QMblog's blog

レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

ゲイをカムアウトすることを周囲が決めることはできるか?

本人がゲイであることをカミングアウトするかどうかを、まわりが決めてもいいと思いますか?
それとも、それはやはり本人が決めることでしょうか?

1975年9月22日。

偶然、サンフランシスコのセントフランシスホテルの前に居合わせたベトナム戦争から帰還した元海兵隊員のオリバー・シップル Oliver Sippleは、会議を終えてホテルから出てきた当時のフォード米大統領を狙撃しようとした女性の腕を押さえ込み、気付いたら「大統領を救った男」になっていました。


f:id:QMblog:20100930120656j:image

※写真左の男性が、オリバー・シップル。写真は、Released: old woman who failed to kill president(smh.com.au)より

事件の直後、記者たちに囲まれたオリバーは、タバコに火をつけるのも、ままならないくらいに落ちつきのない様子で、自分の名前や自分の性的指向については、書かないでくれ、とメディアに頼んだそうです。


オリバー・シップルは、地元のゲイバーに行ったり、サンフランシスコ市の市政執行委員に立候補したハーヴェイ・ミルクの選挙活動にも関っていましたが、家族には、自身がゲイであることを告げていなかったのでした。


ところが、ハーヴェイ・ミルクは、「同性愛者に対する先入観を打ち破ることができるかもしれない」として、メディアにオリバー・シップルがゲイである、という情報を伝えます。

「こんなにいい機会はめったにない、ゲイもヒーローになれることを証明できる。あの男は大統領の命を救ったんだよ。僕らは、ただ子供にいたずらしたり、トイレにたむろするだけじゃなくて、いいこともできるんだって、証明できるじゃないか。」"It's too good an opportunity. For once we can show that gays do heroic things, not just all that caca about molesting children and hanging out in bathrooms."

とミルクは考えたのでした。


その後、事件を報じる、新聞各紙には『ゲイの元兵士』、『ホモセクシュアル・ヒーロー』という見出しが躍ります。


事件で、息子がゲイであったことを知った、シップルの母親は、息子と口をきくことを拒絶するようになったそうです。


自身がゲイであることを報じた新聞数誌を、シップルは、プライバシーの侵害で訴えました。
その訴訟は、84年年まで続き、シップル自身もあのとき、大統領を狙った女性の手元を押さえなければよかった、とまで考えるようなったそうです。


同性愛者に対する偏見だけが強かった時代に、ゲイのヒーローが必要だからという理由で、ある意味、シップルのカムアウトを“政治的に利用した”とも受け取れるハーヴェイ・ミルクの行動について、みなさんの考えは?


ちなみに、事件について、補足すると、シップルが新聞社を訴えていた訴訟の多くは、法廷で、新聞社の言論の自由が支持されて、シップルの望んだような結果にはならなった、そうです。


また、シップル自身は、メディアに告げたミルクに対しては、悪感情は抱いていなくて、事件後も、ふたりは連絡をとりあっていた、とのことです。


そして、シップルと家族との関係ですが、母親は、最終的には、シップルのセクシュアリティを「受け入れた」とのことですが。


※事件の要約は、Oliver Sippleのウィキペディアのエントリーから要約しました。



9月25日(土)【レズビアン&ゲイの英会話クラス☆レインボー】レギュラークラスのテーマはアウティングの倫理 The ethics of "outing"でした。(講師はアッシュレイ先生)