2011年6月1日11時10分
被災者を前に、哲学は有効か。東北など全国に広がる「哲学カフェ」と呼ばれる場で、東日本大震災をテーマにした議論が始まっている。体験や意見を語り、対話を深め、未曽有の震災と向き合おうとしている。
■「なぜ生き残ったか」
JR福島駅近くの多目的スペースで21日、第1回となる「てつがくカフェ@ふくしま」があった。テーマは「いま、〈ふくしま〉で哲学するとは?」。参加者は参加費200円を払い、コーヒーを手に着席した。
「こんなテーマで始めたくなかったんですけど」
主催者の一人、小野原雅夫福島大教授(倫理学)が切り出した。もとは3月下旬、「〈ともだち〉とは誰か?」とのテーマで初開催を迎えるはずだった。テーマを変え、参加者はそれぞれの3・11後を語った。
対等な立場で対話するため、哲学カフェでは「○○さん」と呼び合う。佐藤さん(23)は「すごい能力を持っているのに亡くなった人もいる。その中で生き残り、何をすればいいのか……」と心情を吐露した。
杉岡さん(35)は、沿岸部と内陸部で被害に差があった相馬市から来た。「なぜ私たちが生き残ったのか。生き残った人に『なぜ選ばれたと思うか』と尋ねても、結論は出ない」
参加者は、人の生死という深遠な「命題」を語るものの、対話がかみ合うのは容易ではない。しかし、哲学用語を駆使して議論をするだけが哲学ではない。
進行役を務めた福島商高の渡部純教諭は言う。「市井の人が語る言葉が、いかに普遍的なものに通じるか。対話を通じ、問いを突き詰めていけば、哲学は力を持てるのではないか」
一方、宮城では、中断していた哲学カフェが再開し始めた。4月末、JR仙台駅近くのファストフード店。東北大の永本哲也専門研究員らが昨年から続けている「仙台哲学カフェ」が開かれた。
「妹と2人、小規模な遺体安置所を10カ所回り、両親の遺体を確認しました」
「避難の時、逃げた車の窓ガラスまで津波がきた」
震災前は、「時間の使い方」といったテーマを設定していたが、この日はあえて定めなかった。それでもおのずと、参加者の口からは震災体験が飛び出した。
仙台には、別に「てつがくカフェ@せんだい」もある。進行役の東北文化学園大の西村高宏准教授(臨床哲学)は、6月18日からの再開を決めた。「いま、哲学は目の前の人を助けられないかもしれないが、何年か後、哲学で考えたことで救えるかもしれない」
参加者は哲学カフェに何を求めているのだろう。
仙台哲学カフェに出た森忠治さん(34)は、食料、ガソリンに続くライフラインを「対話」と考える。
「人間はコミュニケーションをとらないと生きていけない。『自分は生きていい』と他者から認められるためには、対話が大切。対話を重ねることで、考えが深まったり、進んだりすると思います」
■2000年代 日本で広まる
哲学カフェは、1992年、パリで哲学者のマルク・ソーテが始めたものが有名だ。日本では2000年代に本格的に広まり、大阪大臨床哲学研究室の教員や院生らが運営組織・カフェフィロを立ち上げた。
年齢や職業に関係なく、参加者は対等▽人の意見をよく聞き、自分の意見を押しつけない▽哲学用語は使わず、使っても長々引用しない――がほぼ共通したルール。身近な事柄を扱う。
カフェフィロの関係者が5月に大阪や東京で開いた哲学カフェでも、震災がテーマになった。「祈りは被災者のためになるか」といった「命題」が出たという。
カフェフィロ副代表の本間直樹大阪大准教授(臨床哲学)は「震災はいつ遭遇するか分からないが、遭う確率は低くはない。中長期的に物事を考えるのは哲学の使命。哲学カフェは、一度きりでなく考え続ける場を提供できる」と話す。(大室一也)