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2010-09-27up

フリーランスライター 畠山理仁の「永田町記者会見日記」~首相官邸への道~

第25回

菅改造内閣で記者会見オープン化はどうなる?
(その3)

●思いがけない形で新たなオープン化の可能性が

 今回の菅改造内閣の閣僚人事で、事前に私が注目していたのは次の2点だ。

1.記者会見のオープン化を実行した岡田克也外相の処遇
2.記者会見のオープン化に一度も言及しなかった前原誠司国交相の処遇

 結果的に、「内閣改造で記者会見オープン化が後退するのでは」という私の懸念は思いがけない形で解決された。岡田前外相が民主党幹事長に就任するのと同時に、前原前国交相が外相に就任したからだ。
 岡田前外相は記者会見のオープン化を“当然のこと”と認識し、実際に実行してきた。そして皮肉なことに、記者会見のオープン化に消極的だった前原氏が国交省を去ることで、国交相の記者会見がオープン化される可能性が出てきた。
 外務省は岡田前外相時代、すでに「記者会見のオープン化」をシステムとして完成させている。記者クラブへの加盟、非加盟に関わらず、平等に情報提供をしてきた。また、会見に定期的に参加するフリーランスには「記者会見用アクセスパス」も交付した。ここまでシステムが完成していれば、後任の大臣が“改悪”することは困難だ。
 もし、前原外相が記者会見を閉じようとすれば、「時代に逆行する」との謗りを受けるだろう。理由は簡単。国民にとって「記者会見をクローズにするメリット」など、どこにもないからだ。実際、前原外相は就任記者会見で“岡田ルール”を踏襲することを認めた。
 一方の岡田氏は、幹事長に就任するとすぐに情報公開を一歩先へと進めた。これまで月曜日に週一回開催されていた幹事長会見を、月木の週二回に拡大したのだ。第一回目の記者会見では、司会者が「そろそろ時間ですので」というのを岡田幹事長自らが制して「まだいいですよ」と、質問がなくなるまで会見に応じた。
 以前もこの連載で述べたとおり、岡田氏は昨年9月18日、「私がすべての大臣になれば、(記者会見は)全部オープンになると思います」と語った人物である。そしてそれを着実に実行してきた。菅内閣が口だけで一向にオープン化しない官房長官会見も、岡田氏が官房長官になっていれば簡単にオープンになっていたかもしれない。

●「手を挙げてはいけない」というクラブ規約はなかった

 9月17日深夜。私にはこの日最後のミッションがあった。それは新しく就任した馬淵澄夫国交相に、記者会見オープン化の意志があるかどうかを確認することだ。
 前述したように、前原前国交相は記者会見のオープン化に消極的な大臣だった。その前原大臣は国交省を去った。そして私は後任の馬淵大臣が、記者会見オープン化に積極的だとの事前情報も得ていた。私はこれまでオブザーバー扱いで質問できなかったが、就任会見のどさくさに紛れて、馬淵大臣に直接質問するつもりだった。
 少し解説する。国土交通省の記者会見は、国土交通省の記者クラブである国土交通記者会が主催している。100人以上の記者が加盟する国土交通記者会には規約があり、記者クラブに所属しない記者は質問権のない『オブザーバー』としてしか参加を認められてこなかった。この状況を「記者は誰でも質問できる普通の状態」に変えるためには、まず、どうしても馬淵大臣の意向を確認する必要があった。
 私は記者クラブの幹事社に会見への参加を申請すると同時に、就任記者会見をUstreamで中継したい旨を伝えた。するとOKが出た。実は国土交通記者会の規約には、総務省記者クラブなどと違い、個人の資格による動画撮影、インターネット中継を禁止する規約がないからだ。

【馬淵澄夫国交相記者会見】
http://www.ustream.tv/recorded/9630908

 私は幹事社とのやりとりで、「オブザーバーの私も質問していいですか」と聞いてみた。案の定、「オブザーバーの方は質問できません」という返事が返ってきた。幹事社といっても、質問を認める権限はないのだ。

「でも、手を挙げて『意見』を言うかもしれません」
「会見では幹事社が最初に質問して、各社どうぞ、となります。そうすると、わりと皆さん自由に質問されています」
「じゃあ、もし大臣が当ててくれたら発言します。オブザーバーに質問権がないことは理解していますが、大臣に会見オープン化の意志があるかどうか聞きたいんです」
「何度も言いますが、基本的にオブザーバーの方は質問できません。でも、ひょっとしたらそういう質問が出るかもしれない、ということは広報に伝えておきます。会見はオープンになったほうがいいと思っていますから」

 幹事社から完全な了解が得られたわけではない。しかし、私は会見の場で手を挙げて、発言することを決めた。クラブの規約には「オブザーバーは手を挙げてはいけない」「オブザーバーは発言してはいけない」とは書かれていなかったからだ。

●質問が禁止されている会見で馬淵澄夫国交相に質問

 23時50分過ぎ。馬淵澄夫国交相が国土交通省5階の記者会見室に入ってきた。大臣の冒頭発言の後、幹事社からの質問が2問あった。そして予定通り「各社さん、どうぞ」の声がかかった。私は手を挙げた。

「すいません、大臣」

 大臣が私の方を見て頷くのを確認すると、私は「発言」した。

「国土交通省の記者クラブのルールでは、(オブザーバーは)質問ができないということになっていますが、質問してよろしいでしょうか」

 明らかに「発言」ではなく「質問」だったが、大臣は怒らずに「はい、どうぞ」と許可してくれた。あとは記者クラブの人たちに怒られればすべてが終わる。

畠山:昨年9月の政権交代以来、外務省、金融庁、総務省、環境省など、多くの省庁で記者会見のオープン化が進みましたが、なぜか国土交通省だけは記者会見がオープン化されず、今日のように私のようなフリーの記者が質問するということが認められてきませんでした。
 大臣は、今後も質問を記者クラブに所属する記者だけに限定するおつもりなのか。それとも質問を認めないとしたら記者クラブのルールによるものなのか。この点をお伺いしたい。それと、私は大臣御自身は記者会見のオープン化に積極的だと思っていますが、前原大臣がかたくなにクラブ限定の記者会見にこだわった理由、それから馬淵大臣との間で何かやりとりがあったのかを教えてください。
大臣:お答えできるところとできないところがあります。私がお答えできることは、私の考え方ということで申し上げれば、オープン化というのは私は本質的に進めるべきだと思っております。
 具体策に関しましては、また現実の方法としていろいろと御相談申し上げなければならないと思っておりますが、私の考え方としては基本的にはオープン化を進めるべきだと、このように思っております。
 お答えできない部分は、私の考えではない部分で、理由は何かと言われれば、これは御当人に聞かなければわからない部分でもありますので、私は差し控えさせていただきたいと思います。
 やりとりということにつきましては、このオープン化については各省さまざまな取り組みをしておりますので、その省の取り組みというものを整理して御提示したということは、これは大臣にということではなく、我々政務三役の中でそういった議論をしたことはございます。以上です。

 さらに大臣と記者クラブの記者との質疑応答は続く。そのやりとりと同時にツイッターのタイムラインも眺めていた私は、「具体的な方法については明言せず」というツイートを見つけた。確かにこれは確認する必要がある。私は再度、手を挙げた。

畠山:質問を禁止されている場で質問をしてしまい、次から入れてもらえない可能性があるのでもう一つだけお聞かせください。大臣御自身はオープン化を進めるべきだとのお答えを先ほどいただきましたけれども、具体的にどうされるのかという点をお聞きしたいと思います。
 例えば私が次回、記者クラブ側から参加を断られたり、質問ができないとなった場合に、行政刷新会議や環境省のように、通常のクラブの会見に入れない記者達の求めに応じて別のオープンな形での記者会見を開くのか。それとも記者会見の主催を外務省のように大臣主催にしてオープンにするのか。「有言実行内閣」の一員として、具体的な方法と、その時期についてお聞かせいただければと思います。
大臣:そのことを踏まえて先ほど申し上げたつもりなのですが、具体的な方法というのは様々あると思いますので、その中で最も適したものということを判断して進めてまいりたいと思っております。
 私もこうした会見が記者クラブさんの主催であるが故に、国土交通省側ではないということもよく承知をしております。今後はどういった形ができるかということについては、今日もう既に私自身進めるべきではないかということを大臣官房の方に申しておりますので、これを具体的に進めていく思いであります。時期に関しては繰り返しになりますけれども、しっかりと検討して、早期にそういった形で進めさせていただければと思っております。

●ルール破りの質問にも記者クラブの記者は優しかった

 馬淵国交相の就任会見が終わった後、私は記者クラブの幹事社をはじめ、記者クラブの記者たちにルールを破ったことの非礼を詫びに行った。ものすごく怒られることを覚悟していたが、意外にもみなさんとても優しかった。
 記者クラブに所属するある記者は、こう言った。
「クラブの規約はずいぶん昔に作られたもので、それがずっと続いてきた。規約を変えるにはクラブ総会を開かなければいけない。これは手続きに時間がかかるかもしれない。でも、事実上は誰でも質問できるから…。次に質問しても怒る人はいないと思うよ」
 また、別の記者はルールを破って質問した私の行動を、こう評してくれた。
「なかなか面白かったよ(笑)。いいもの見せてもらった」
 私はその記者に「お騒がせしました」と一礼し、国交省を後にした。
 すでに日付は9月18日。昨年9月の政権交代後、私がフリーランスの記者として初めて岡田克也外相(当時)に質問した日から、丸一年が経っていた。

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記者会見のオープン化は、
担当大臣の考えと実行力一つで可能になるのだ、ということが、
岡田前外相によって証明されました。
そしてまた一つ、「国交省」の記者会見がオープンになろうとしています。
政権交代から1年。しかし、ここまでの道のりは、
意外に長かった、のではないでしょうか? 

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畠山理仁さんプロフィール

はたけやま みちよし1973年愛知県生まれ。早稲田大学在学中の1993年より週刊誌を中心に取材活動開始。1998年、フリーランスライターとして独立。興味テーマは政治家と選挙。米国大統領選、ロシア大統領選、台湾総統選など世界の選挙も取材。大手メディアが取り上げない独立系候補の活動を紹介した『日本インディーズ候補列伝』(大川豊著・扶桑社刊)では取材・構成を担当した。 昨年9月18日、記者クラブ加盟社以外にも開放された外務大臣記者会見で、フリーの記者として日本で初めて質問。今年1月22日には、東京地検からの事情聴取直後に開かれた小沢一郎・民主党幹事長の記者会見を、iPhoneを使ってゲリラ的にインターネットで生中継し注目される。twitterでは、 @hatakezo で日々発信中。

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