片姫神社に対する思い入れ | 羽黒神社宮司のブログ

片姫神社に対する思い入れ

片姫神社は私が宮司を兼務する神社で、本務である羽黒神社からは車で10分ほどの、三崎町の粟津・森腰の入会地に鎮座します。


例年、お正月は2日の午前10時から歳旦祭を齋行しており、厄祓い等は基本的に4月3日の春祭りにご奉仕いたすのですが、この2日の歳旦祭には新年の家内安全等の祈願をお受付いたし,
この日も10件ほどのご祈祷がございました。

今年の2日は元日の荒天とは違い、穏やかないいお天気で、片姫神社には、ん?羽黒神社より人出が多いんじゃない??・・・というくらいの賑わいでした(^o^;)

この日は早々と左義長も齋行し、昨年のしめ縄やお札、お守り等を持ち寄る参拝者で賑わいます。


氏子約150戸分で結構な量ですが、お天気がいいのでよく燃えます♪



しかし、片姫神社の今日の賑わいはここ10数年のことで、私が宮司に就任した頃は、総代さんを始め数人の寂しいお正月の神事でございました。

拝殿は幕末の建立で痛みが激しく、扉は渾身の力を込めないと開かない、照明は裸電球一つ、おまけにすき間風もはげしく、太鼓を打つ手が震える(((゜д゜;)))・・・そんな神社で、先々代(祖父)宮司の頃にすでに改築が叫ばれていたのですが、なかなか進まない・・・そんな状況でした(ノ_-。)


しかも、お隣地区には割と名の知れた神社が鎮座していて、氏子ではないにもかかわらず、初詣はそちらへ行って、氏神様の片姫さんには知らん顔、という方も少なくありませんでした。


当然、宮司としては氏神信仰の大切さを説きましたが、私よりも、当時の青壮年層の氏子さん方が頑張っておられて、「なんで○○神社なんか行くんやっ!俺らは片姫神社だけを大事にしとればいいがんでないがんかっ!!」と、2日の初詣に氏子さん方を誘われて来られ、年々、少しづつですが賑わいつつあり、また、お隣地区の神社へ詣でる方も減り出していました。

拝殿のお供えも、当初はお米、お神酒、お鏡餅の三台だけだったのが、いつの頃からか、春秋の祭礼と同じく、12台の品目が用意されるようになり、本務神社となんら変わらない待遇となっていきました。



そして、平成12年に、ついに念願の拝殿改築がなされ、現在の立派なご社殿が完成したのでございます。


慶賀祭ではたくさんの巫女さんの舞が奉奏され、お稚児さんも100人近く、そして、珠洲支部内のほとんどの宮司さん方がご奉仕下さり、兼務社としては破格の大祭典がご奉仕されました。

翌年のお正月は、本当にたくさんの参拝者で、用意したおみくじやお守りが足りなくなるほどでございました。


片姫神社改築以降に産まれた我が次女は、当然そんな時代の事はしりませんし、今は快適な片姫神社には嫌がらずに奉仕しておりますが、(;^_^A

このおやしろがあるのは、先人の苦労の賜物なのでございます。


この日厄祓いに来られた、氏子ではありますが、現在は都会暮らしをされているうら若き女性が、
「私はこのお宮さんが大好きです♪帰省する時は遠回りでも鳥居の前を通って帰ります」
と仰られていましたが、その気持ちはものすごく解りますo(^-^)o



今年は長女がいないので、初めて一人で巫女奉仕する次女でございますが、あいかわらず氏子の皆様にちやほやされて、お菓子をいっぱいもらってご満悦でございます・・・

が、

こういう「流れ」を作ってくださったのも、今総代さんをされておられる世代の方々が若い頃に尽力されてのことでございます。
もともとこうではなかったのです。

当時は氏子でありながら「あんなみすぼらしいお宮にお参りしたくない」と、平気で言う方も少なからずおられたのです。


しかし、そういう人たちに、

「そんな○○神社なんか行かんでもいいっ!俺らは片姫神社の氏子やっ!!宮司も気遣って巫女さんを連れてきてくれる」


ありがたい言葉じゃないですか。


当たり前のことなのに、ちまたではそれが行われておらず、氏神様をほったらかして著名神社の初詣に流れる人も多いようです。


しかし、ここ片姫神社には「氏神様が一番大事」っていう、気骨の方が山ほどおられるのです。


そんな、宮司としてもものすごく思い入れが深い、片姫神社の歳旦祭。

本年も賑々しく齋行いたしましたp(^-^)q