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■渡邉真弓(“allo?”)写真展 eternal now(永遠の今) (2016年7月1~6日、札幌)

2016年07月06日 07時07分07秒 | 展覧会の紹介-写真
 最初に、つづりの話から。
 札幌の写真家/デザイナー渡邉真弓さんが、サイトの名などに以前から用いている「allo?」は、正式には「allô?」と表記する。
 「ô」は「o」の上にサーカムフレックス(=山形記号)がついた文字で、フランス語の「allô?」は英語の「hello?」に相当する。

 今回は、アルテピアッツァ美唄から実に5年ぶりの個展で、彼女が開いている「女性のための写真教室」写真展「まなざし」も同時開催されている。




 個展の初日に、オープニングイベントとしてフォト・トークが開かれたので、お話をきいてきた。
 
 だいたい年代順に箇条書きにすると、つぎのような感じになると思う。

・初ボーナスでポラロイドカメラを買ったのが写真にのめり込んだきっかけ。一部が革装でおしゃれなカメラ。ポラロイドのフィルムは高いので、ヨドバシに行ってまとめ買いして、ポラロイド貧乏(笑)になっていた。

・いっしょにいる人に「きれいだね」と言っても、おなじものを見ているとはかぎらない。自分の視点を共有できるのがカメラの良いところ。

・「何気ない毎日こそ美しい」が私のキーワード。それはポラロイドカメラを買って最初にシャッターを押したときから変わらない。

・新婚旅行にもポラロイドカメラを持っていった。ポラスタギャラリーというサイトに「はじめてのハワイ」と題して応募したら第1位になった。親類から「個展をやったらいいっしょ~」と言われ、はじめて開いた。(ヤナイさんはそのときから見ています)

・2005年にキヤノンのデジタル一眼を購入。勢い込んで中級機を買ったが、レンズ別売りということを知らず、箱を空けたらレンズが入っていなかった(笑)。ダンナに「明るくて食べものが撮れて、風景も撮れるものを―って言いなさい」と言われ、シグマのレンズを購入。

・そのころ、祖父から二眼レフもいただいた。今も使っている。ただ、カメラにこだわりはない。ミラーレス、フィルム。フルサイズ一眼、その場の空気感をとらえられそうなものを使う。何で撮るかより、何を撮るかの方が大事

・ブログを見た「女子カメラ」誌編集部からメールが来たり、「cute photographer おしゃれな写真が撮れる本」で風景写真の頁を担当したりして、だんだん写真の仕事をするようになった。

…とまあ、これが前半だが、自慢話にも失敗話にも偏らず、笑いを織り交ぜながらの話はとっても楽しかった。

 後半は、紀伊國屋ギャラリーで個展を開いたときはじめて大きなプリントを作ってうれしかったこと、写真教室を始めたきっかけ、アルテピアッツァ美唄での個展、写真を撮るときに考えていること、さらには、今回の個展で額を特注したこと(「額がいいですねって言われるとビミョーだけどうれしい」と笑う真弓さん)などを、展示に至らなかった作品も含めて映しながら話していた。




 話を聞きながら、むかしのことも懐かしく思い出したけれど、ちょっとだけ感想を書いておく。

 最初のほうで、ポラロイドカメラで撮った作例が投影されたのだが、そのうちの、サッカーボールをとらえた1枚に驚いた。
 いわゆる「日の丸構図」になっていないのはもちろんなのだが、ボールを左下に寄せて、地面の部分を広くとっている。ふつう、初心者は、こんな思い切った構図にはしないだろう。
 そのとなりにあった、フォルクスワーゲンのような自動車を撮った1枚も、本人は「ナンバープレートが入らない方がいいかなって思って」とすずしい顔で話していたが、低い位置から、車の一部分を切りとるようにカメラを構えるというのが、びっくりである。

 これって、やっぱり、生まれ持ったセンスなのかなあと思う。そういうと、身もふたもないのだけれど。「個性」っていえば、いいのだろうか。




 自動車のポラロイド写真を見て気づいた彼女の写真の特徴は「全体像をあえて撮らない」ことだと思う。

 対象にぐっと近づいて、その一部だけを切りとることによって、そこに写っていない部分を見る人に想像させるのだ。
 そこに、余韻が発生する余地がある。




 紹介が後回しになってしまったけれど、個展の壁に展示されたのは21点。
 ポラロイド時代からのこだわりなのか、すべて正方形のプリント。額装されているが、マットの部分はない。

 朝の光に包まれた部屋と壁に掛けられた鏡にうつるベッド(これは日高管内浦河町のホテルの一室とのこと)。

 透明なビニール傘にびっしりついた雨粒(これは、傘の金具がわずかにさびているところがミソだ)。

 枯れたアジサイ。
 雨上がりのぬれた芝生。
 時の経過でほつれたカーテン。

 ささやかだけれど、たしかにうつくしい一瞬がそこにある。

 写真はその一瞬をずっと閉じ込める。
 まさに「永遠の今」だ。




 
そうやって日々の中で積み重ねることで、ささやかで小さいけれど確かに大切にしたいものを大切にできているかを確認する。そういう「今」の繰り返しが(…)未来や過去になるのなら、絶えず前に進むしかない時の流れというものも、案外悪くないのかもしれない。そう思う。


 会場には、やや長文の自筆のテキストが掲げられていて、写真家の聡明さがにじみ出ている。だから、本来は、筆者ごときが付け加えることは何もない。上に引いたのは、その末尾の部分だ。

 写真というメディアはその性質上、現実世界と切り離すことが難しく、そのぶんドキュメンタリーやジャーナリズムと親和性が強い。しかし、渡邉真弓さんの写真は、あくまでも身の回りの世界を見続けている。むろん筆者はそのことを「社会性が足りない」などと批判するつもりはない。意思を持って「小文字の表現」であり続けることも、わたしたちの権利なのだ。筆者は、村上春樹のエッセーに出てくる「小確幸」という造語を思い出す。「小さいけれど確かな幸せ」を略した語だ。しかし、ほんとうの哲学というのは、案外こういうところにこそあるのではないだろうか。

 とっちらかった、しかも長い文章になってしまってごめんなさい。
 ただ、写真はとても自由なものだと思う。だから、しっかりとスタジオで撮られた人物写真も、社会派のルポ写真も、写真であるのと同じように、「カメラ女子」が気軽に日常を切りとった写真も写真であって、どちらがえらいというようなものでは、絶対にない。
 それだけは言っておきたいです。


富士フイルムフォトサロン札幌(札幌市中央区大通西6)
2016年7月1日(金)~6日(水)午前10時~午後7時


http://www.allo-japon.com/
□写真展のFacebookページ https://www.facebook.com/allo.pic/
□twitter @allo_mayumi

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