルガー症候群というものがどのような障害であるかを確認しておきます。
 アスペルガー症候群とは,社会性・興味・コミュニケーションについて特異性が認められる広汎性発達障害の一種とされていますが,医学的にも病名の正確な定義は確立されておらず,最近ではアスペルガー症候群という名称は偏見の原因になっているとして,単に「広汎性発達障害」という病名を用いる医師もいます。この記事では便宜上,「アスペルガー症候群」という用語で統一します。
 もっと簡単に言うと,アスペルガー症候群と判断される人は,一般人と比較して脳の発達状況が特異であるため,一般人とのコミュニケーションに支障を来たしているです。
 アスペルガー症候群と判断される人は,知的障害者と違って,総合的なIQが低いわけではありません。一般的に他人とのコミュニケーションは不得手ですが,特定の分野には異常なまでの興味を示します。特定の分野とは,輸送手段(鉄道・自動車など),コンピューター,数学,天文学,地理,恐竜,法律等が多く,興味を持つ対象自体は特に異常というわけではないのですが,アスペルガー児が抱く興味の強さは尋常ではなく,興味の対象となる分野では大量の情報を記憶することもあります。
 そのため,アスペルガー症候群にかかっている人も,自分が興味を持てる領域で才能をうまく活かせる職場を見つけられれば,常人には出来ない素晴らしい業績を挙げられることもあるわけですが,一般人の中に溶け込もうとすると,その特異な価値観やコミュニケーション能力の欠如から周囲のいじめに遭いやすく,他人とのコミュニケーションで挫折してしまうと,うつ病やひきこもりの原因にもなってしまいます。
 アスペルガー症候群にかかっている人でも,直ちに問題が顕在化するわけではありません。具体的な症状は人によって様々ですが,他人とのコミュニケーションを特に気にしなければ,学業面で優れた業績を挙げることも多く,東京大学の法学部なんぞに入る人には,アスペルガー症候群の兆候が結構見られるそうです。学者にも結構いそうなタイプですね。ただし,学業は出来ても対人関係能力に問題があるので,学生のうちに症状が顕在化して(対人関係に悩みうつ病を発症したりして)ドロップアウトしたり,就職してからドロップアウトしたりする人が後を絶たないのですが。
 このようなアスペルガー症候群を根本的に「治療」するには,理論的には脳の構造自体を一般人と同じように矯正するしかないわけですが,そのような手法は現代医学では全く不可能であり,また有効であるともいえません。無理矢理一般人の枠に当てはめようとすれば単なる問題児で終わってしまうことも多いですが,適切な支援を受けて自らの才能を発揮できる職場に就くことができれば,むしろ人並以上に社会に貢献できる可能性も高いわけですから,国や社会としてはアスペルガー症候群に対する適切な理解と支援が欠かせません。
 そして,このようなアスペルガー症候群にかかっている人の支援に関しては,平成16年に「発達障害者支援法」が制定されており,発達障害者に対する様々な支援の枠組みが設けられるとともに,その第4条では「国民は、発達障害者の福祉について理解を深めるとともに、社会連帯の理念に基づき、発達障害者が社会経済活動に参加しようとする努力に対し、協力するように努めなければならない」と定められています。
 なお,こういう説明をすると,黒猫もアスペルガー症候群ではないかと言われるかも知れませんが,まさにそのものずばりで,黒猫自身も医師から「広汎性発達障害」との診断を受けています。

 事件に戻ると,問題の被告人は小学5年生の頃から約30年間にわたりひきこもり状態で,姉に生活の面倒を見てもらっていたそうですが,何が原因かその姉に逆恨みを募らせて殺害を決意し,自宅を訪れた姉を包丁で何度も刺し死亡させたそうです。
 引きこもりの原因は,おそらくアスペルガー症候群の影響で周囲の環境に適応できず,おそらく学校内でも周囲から相当のいじめにあい,ついには学校にも行けなくなってしまったものと推察されますが,上記の説明からも分かるように,アスペルガー症候群自体に凶悪犯罪の資質があるわけではありません。生活の面倒は見てもらっていたものの,自分のことをさっぱり理解してくれない姉に対する逆恨みが積もり積もった上での犯行と見るのがおそらく妥当であり,発達障害者に対する社会的支援が未だ不十分であったことに起因する悲劇であったともいえるでしょう。
 もっとも,精神障害により適切な判断能力を失っていたというわけではないので,アスペルガー症候群であったからといってみだりに刑を減軽すべきでないという論理はまだ理解できますが,上記判決は明らかにそれを超えて,被告人にアスペルガー症候群の兆候が見られることを量刑上大きなマイナスの事情として考慮し,過去の同種事案と比較しても明らかに不相当な重い刑を決めているのです。
 刑罰というものは,犯罪者に対しその犯した罪に応じた刑罰を与えることにより,国民の規範意識を高めるとともに,被告人の自主的反省を促すことで社会秩序を維持しようとするものです。特定の犯罪者に対し偏見を持ち,こいつは何となく再犯のおそれが高そうだから長期間刑務所に閉じ込めておけという不公正な裁判が行われるのでは,国民の規範意識向上にも全く寄与しませんし,被告人も「自分はアスペルガー症候群だからという理由で重く処罰されたのだ」と認識して国家権力を逆恨みするだけで,結論として社会秩序の維持には全く寄与しないでしょう。
 今回の判決は,アスペルガー症候群に対し全くの無理解のもと,何となく再犯のおそれがありそうな者は死ぬまで刑務所に閉じ込めておこうという短絡的発想のもとに下されたものと断じるほか無く,この事件に関与した裁判員達は,およそ法というものを理解していないのです。精神的に問題を抱えた人の処遇は,およそ刑罰で対応すべき問題ではなく,適切に対応できるものでもありません。
 呆れたことに,大手マスコミの中にもこの判決を賞賛しているところがあるようですが,裁判員制度は「市民の常識」という美名の下に,法律の力で社会的マイノリティを抹殺しようとする暴挙を,まさしく国全体で行っているものと言えます。

 最近の最高裁は,死刑判決を出すにあたっては裁判員に対しても量刑基準を守るように指導する一方,それ以外の量刑については裁判員の裁量を広く認める姿勢を取っているそうですが,これは裁判員裁判によって死刑の判断がいい加減に行われているということになると,ただでさえ死刑制度に厳しい国際社会から人権問題として糾弾されるおそれがあるからです。もちろん,死刑ではなく懲役なら一般市民が自由な感覚で決めてよいという論理が成り立つはずもなく,罪刑の均衡を考慮しない無責任な裁判員裁判は,その量刑が死刑であれ有期の懲役刑であれ,国際的にも問題となり得る立派な人権侵害なのです。
 最近,大津市のいじめ自殺事件がマスコミで大々的に報じられ,いじめの防止に対する社会的取り組みの必要性が叫ばれていますが,このような偏向判決はもはや適正な法の執行ではなく,単なる国家権力による少数者の「いじめ」に過ぎないということに多くの国民が気付かない限り,日本の社会から「いじめ」が無くなる日も決して訪れないでしょう。

19 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-08-02 13:53:43
重く見るべきは、これ、裁判官も賛成しているわけで。
裁判官の質の劣化も問題視するべきですね。
ところで、裁判員制度って「国民の感覚を」といいますが、なんで裁判員が私たちの代表なんですかね?
その人達、テストとかで「常識」担保されてるんですかね?

そんなに国民の感覚が重要なら、裁判所なんかつぶしてしまって、国会で裁判をすればよろしいのではないでしょうか。
Unknown (Unknown)
2012-08-02 22:52:28
>おそらくは極論も様々出た中での着地点という「苦渋の選択」であったことは想像に難くありません。問われるのは、「障碍に対応できない社会」という問題です。ハンセン病隔離政策がなぜ間違っていたのかを、国民みんなで考える必要があります。
ttp://blogos.com/article/44149/

上記のような意見の応酬がコンテンポラリーなネットにおいて為されている一方で、

「素人裁判員の偏見」「裁判官の質の劣化」にその問題の本質を求める司法関係者の思考の深さと見識の高さに圧倒・唖然とさせられる記事でした。
Unknown (Unknown)
2012-08-02 22:53:53
上のコメントの方がおっしゃっているように、裁判官、つまり法曹(プロ)のアスペルガ―への無理解、見識の無さこそが問題だと思います。

対して、裁判員、つまり素人のアスペルガ―への理解が低いのは、まだ仕方のないことかと思います。
いずれ認知はされてくると思いますが。

とにかく、素人の判断にプロが乗っかってしまったのが、今回の判決のヤバい部分ですね。
 (eiei)
2012-08-04 00:09:54
ようわからんけどこじつけ感が半端ないわ

あとなんかもっと建設的な意見だしたら?嘆くばかりじゃなくて。

定義の曖昧な物について言及することの重大さについてはわかった
Unknown (Unknown)
2012-08-05 13:35:30
現場にいないで結論だけを見て偏見に満ちているとか、裁判官が劣化しているとか判断することはただしいのですか?

どのような裁判が行われ、裁判員や裁判官はなぜそのような判断を下したのかというのを理解したうえで偏見に満ちていた、裁判官が劣化していたというならわかりますが。
この事件について書かれている方は大勢いらっしゃいますが、多くの方は偏見に基づいた裁判が行われた、とそれこそ「偏見」に基づいて決め付けているように思えます。
Unknown (Unknown)
2012-08-06 09:44:33
>現場にいないで結論だけを見て偏見に満ちているとか、裁判官が劣化しているとか判断すること

もともと裁判員制度って、その程度の事実認定に基づいてつくられた制度ですから。
日本国はいまそういう状況ですよ。多かれ少なかれ。

裁判官=非常識、
弁護士=高い、エラそう

そういう事実認定に、一般意思として、争いはないのです。
Unknown (Unknown)
2012-08-06 09:58:19
裁判員制度が偏見に基づいてできたかなんてことは誰も今問題にしてません。

結論だけ見て「偏見に基づいて裁判が行われた」とすることに疑問を投げかけてるのです。
弁護士の皆さんは広い視野を持って大所高所から物事を判断してるのではないのですか?新聞記事のみで判断していいのですか?と聞いているのです。
大衆の反逆 (ポロシャツ弁護士)
2012-08-06 15:38:58
そもそも司法権は,多数者の横暴から少数者の人権を守るところに意義があるわけで,司法に「国民の常識」を反映させること自体が司法の自殺に等しいわけです。裁判員裁判制度のもと,出るべくして出た人民裁判です。

刑罰論は,ベッカーリア以来,社会科学の中心付近で激しい議論を経て構築されてきたものですが,刑法の初歩でもかじったことがあれば,「刑罰において特別予防や保安処分的要素を意識しすぎると,決定論に親和してしまうから,どうもやばい。」と直感的にわかるわけです。
しかし,裁判員裁判は,そういう歴史や理論はクソだと。「(暇な)国民の常識」が勝ると。(ポルポトと同じ発想。)

反原発運動もしかりですが,大衆の反逆(この言葉の意味を誤解している人が多いので,自信がない人は調べてね。)もここまできました。
Unknown (Unknown)
2012-08-06 22:57:56
かといって職業団体として司法権で解決すべきでない問題についての提言やロビー活動を行うわけでも無く、悪いのは暇で頭の悪い大衆に違いないというわけです。
法曹人の意識が良く分かりますね。
何を根拠に暇って言ってるのか知らんがw

法学者(大学教授)も「民間のバカで暇な弁護士風情に法の深淵が語れるか」とか思ってるかもね。
Unknown (順転)
2012-08-07 22:21:54
>現場にいないで

毎回その現場になんかおれるかボケ。

具体的にモノ考えてみろ愚民。