<日本ハム2-1ロッテ>◇14日◇東京ドーム

 日本ハム梨田昌孝監督(58)が今季限りで勇退することが14日、分かった。2年契約が満了する今季で通算4年間、現場トップを務めたことで、一区切りをつけることを決断。チームが世代交代を図る流れの中で、今季の成績にかかわらず、後進に道を譲ることが得策と判断した。在任中の09年にリーグ優勝するなどの手腕を買い、球団側は水面下で慰留したが、梨田監督の意志が固いことから断念。同監督は近日中にも正式表明し、2年ぶりのペナント奪還で花道を飾るつもりだ。

 梨田監督が優勝争いのさなか、静かに4年間の政権に幕を引くことを決めた。14日までに、2年契約が満了となる今季限りで退く意向を球団側に伝えた。過去3年間でBクラスは昨季4位の1度だけで、09年にはリーグ優勝。今季も2位以上確保は濃厚な情勢で、球団側は慰留したが、周囲の関係者によれば翻意は「極めて厳しい」。同監督は退路を断つことで、残された戦いに集中する道を選んだ。

 08年から指揮を執って今年で4年目。06年に44年ぶり日本一、07年に球団史上初のリーグ連覇を果たしたトレイ・ヒルマン前監督(48=ドジャース・ベンチコーチ)の後任に指名された。前監督は米への帰国希望が強く、メジャーの監督に就任するという夢を追ってという経緯で辞任した。低迷球団ではなく、前年の優勝チームを率いるという異例の難役だったが、迷うことなく引き受けた。

 その際の使命の1つが、生え抜きの若手主体の編成にするチームの世代交代だった。今季を含めて上位安定の成績をキープしながら、並行して中田を筆頭に有望株を次々に台頭させていった。09年のリーグ優勝に貢献した1人、武田久をセットアッパーから抑えに配置転換し成功するなど、現有戦力の改革にも着手。フロントとも一枚岩となり、常勝球団へと向かう流れを強くした。

 その達成感からか、今季の開幕前からラストシーズンにすると心に決めていた。そして開幕直後からソフトバンクとマッチレースを展開。優勝争いを繰り広げる中、身を退くことがチームにとって本当にいいことなのか、自問自答した時もあった。シーズンも佳境に突入し、来季以降の球団構想を含め多角的な面から熟考。後進に道を譲ることがベストと結論を出し、引き際の美学を貫いた。

 球団側は既に水面下で後任候補をリストアップ。ヒルマン前監督-梨田監督の流れを継承できる適任者の絞り込みに入る。編成トップが8月下旬から9月上旬に渡米。独創的な強化策で鳴らしている球団だけに、日本球界出身者だけではなく、外国人を含め、幅広い視野で人選に入るもようだ。

 チームはこの日、ロッテに逆転勝ちし、首位ソフトバンクとの差を6に縮めた。梨田監督は一区切りをつけ、残り28試合に臨む。近鉄の選手、監督時代、そして日本ハムでもなし得ておらず、「もう1度挑戦したい」と語っていた悲願の日本一へ-。花道を飾るため、全精力を注ぎ込む。

 ◆梨田昌孝(なしだ・まさたか)1953年(昭28)8月4日、島根県生まれ。浜田高から71年ドラフト2位で近鉄入団。79年から5年連続パ・リーグ盗塁阻止率1位の強肩捕手。打席で両腕と両足をクネクネ動かす「コンニャク打法」が有名だった。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞4度、球宴6度出場。88年現役引退。通算成績は1323試合、打率2割5分4厘、113本塁打、439打点。評論家を経て93年に作戦バッテリーコーチで近鉄復帰。96年から2軍監督を務め、00年に1軍監督就任。1年目は最下位に終わるも翌01年に近鉄を12年ぶりのリーグ優勝へ導く。04年まで監督を続け、球団消滅とともにユニホームを脱いだ。評論家活動を経て07年オフ、ヒルマン前監督の後を受けて日本ハム監督に就任した。178センチ、86キロ。今季推定年俸1億1000万円。