西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

ピースクルーズ

2010-08-22 20:21:22 | 反戦・平和
I女性会議主催の【港めぐり】に出かけた。

佐世保基地を海から見てみようという取り組みである。

陸上からは分からない基地の様子が見えて、びっくりすることも多い。
このクルーズは毎年行われていて、私も今回で4回目である。
市外、県外からも参加があり、全部で70名もの人数となった。

今日の案内は息子のような、リムピース編集委員のHさん。
歯切れがよく、分かりやすくて、なかなかの解説ぶりだった。

最初に、米海軍佐世保基地の司令部がある平瀬地区から案内が始まった。



司令部横には、日章旗、星条旗、国連旗がひるがえっていて、在日米軍は国連軍として駐留しているとの説明を受ける。

次にジュリエットベースンへ。ここは小型船の上陸施設であるが、現在は揚陸艦のための大型岸壁を建設中である。
ここから、私たちが乗っている船の横を、米軍のセキュリティ船が猛スピードで並走してくる。



4年前に原子力空母リンカーンが入港した際、抗議船を出していた市民に向かって、機関銃を向けた船である。


( リムピースHPより )

今日も、3隻のセキュリティ船が交替で私たちが乗った船を追いかけ、写真を何枚も撮っていた。



立神桟橋には、自衛隊の艦船が泊まっている。イージス艦「こんごう」や「ちょうかい」の姿もある。



インディアンベースン、ドライドックを右手に見ながら、赤崎岸壁へ。
1996年に大型艦船が繋留出来る様になってからは、原子力潜水艦の停泊場所となり、一度に3隻もの原子力潜水艦が停泊したこともあるのだ。



すぐに、赤崎貯油所が見えてくる。
この貯油所と本船・庵崎・横瀬の貯油所を合わせると大型タンカー4隻分の貯油能力とのこと。すごいな~。
それは全部、軍隊のためのもの。つまり、戦争するためのものっていうわけなのだ。



そして、向後崎へ。
ここは佐世保港の港口、佐世保市向後崎と西海市寄船との間は800mほど。
外海がどんなに荒れていても、港口を入ると穏やかな港が広がって、佐世保市歌にも「波を鎮めのこの港…」と歌われている。
長崎港の10倍、横浜港の3倍という広さの佐世保港は、その83%が米軍への提供水域であり、私たちが勝手に使えない港である。



横瀬貯油所が見えてくる。



現在、この前の海を埋め立てて、LCACの駐機場と整備場を建設中であり、最終的には12機のLCACを受け入れる予定だとか、、、。


右手奥に、針尾の無線塔、浦頭引揚記念公園が見える。

自衛隊の針尾弾薬庫、米軍の針尾弾薬集積所も見えて来る。
ここは前畑弾薬庫の移転先として整備され、新たな弾薬庫が建設される予定だ。
規模は小さいけれど、沖縄の普天間と辺野古のような関係が佐世保にもあるのだ。


次は、LCACの整備場がある崎辺地区へ。



ここは、子どもの頃、長崎大学の水産学部があったところで、小学校の遠足で何度も来た事がある場所だ。
でも、今は陸からも海からも行くことは出来ない場所である。


いよいよ、前畑弾薬庫。



陸から見るより、海から見たほうがずっときれいな施設。
トンネル式の弾薬庫で、周りは緑の土塁で囲まれている。
現在、トンネル式12棟、小屋組木造式が22棟の34棟の弾薬庫がある。



弾薬庫の上には、住宅地が広がっていて危険だとして、針尾弾薬集積所へ統合移転する事が
いわれている。
また、2006年10月には、弾薬庫内の倉庫が火事になったが、米軍は佐世保市消防局の消火応援を拒否して、
延々5時間以上に亘って燃え続け付近の住民達を不安に陥れるという事態も起こっている。

最後は海上自衛隊の倉島地区。
5隻の護衛艦と3隻の掃海艦小型のタンカーなど、自衛隊の艦船が繋留されている。




約1時間半に亘る基地めぐりが終わった。
港から見る佐世保は、海からの侵入を防ぐためか?海際をフェンスで囲んだ不思議な街だった。


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