2011年7月20日水曜日

陸前高田で聞いたお話(2011.7.16-17)


「避難所となった学校は人でいっぱいだった。小4の息子も学校ごと避難したが、男子はみな立ったまま一夜を明かし、女子を優先して座らせた。もちろん横になるスペースなどなかった」(看護士・女性)

「ゆいいつ津波を免れた病院には人が押し掛けた。津波でずぶぬれになり雪で冷えきった人たちの服を脱がせ、入院患者の布団や毛布をはいで渡した」(看護士・女性)

「ふと振り返ると一緒に逃げていた祖父母が、津波に飲み込まれていくのが見えた。必死に走って逃げた」(小学生男子。伝え聞き)

「もともと生活に困っている老人が多く住んでいる市営住宅。建物の被害こそなかったが、買い物をしていた商店はすべて流され、遠くに行く足(車)もない。公的な支援は一切受けられない。避難所に支援物資を分けてもらいに行くと、家を失った人に罵倒され、追い返される」(看護士・女性)

「もう何人もの人が自殺している」
「つないでいた手の先がなくなって、腕だけになっていたという人もいる」
(看護士・女性)

「旦那と息子に、10代の孫を連れて、先に逃げろと言われた。二人は3日後、車の中で発見された。渋滞に巻き込まれているうちに津波にやられたんだろう。残ったのは二人の孫とお嫁さん。数週間後、流された金庫が見つかり、証書や通帳、印鑑が戻った。4月から孫のひとりは仙台の専門学校で一人暮らしを始めた。孫をしっかり育てなきゃ二人に申し訳ないから、頑張ります」(80歳女性)

高台にある老人ホームで働く女性との会話
「今、妊娠5ヶ月なんです」
「震災あとに妊娠がわかったんですか?」
「はい、そうです。亡くなった方の分も、しっかりいい子を産みます」
この日、彼女の勤務は午後4時から翌日の午前9時まで
「体、つらくない?」
「いつ地震があるかわからないから、稼げるうちに稼いでおかないと!」

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