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2011年9月8日5時9分
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3月15日の雨、放射性物質運ぶ 原発北西方向に「帯」

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図:北西方向の帯の地図拡大北西方向の帯の地図

 東京電力福島第一原発から北西に帯状に延びた高濃度の放射能汚染地帯は、3月15日午後の気象条件が重なり形成されたことが日本原子力研究開発機構の解析でわかった。2号機の事故で放出された大量の放射性物質が雨で地表に落ちた。降雨がなければ、汚染度は大幅に低くなったという。

 北西の帯は原発から約40キロの長さで浪江町、飯舘村周辺。政府が今月1日に公表した線量調査でも、高線量地域は北西方向と原発周辺に集中していた。最高(地上1メートル)は警戒区域が大熊町夫沢(原発から南西約1キロ)の毎時139マイクロシーベルト。計画的避難区域では、浪江町昼曽根(同北西約22キロ)で毎時41.3マイクロシーベルトだった。

 チェルノブイリ原発事故の強制移住対象となった汚染レベルでみると、該当面積は東京都の4割、800平方キロメートルに及ぶ。

 同機構の永井晴康・環境動態研究グループリーダーの推定では、大量の放射性物質が事故で2号機から放出されたのは3月15日の午前7〜同11時と、午後1〜3時の2回。特に午後の2回目の放出ではガス状の放射性物質などが集まった放射性プルーム(放射性雲)が、西から次第に北西方向へ流れた。県内各地で線量が上昇。夕方には飯舘村(原発から北西約39キロ)、福島市(同約63キロ)でも上がった。

 このときに雨で放射性物質が地表に落ち、帯ができたと見られる。気象庁によると、飯舘村では午後5時から約半日、1時間あたり0.5〜1.5ミリの小雨が観測されている。機構の午後6時の降雨分布の解析でも、北西方向では多くで雨が降っていた。

 1回目は、プルームは正午ごろまで南から次第に南西に流れたが、降雨がなかったので深刻な沈着にならなかった。

 名古屋大の山沢弘実教授は「風が弱く、ゆっくりした動きで放射能濃度が高くなったが、雨の影響が最も強かった」と指摘する。

 3月12日午後3時36分に起こった1号機の水素爆発では、プルームは海へ流れていた。夕方ごろから北へ方向を変え、南相馬市(同北約24キロ)では同9時には通常の400倍にあたる毎時20マイクロシーベルトになったが、すぐに下がった(現在は毎時0.43マイクロシーベルト)。永井氏は「雨が降っていなかったことが、北西との違いになった」という。(石塚広志)

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