原子力資料情報室通信』312号(2000年5月30日発行)
チェルノブイリ事故から14年の現地を訪ねて
渡辺美紀子

 チェルノブイリ事故から14年が経過したこの4月26日、ロシアのショイグ副首相兼非常事態相は、事故処理に当たった旧ソ連の作業員86万人のうち5万5000人以上がこれまでに死亡したことを発表しました。また、ロシア保健省のメスキフ主任専門官は、事故処理作業員の3万人以上がロシア国内でこれまでに死亡し、そのうち38%が将来を悲観した自殺であることを明らかにしています。
 ウクライナ非常事態省は、同国内の被曝者数約342万7000人のうち病気にかかっているのは、10代の子どもを含む大人では82.7%、10歳未満の子どもは73.1%で、作業員は86.9%で最高と指摘しました。
 ベラルーシのルカシェンコ大統領は、同国総面積の23%が事故で汚染され、50万人の子どもを含む、住民の5人に1人が被曝、汚染地域に約200万人が居住、または勤務していると述べました。
 被災地では、健康被害がますます顕在化しています。あらゆる病気が現れ、とくに血液・血液循環系疾患、消化器系疾患、甲状腺がんなどが急増しています。また、経済状況の悪化で、年金や補助金がカットされたり、支給が滞ったり、また、無料だった病院での治療費が有料となったりと、被災者たちは何重もの苦しみの中にいます。

墓場のような光景
 私は今中哲二さん(京都大学原子炉実験所)ら9人のメンバーで、この3月27、28日の両日、原発現地に入りました。今なお残る放射能汚染の状況を目の当たりにし、あらためて強烈なショックを受けました。
 無人の街と化したプリピャチ市、住民が避難した後の荒れ果てた家々など、すべてに胸を打たれましたが、なかでも、事故処理に使われ、汚染が強いためにどうすることもできず、風や雨にさらされたままヘリコプターやトラックなどが打ち捨てられている、まさにT墓場Uのような光景は衝撃的でした(写真)。チェルノブイリ原発から南約25キロの地点に有刺鉄線で囲っただけの敷地におよそ2000台。大型の軍用ヘリ、アフガン侵攻にも使われ、この地では汚染された表土を取り除くブルドーザーとして使用された装甲車、戦車、消防車などが延々と並べて放置されているのです。
 これらを動かすためにどれだけ大勢の人々が動員されたことか。「まるで戦場だった」という光景が目に浮かんできます。これらの作業にたずさわった人々がさまざまな障害に苦しみ、すでに5万5000人以上が亡くなっているのです。こんなにも大きな損失だっだのだとあらためて実感しました。

立ち入り禁止ゾーンの中の生活
 4号炉から放射能がもれないよう鋼鉄やコンクリートでおおわれた巨大な「石棺」を約200m離れた地点からみました。荻野晃也さん(京都大学工学部)のGM(ガイガー・ミュラー)測定器は1時間当たり25マイクロシーベルトを示しました。自然放射線の約250倍です。石棺が危機的状況にあることを感じました。
 3号炉は西側諸国からの警告にもかかわらず、エネルギー不足を理由に運転が続けられています。夜、アパートのかなりの部屋に明かりがついていました。もちろん、家族と定住しているのではなく、4日働いて3日休みとか、相当量被曝する仕事では2週間働き2週間休みなどさまざまな勤務シフトがあるそうですが、チェルノブイリ市にはつねに約3000人の労働者が滞在しているとのことです。夕食後、真っ暗な道を歩いて行ったバス停の2階にあるカフェは、30kmゾーン内で働く人々でにぎわっていました。また、朝、大勢の人が通勤のため足早に職場へと向かうのを見て、ここが立ち入り禁止となっているゾーン内であることがとても不思議に思われました。3月29日、ウクライナ政府は3号炉を今年中に停止し、チェルノブイリ原発の全面閉鎖を決めました。閉鎖後、このゾーンはどうなるのでしょう。

汚染地に生きる人々の声
 ゾーンの西側のチェックゲートを出る前にトイレを借りました。お礼を言って、車に戻ろうとすると、作業をしていた2人に呼び止められました。私たちは日本から来たと言うと、「日本にはとても親しみを感じている。ヒロシマも知っている」、そして「ここに住んでいていいと思うか」と聞かれたのです。言葉の問題もありましたが、「イズビニーチェ、ニ、ズナーユ(ごめんなさい。わからない)」としか答えられませんでした。汚染した土地には住まない方がいいのは当然のことですが.........。
 私は、彼らのように不安を抱えながら汚染地で生きている人々のことを決して忘れてはならないと思いました。国連人道問題調整事務所が出した報告書には、放射線の後遺症が出る期間には個人差があるので、少なくても30年、2016年までは事故の被害の全体像は判明しないとあります。現地でも、簡単に解決策がない苦しみから逃れるため、「チェルノブイリはもう終わった」という空気も強いと聞きます。これからも現地の人たちとの連帯を大切に、私たちにできることは何かを考えながら、チェルノブイリの実態を監視し続けます。そして、被災者が自らの命を犠牲にして教えてくれた放射能被害の実態を把握し、次の世代にも伝えていかなければなりません。