大津波で23万人以上が犠牲になったスマトラ沖地震から10年がたとうとしている。
地震が起きたのは2004年12月26日、マグニチュード(M)は東日本大震災を超える9・3だった。
地震はインドネシアのスマトラ島沖で起きたのだが、津波の犠牲者はインドやスリランカ、またアフリカ東部にまで及んだ。4000キロも離れた南極の昭和基地でも75センチの津波を観測したほどの大津波だった。
タイの観光地プーケット島では外国からの多くの観光客も犠牲となった。だが、島の南端で生活する先住民族モーケン族は一人の死者も出さなかった。
地震が起きたのは現地時間の午前8時前。海岸に住むモーケンの人たちは、大津波が襲ってくる20分ほど前に海の異変を知った。
モーケンは「海の遊牧民」と呼ばれる海洋民族で海岸に住んだり船上生活をしていて、おもに漁業を営んでいる。
海洋民族にとって潮の満ち干は頭に精密に入っているが、それ以上に潮が引いたのだ。
先祖からの言い伝え通り津波が襲ってくる。そう直感し、ただちに245戸、約1200人の集落全員が村の高台に避難した。
地震学の知識では津波の初動は引き波とはかぎらない。第1波がいきなり満ち波として襲ってくる津波もあるし、この場合のように最初が引き波のこともある。第2波以降の方が大きいことも多い。
日本もそうだが、海洋プレートと大陸プレートが衝突している海溝沿いに起きる巨大地震は多くの場合、同じような震源メカニズムで起きる。