インフレとデフレと景気に関するよくある質問集

[お知らせ]
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http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20091112/p1

[お詫び]
本日の朝このエントリーを更新した時に冒頭に不適切な表現があり、皆様には不快な思いをさせてしまい大変に申し訳ございませんでした。robinsさん、yagenaさん適切なアドバイスをいただき本当にありがとうございます。今後はこのようなことのないように社会人としての節度を守り、応用統計学者としての職務を全うする所存です。皆様今後ともよろしくお願いいたします。

[お断り]
当blogに書かれていることは矢野浩一個人の意見であり、矢野が属するいかなる団体とも関係ありません。

[はじめに]
インフレとデフレと景気に関しては非常に社会的影響が大きいこともあり、世間の話題に上ることも少なくないのですが、それらに関するよくある質問集(FAQ)を書くことにしました。

[インフレとデフレ、どっちが悪いの?]
これについて論じる時には(1)ハイパーインフレ、(2)高インフレ、(3)マイルドインフレ(低インフレ)、(4)デフレの4パターンに分ける必要があります。

ハイパーインフレと高インフレ、デフレは明確に悪いことです。

年率で2%から3%程度(論者によっては2%から4%程度)のマイルドインフレはむしろ望ましいことです。

[はぁ?デフレってむしろうれしいんですけど?]
それはよくある誤解です。世界各国どこでも「賃金の下方硬直性」と呼ばれる現象があることが知られています。これは平たく言えば「賃金は下がりにくい」ということなので、一見すると「うれしいこと」のように感じる人がいるのは不思議なことではありません。

しかし、経済は個人や企業が複雑に関係しており、単純ではありません。特にデフレになっても賃金が下がりにくいせいで、企業業績が急激に悪化することが知られており、その結果として新しい投資が抑制されたり、企業がリストラを行って職を失う人が出たりします。

さらにもっとも打撃を受けるのは新卒採用の学生さんと現在失業している人たちです(新しい人を雇わない、というのが一番簡単な人件費抑制策なので)。

デフレは「就職氷河期」や失業率増加などの現象を激化させています。

[マイルドインフレが望ましいって根拠があるの?]
ローレンス・サマーズ(現在、オバマ政権の国家経済会議委員長)が1991年に論じた「サマーズバンド」と言われる議論があります。

これは「2%から3%程度のマイルドインフレを目標に置き、普段から名目金利をある程度のプラスにおかないと、急激な景気悪化圧力(たとえば去年のリーマンショック)に中央銀行が利下げで対応できなくなる」というものです。

2%から3%程度のマイルドなインフレが望ましいというのは世界のマクロ経済学者の間ではほぼ合意事項です。

再度補足しますが、ハイパーインフレと高インフレ、デフレは明確に悪いことです。

[インフレターゲットなんてバカしか提言してないよね?]
そんなことはありません。インフレターゲットは1990年にニュージーランドで始めて採用されたのですが、それから20年近くが経過し、すでに多くの国(英国やカナダなどの先進国も含む)で採用されている実績のある政策です。

[インフレなんて起こせないよね?]
グレッグ・マンキュー教授が書いたベストセラー教科書「マンキュー経済学」には「経済学の10大原理」というものが掲載されています。

その第9原理が「(9)政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する」なのですが、この原理は中長期においては世界中どこでも成り立つことよく知られています。日本でも中長期に渡って考えれば、その関係は成り立ちます。

ただし、日本に関しては注意すべき点が一つだけあります。現在の日本経済は「流動性の罠」と呼ばれる状態に陥っており、現在の紙幣発行を増やしてもインフレにはなりませんが、「将来の紙幣発行を増やす」ということを人々に信じてもらえればデフレから脱却することができます。

参考:経済学の10大原理(1)人々はトレードオフに直面している、(2)あるものの費用はそれを得るために放棄したものの価値である、(3)合理的な人々は限界原理に基づいて考える、(4)人々はさまざまなインセンティブに反応する、(5)交易はすべての人々をより豊かにする、(6)通常、市場は経済活動を組織する良策である、(7)政府は市場のもたらす成果を改善できることもある、(8)一国の生活水準は、財・サービスの生産能力に依存している、(9)政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する、(10)社会は、インフレと失業率の短期的なトレードオフに直面している、というのが10大原理です。

[「将来の紙幣発行を増やすと信じてもらう」って何?あんたバカ?]
安定的に2%〜3%程度のマイルドインフレが実現するまで、市場に出回っている長期国債を日銀が買う量をどんどんと増やして行けばOKです。

たとえば、2年の残存期間がある長期国債を日銀が大量に買い付ければ、「今後、2年間は日銀は金融緩和を続けます(つまり今後の2年間は紙幣発行量を減らしません)」ということを多くの人に信用させることができます。というのは日銀が利上げをしてしまうと国債の価格が下がって(利上げをすると国債価格は下落するという関係にある)「日銀のバランスシートを毀損してしまう」からです。

日銀が「バランスシートを毀損してしまう」ことを恐れていることはよく知られており、仮に日銀が2年の残存期間がある長期国債を大量に買い付ければ、「今後、2年間は日銀は金融緩和を続けます(つまり今後の2年間は紙幣発行量を減らしません)」ということを信じてもらえます。

日本がデフレから脱却できない理由は簡単で(1)現在、日銀が買っている長期国債の量が少なすぎる、(2)今までに日銀が何度も失敗しているので、そもそも信頼度が低いという二つが原因です。

補足:日銀のこれまでの失敗としては、たとえば政府の反対を押し切って2000年にゼロ金利政策を解除した後、急激な景気悪化でゼロ金利量的緩和政策に慌てて復帰したという事実や、2006年に「物価が安定的にプラスになった」と主張して量的緩和政策とゼロ金利政策を解除したら物価がプラスになったのは消費者物価指数の誤差だったことが後日判明したこと、などが挙げられます。

[マイルドインフレってどうやって実現するの?無理だよね?]
テイラールールと呼ばれる金融政策を実行する時のルールがあることが知られています。インフレが発生したら、そのテイラールールに従ってマイルドインフレを実現し、維持します。

[デフレから脱却すると何か良いことあるの?]
繰り返しになりますが、グレゴリー・マンキュー教授(バーバード大学)の非常に標準的な教科書である「マンキュー経済学」に書いてある「経済学の10大原理」の第9原理と第10原理を書き出すと以下のようになります。

(9)政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する
(10)社会は、インフレと失業率の短期的なトレードオフに直面している

(9)は非常に単純ですよね。政府がお札を一杯刷りすぎると、インフレになるってことです。

(10)はちょっと難しいですが、「短期的にはインフレ率が上昇すると失業率は減少する」、逆に言うと「短期的にはインフレ率が下落する、もしくは、デフレになると失業率は上昇する」ということを言っています。

つまり、組み合わせるとこうなります:「政府が紙幣を印刷しすぎると、インフレになって、短期的には失業率が減少する」ということです。

もちろん、「インフレと失業率の短期的なトレードオフに直面している」というのはあくまでも「短期」の話なので、長期にはこの効果は消えてしまう訳ですし、「潜在成長率が高まる」なんてことを思っている訳でもありません(そんなことは主張したこともないし、夢にも思ったことはないです)。

さらにいうと、庶民を苦しめる「高インフレ」になってしまわないように過剰に紙幣を印刷し続けないように気をつけなければ行けませんので、「インフレターゲット(年率で2%から3%程度のマイルドインフレを目標とする)*1」、つまり目標とすべきインフレ率に上限と下限をつけましょう、と言っているだけです。

[え〜と、そんなバカなこと言ってる人いないんですけど?]
このような提案は現代マクロ経済学の代表的研究者によって既に何度も繰り返し提案されています。

たとえばクルーグマン教授(プリンストン大学教授、ノーベル経済学賞受賞者)、グレゴリー・マンキュー教授(ハーバード大学教授)、ケネス・ロゴフ教授(ハーバード大学教授)、フレデリック・ミシュキン教授(コロンビア大学教授)などが代表的ですが、これらの論者に限った意見ではなくてマクロ経済学者の間では非常に一般的な意見です

それらについてはすでに多くの先行研究がありますので、先日の二つのエントリー(これこれ)を参照してください。

[インタゲなんかするとハイパーインフレになるんじゃないの?]
ハイパーインフレになるには少なくとも二つの条件が必要です。(1)中央銀行が紙幣を過剰に発行している、(2)国の経済や産業が壊滅的な打撃を受けている、の二つです。

たとえば、最近のジンバブエでは、(1)紙幣(お金)が過剰に発行された、(2)独裁者ムガベ大統領がかつての支配層であった白人を強制的に追い出した結果、国の産業が壊滅的な打撃を受けている、という二つの条件が重なったからハイパーインフレが起こったので、日本ではこのようなことは起こりません。

ちなみに歴史的に見てハイパーインフレが起こったのは、第1次大戦後のドイツ(第1次大戦敗戦で国の産業が崩壊)、第2次大戦後のハンガリー(大戦で枢軸国側につき敗北)、アルゼンチン(長年にわたり軍事政権が支配)などと(2)の条件を満たしています。

日本でも第2次大戦直後にハイパーインフレが発生していますが、これも第2次大戦で国の経済や産業が崩壊していたためで、(2)の条件を満たしています。

[金融政策で生産性向上なんてできないよね?]
誰も生産性が向上するなんて言ってませんよ。完全なる誤解です。

[日銀はインフレターゲットを設定しているの?]
していません。日銀は2006年3月から「中長期的な物価安定の理解」というものを発表していますが、それを始めた時に当時の福井総裁が明確に「これはインフレターゲットとは違う」と述べています。そのため、インフレターゲットを設定しているとは言えません。

[あんたってマネタリスト?]
マネタリストではありません。ニューケインジアン(新ケインズ学派)には属していると思います。

ケインズ学派とは、新古典派の実物景気モデルに、ケインズから始まるケインズ経済学の知見を取り入れた新しいケインズ経済学派です。

[やっぱ、あんたじゃ信用できん。この件に関して他に誰かいい人いないの?]
たとえば以下のロゴフ教授の提言はいかがでしょうか?

米国の大物経済学者が警鐘! 「世界経済危機の第二波が近づいている」
http://diamond.jp/series/dol_report/10022/?page=4
http://diamond.jp/series/dol_report/10022/?page=5

それ以外では英国銀行[イギリスの中央銀行]が発表した資料を日本有志が訳したものがあります。

解説!量的緩和
http://mathdays.web.fc2.com/qe-pamphlet_boe.pdf

[まだ、あんたを信用はしてないけど、勉強はしてみたい気になった]
去年の矢野の経済学入門の講義録が以下に公開していますので、参考になさってください。
2008年度:経済学〔現代経済理解へのガイド〕
http://koitiyano.hp.infoseek.co.jp/rikai/

さらに昨年の反省を踏まえて、今年はさらに改善した講義を行っています。まだ途中ですが、12月下旬にすべての講義(試験を除く)が終わるように進めています。こちらもご参考まで。
2009年度:経済学(土曜2限)
http://sites.google.com/site/keizaigaku2009/

*1:論者によっては年率で2%から4%程度のマイルドインフレを目標とする