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被災地ボランティア、連休混乱の裏側

ニーズは無数、「社協」の限界

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「末広町方面、泥のかき出し、あと2名空いています!」「クルマある方いませんか~?」……。

宮城県石巻市の北部に位置し、東京ドーム9個分と広大な敷地を有する石巻専修大学のキャンパス。ゴールデンウイーク(GW)2目日となる4月30日の朝8時過ぎ、その5号館付近に設けられた災害ボランティアセンターの前に数百人のボランティア希望者が参集し、スタッフが次々と仕事先へ振り分けていた。ボランティアから「ボラセン」と呼ばれ親しまれている拠点だ。

ボランティアの登録を受け付けているテントに目をやると、なぜか「新規」の案内がある。事前に「4月29日から5月8日まで個人・団体ともに新規ボランティアの受け入れを中止する」と説明していたはずだ。受付のスタッフに聞くと、「せっかく来てもらったのに、帰すわけにはいかなくて……」との答え。何事もなかったかのように、淡々と登録作業を進めていた。

新規登録を済ませたばかりの、神奈川県相模原市から来たというIT関連企業勤務の岩田励二さん(43)はこう話す。「役に立ちたいと思っていたが、仕事の都合もあり、連休中の今日と明日の午前中しか活動できない。行ってみないと分からないので、来てみた」

受け入れ中止のはずが・・・

東日本大震災から1カ月半。大型連休に突入し、ボランティア熱が沸点に達した。ところが、その熱を冷ますかのように、各地の災害ボラセンは「受け入れ困難」のメッセージを発信した。石巻だけでなく、沿岸部の約30市町村に設置されたボラセンのうち約8割が連休前の段階で県外からの受け入れを中止。これを受けて新聞やテレビは「連休利用ボランティアお断り」「東北3県『供給過剰』」といった見出しで報じた。

だが、そうした情報を知らずに、あるいは、あえて訪れる人が後を絶たず、各地のボラセンは対応に追われた。最も多くのボランティアが集まった石巻では、連休初日の29日に前日の2.5倍にあたる772人、翌30日には945人の新規登録があった。

宮城県南三陸町の災害ボラセンのように連休に入って新規の受け入れを再開したところもある。受け入れ中止の事前告知で「殺到」が避けられた一方、急きょ新たな仕事が舞い込み、人手が足りなくなったからだ。その後、5月1日には受け入れ中止を再度、告知した。気仙沼市の災害ボラセンは連休終盤の5月5日に受け入れ再開を決め、6~8日は仙台駅から気仙沼市までの無料バスを用意するなど、一転、ボランティア集めに奔走した。

混乱の様相を呈する被災地ボランティアの現場。しかし、この連休を通して混乱なく、受け入れを続けていたボラセンもある。救いを求める声は、連休中も星の数ほどあった。

避難所に根を下ろす「勝手ボラセン」は受け入れ継続

石巻専修大学から南に5キロメートル下った場所、女川町方面に抜ける道路沿いに、旧北上川を遡上した津波が1階部分を打ち抜いた石巻市立湊小学校がある。連休が明けた今も約240人の避難者が寝泊まりし、周辺の自宅避難者300人以上の物資補給拠点にもなっている。周囲はガレキや汚泥が手つかずで残る場所が多く、自衛隊の車両やトラックが通るたびに土ぼこりが舞う。学校の裏手の墓園では流されて来たクルマが無残な姿をさらしたままだ。

ここに毎日、夕方になると、周囲の家屋で汚泥やガレキの撤去を手伝ったボランティアが泥だらけになって帰って来る。皆、校舎入り口付近に設けられた「湊小ボランティアセンター」から周辺の被害を受けた家屋に派遣された人たちだ。この湊小ボラセンの運営を続けている災害支援団体「チーム神戸」の金田真須美代表(52)は、こう言う。

「うちのボラセンでは連休中でも一般のボランティアをバンバン受け入れていましたよ。ここには仕事はいくらでもある。ボランティアが余るということはない。受け入れ中止なんて、とんでもない。本当にもったいないと思う」

金田代表をはじめ、阪神大震災以降、災害支援の経験が豊富なチーム神戸の面々が湊小で支援活動を始めたのは3月18日のことだった。あまりの惨状に「ボランティアの手がいくらあっても足りない」と判断した金田代表は4月頭にボラセンを立ち上げ、湊小避難所の運営者や、同じく湊小で長期的な支援に携わるNPO(非営利組織)やNGO(非政府組織)などと連携しながら、運営を続けている。

当初は避難所内の支援で精一杯だったが、汚泥にまみれた自宅に帰る避難者が増えると、金田代表は小さなハンドマイクを持って「何かお困りのことはありませんか。高齢者の方はいませんか~!」と叫びながら、周囲の住宅地を練り歩いた。そうして収集したニーズを、ボラセンにやってくるボランティアに紹介し、出向いてもらった。

仕事内容は汚泥やガレキの撤去が大半を占めるが、避難所に同居しているため、物資の運搬や清掃、高齢者の見守りや子どもの遊び相手といった避難所内のニーズにも臨機応変に対応している。連休前までに1日平均で30~50人、延べ1000人以上のボランティアが活動した。そして連休に入り、稼働率を一気に高めた。

連休初日の29日から5月6日の期間だけで、1日平均約200人、延べ1600人以上のボランティアを受け入れた。この湊小ボラセンは、いわば「勝手ボラセン」。ボランティアの活動人数として報道で紹介される数字にも含まれない、知られざるボラセンと言える。

一般ボランティアのほとんどが社協の災害ボラセンに集中

一般に災害ボラセンは、各市町村の社会福祉協議会(社協)がボランティア活動の受け皿として開設し、運営しているものを指す。もともと社協は、障害者や高齢者への福祉サービスを担う団体として各都道府県と市町村に設置されているが、近年はボランティア活動や市民活動の支援にも力を入れており、災害時の被災地支援にも取り組むようになった。震災後、岩手・宮城・福島の東北3県だけで65カ所にボラセンを開設、その地域でボランティア活動を希望する人に仕事を紹介する「マッチング」の役割を果たしている。冒頭の石巻専修大学にある災害ボラセンも、その1つだ。

一方、湊小ボラセンは社協とは関係のない独自運営。自らニーズを掘り起こし、ボランティアを受け入れ、解決している。連日訪れるボランティアは、「ネットや口コミで知った」という人がほとんど。やっていることは社協のボラセンと同じだが、活動範囲が小さいため行政や報道機関から注目されることはない。そうした勝手ボラセンが市内の全避難所に張り巡らされているわけでもない。

だから行政や報道機関は、各市町村に網羅されている社協のボラセンが発信する情報を拠りどころとし、ボランティアの「総本山」として扱う。「ボランティア=社協のボラセン」だと考える多くの一般ボランティアも、この社協のボラセンに集中する。ここに、混乱の一因がある。

社協側は、集中するボランティア希望者に対応するだけのリソースが不足している。ボラセンを運営するスタッフ自体も被災者であることが多く、現場の作業は連休が近づくにつれ、混乱を極めた。ボランティアが足りているのではなく、対応が難しいから「もう来ないで」となったわけだ。混乱の要因はもう1つある。「ニーズ不足」である。

汚泥やガレキ撤去が主な仕事

被災地にはすでに、災害支援に長けたNPOやNGOなど数多くの専門的な団体が入り込んでおり、風呂の設営や炊き出し、避難者の心身のケアといった世話を続けている。避難所内は一般ボランティアが介入する余地は少なく、自宅避難者の巡回もスキルや移動手段の面で難しい。

となると、一般ボランティアが活躍できる場面は汚泥のかき出しやガレキの撤去といった限られた範囲となってしまう。後者は危険を伴うため、活動できる場所は絞られる。そこで、せっかくボランティアに来てもらっても全員にあてがうだけの仕事を準備できず、ストップをかけざるを得なくなった。

中でも石巻の災害ボラセンは比較的、恵まれていると言える。倒壊を免れたものの津波被害に遭った家屋や商店などが密集しているため、一般ボランティアが活躍しやすい汚泥のかき出しやガレキ撤去の需要は多い。

連休初日の29日からは、オリックスから1日あたり15人ほどボランティアとして派遣された同社社員をスタッフ要員として活用し、処理能力を高めた。ただ、ニーズが急激に増えたわけではなく、最後まで連休中の「受け入れ中止」を取り下げることができなかった。

壊滅地域はさらにニーズが不足

同ボラセンのホームページには、こうある。「受付中止とさせていただいたのは、集まったボランティアを全て現場に派遣することが困難となったからです」「遠方からお出でいただいてもボランティア活動ができない状況が生じることから受付の中止といたしました」……。

結局は被災地ボランティアの供給がピークに達したこの連休でも、活動人数が激増、というわけにはいかなかった。すでに連休前から1日1200人以上をさばいていた石巻の災害ボラセンの活動人数は、連休初日の29日が1018人、30日が1466人、5月1日が1430人と推移した。

ニーズが多い石巻でもこうなのだから、ほかの地域は推して知るべしである。

家屋の8割が倒壊した南三陸町では、泥のかき出しを中心とする自宅避難者からのニーズがあまりない。8人のスタッフが避難所などを巡回してニーズを発掘しようと奮闘するも、南三陸町全体で受け付けた仕事の件数は連休初日が18件、2日目が5件、3日目の5月1日が6件と心許ない。

一方、4月28日に82人だったボランティア希望者は連休初日の4月29日に345人、30日には420人に急増した。29、30の両日は避難所にもなっている町立志津川中学校で開催されたイベント「福興市」の誘導係の依頼が急きょ舞い込み、ほぼ希望者全員に仕事を割り振ることができた。だが、福興市が終わった翌5月1日は、335人のボランティア希望者に対して活動できた人数は6割の201人と、綱渡りが続いている。

連休中に新規ボランティアの受け入れを中止していた気仙沼市の災害ボラセンも、石巻市や南三陸町と似たような状況が続く。集中するボランティア。それに十分にマッチングできるだけの体制もニーズもない。必死にその日をしのいでいるのが実情だ。支援の現場からは「社協だけに被災地ボランティアの受け入れを担わせるのは無理がある」という声があがる。

一方で、運営手法に疑問を呈する声も出てきた。あるNPOの代表は「社協は基本的に受け身。そもそも社協がボラセンの設置を始めたのは2000年の東海地方集中豪雨の時から。災害支援の歴史が浅く、現場での対応やニーズ発掘のスキルが弱い」と指摘する。そうした声を裏付けるような勝手ボラセンの活躍を、南三陸町と気仙沼市の災害ボラセンを結んだ海岸線の中間に見つけた。

「連休中だからこそ人を集めたい」

気仙沼の災害ボラセンが置かれている気仙沼市市民健康管理センターから南下すること23キロ、本吉町の外れに、主に養殖業や漁業で生計を立てる170世帯ほどの小泉浜という小さな集落がある。低地にあった90世帯が壊された。2次避難所や親せき縁者宅への移転が進み、地区の避難所「浜区多目的集会所」に身を寄せる被災者は約30人まで減った。そんな場所が、ボランティアでにぎわっている。

連休2日目の4月30日、集落の入り口付近で数十人の若者が人力で家屋の残骸を素材ごとに整理し、思い出につながりそうなモノを拾い集めていた。彼らは皆、浜区多目的集会所に拠点を構える勝手ボラセン「小泉浜災害ボランティアセンター」、通称「はまセン」の呼びかけに応じて全国から集まったボランティアだ。

「ボランティアがまだまだ足りない。連休中だからこそ人を集めたい。連休が過ぎると大学も始まるし、ボランティアがさらに不足する。ボランティア希望者がふんだんにいる、この連休こそがチャンスなんです」

4月20日にはまセンを立ち上げ、ボランティアの陣頭指揮を執る川上哲也氏(47)は、こう話す。「NPO法人の理事長として紹介してください」と言うが、本職は岐阜県議で薬剤師の資格も持つ。新潟県中越沖地震の支援経験もある川上氏は震災直後から南三陸町を中心に物資補給を繰り返していたが、3月22日からは活動の拠点を支援の空白地帯だった小泉浜地区に移した。

そうした話を聞いているそばから、ひっきりなしに川上氏の携帯電話が鳴る。「ありがとうございます。活動開始は一応、朝9時となっていますが、いつ来ていただいても大丈夫です。2時間でも3時間でも、いらしてください。うちはよそと違ってうるさいことは言いませんので」

小さな集落のボランティアが忙しいわけ

はまセンの常駐スタッフと言えるのは、川上氏を含めて数人。はまセンのブログや川上氏のツイッターを見たという人からの問い合わせが1日に何十件もかかってくるため、連休初日にはブログにこう掲載した。「GW中は作業が山ほどありますので、作業の有無については確認無しでお越しください。事前予約は要りません」

はまセンのブログに掲載されている作業内容は「ガレキの運搬、ガレキ処理作業、ビニールハウス解体、調理、家屋内片付け、それぞれ大募集!!」と具体的で、更新の頻度も高い。社協の災害ボラセンに「はじかれた」ボランティア希望者がネットや口コミで知り、徐々に集まるようになった。

4月29日から5月6日の期間に活動したボランティアの延べ人数は、じつに約2100人。一方、気仙沼市のほぼ全域を対象とする気仙沼市社協の災害ボラセンを通じた同期間の活動人数は、約3500人だった。はまセンがピークを迎えた5月4日には600人以上が汗を流しており、瞬間的に社協のボラセンの活動人数を超えている。

いったいなぜ、たった1つの小さな集落に、こんなに仕事があるのだろうか。その秘訣はニーズ発掘の妙にある。

毎朝8時になると、小泉浜の避難所には地域住民が集まり、避難所運営を任されている気仙沼中央公民館副館長の及川正男氏のもと、全体ミーティングが行われる。ここに、川上氏以下、はまセンのボランティアも参加する。住民からニーズを募るが、それに終わらない。「今日は○○さんのお宅付近、5世帯分の土地を徹底して片付けます。まだボランティアに入ってほしくない方がいらしたら手を上げてください」

ニーズを待つのではなく作る。この手法で次々と仕事を増やした。いまのところ、拒否した住民はゼロ。川上氏は言う。「この地域の方は奥ゆかしいというか、頼みたくてもなかなか言ってくれない。1戸1戸のニーズを待っていたら、とても間に合わない。まとまった面でやらないと」

被災者との信頼関係が新たなニーズを呼ぶ

作業が進むと手つかずだった被災地が、目に見えてきれいになっていく。それを見た住民が感嘆の声をあげる。5月6日、2カ月近く手つかずだった自宅付近のガレキの撤去作業に立ち会っていた佐藤ときよさん(48)は、ボランティアたちを見つめながらこう言った。

「市の対応を待っていたらいつになるか分からない。早めにやっていただいて、本当にありがたいです。しかも、いつか重機で一気にやられてしまうのかなと思っていたら、1つひとつ手で拾って、こんなに丁寧にやっていただいてね」

おばあさんが行方不明で自衛隊員の夫はほとんど帰ってこず、知的障害を抱える息子の世話をしながら親せきの家に身を寄せている。一度、跡形もなく流された家の周辺で思い出の品を探そうと出向いたが、ガラスの破片で額を切ってしまい、以来、入っていなかった。だがこの日、ボランティアがガレキを仕分けている最中に、自宅があった場所から数十メートル先で、土地の権利書や実印、思い出の品などを見つけてくれた。「特に子どもの小さいころの写真やお絵かき帳は本当にうれしい。全部、流されたと思って諦めていたから」

デジタルカメラの写真を見せながら、「すごいでしょー。釘の1本1本まで、ちゃんと綺麗に仕分けてくれるんだからねー。ほら、このお宅だって、こんなに綺麗になったんだよ」と相好を崩すのは、避難所を管理する及川氏。こうした仕事がボランティアと被災者の信頼関係を強固にし、「ここもお願い」「うちもやって」と新たなニーズが生まれていると言う。信頼関係は、共生にもつながっている。

「ここでは被災者の方のご厚意で、ガレキを運ぶトラックを貸してもらったり、ボランティアの分まで食事を用意してもらったりしている。ほかでは考えられない」。はまセンに長期滞在する拓殖大学2年生の成岡義斗氏(19)はこう驚きを隠さない。炊き出しは地元の主婦などが交代であたり、ボランティアも手伝う。配給のほか、地元の人やボランティアが持ち寄った食材を集め、避難所で暮らす料理長の三浦和宏氏(34)が、被災者とボランティア全員分の効率的なメニューを考えている。

社協と勝手ボラセン、連携できず

自らニーズを作る積極姿勢と、被災者との信頼関係の両輪がうまく回り、活気づくはまセン。その拠点が注目されることのない小さな集落であるだけに、社協の災害ボラセンとのコントラストが際立つ。ただ、社協は市町村内すべてに気配りをしなければならず、1つの避難所だけを見ればいいというわけにはいかない。であれば、はまセンのような勝手ボラセンと連携して、より多数のボランティアを活用できればいいのだが、前途は多難だ。

「同じ気仙沼でもこっちはボランティアの募集を続けていたので、その旨だけはちゃんと告知してほしいと連休前に申し入れたが、ホームページに掲載されたのは5月1日の夕方。できればこの連休中に地区のすべてのガレキを撤去したいくらいだったのに、叶わない」

川上氏はこう漏らす。はまセンは、避難所の裏山にボランティアのためのテント村を用意し、ガレキの山を清掃して広大な駐車場もこしらえた。ブログには渋滞迂回(うかい)の道案内まで載せ、自家用車がない場合は気仙沼市中心部などからの送迎も行うとしている。

しかし、そうした情報は気仙沼の災害ボラセンのホームページにはなく、「運営主体が異なるため、直接お問い合わせください」と、はまセンのブログへのリンクが張られているだけ。はまセンは社協に余剰ボランティアの派遣要請もしているが、連休中に1度だけ、東京都社協のボランティアツアー参加者が気仙沼の災害ボラセン経由でやって来たのみだ。前出の湊小ボラセンも石巻の災害ボラセンからボランティアが派遣された実績はなく、ホームページには情報の掲示すらない。

各地の社協をとりまとめる全国社会福祉協議会の関係者は「社協として勝手ボラセンの活動内容や安全の確保に責任を持つことはできず、安易に派遣することはできない」と説明する。しかし、気仙沼の災害ボラセンをよく知る関係者はこう話す。「気仙沼市の社協はどうも、はまセンのことをよく思っていないよう。ボランティア保険も、気仙沼市社協のボラセンだと無料で加入できるのに、はまセンで受け付けると自己負担。同じ気仙沼市民への活動なのに、区別されている」

各自が役立てる場所を見つける努力を

川上氏は言う。「被災地支援ではよく縄張り争いが起きるけれど、うちは来る者拒まず。ぼくもいずれは地元に帰らなければならないし、ほかの団体がはまセンを引き継いでくれるというならウェルカムです」。これに対し、気仙沼市社協は「要請があって、具体的な話があれば応じる検討をするけれども、いまのところ引き継ぐ予定はない」としている。

被災地のために力になりたい、役に立ちたい。支援に携わる人の思いはみな同じはず。しかし、支援の現場は一枚岩になりきれていないのが実情だ。ニーズはある。支援の思いを無駄にしないためにも、各自が役立てる場所を見つける努力を続ける必要がある。

4月30日から5月4日の予定で大阪から友人2人と被災地に向かい、はまセンに滞在した関西大学に通う八木達祐氏(19)は、はまセンを選んだ理由を「集中しすぎてパンクしているボラセンじゃなくて、人が集まりにくいところに行くべきだと思っていたから」と話す。

ただ、こうした勝手ボラセンが立ち上がっている地区は、まだ恵まれていると言える。ニーズは見えないところに転がっている。例を探せば枚挙にいとまがない。

見えないところに転がっているニーズ

宮城県東松島市のやや内陸側にある新興住宅地、牛坂地区は全壊を免れたものの、浸水による被害が大きい。この地区の避難所、鳴瀬子育て支援センターには、今でも30人ほどが寝泊まりをしており、周辺の自宅避難者100世帯の物資補給拠点にもなっている。

市から佐川急便のトラックで弁当が届いているが、暖かい炊き出しをしてくれるボランティアはめったに訪れない。自宅の掃除で泥だらけになった被災者が避難所に帰ってきても、汚れを落とすシャワーや風呂はない。常駐する市職員やボランティアもおらず、住民の自治で運営を続けている。その中心的な存在、伊藤信子さん(74)は言う。

「お風呂まで自衛隊が連れていってくれるけれど週に1回。とにかく足がないので不便をしている。この辺りは全然、報道もされず、注目されていない地域。たまにボランティアの方が来てくれると、涙が出るほどうれしい。来てくれるだけでうれしいんです」

いまだ、被災地の正確な情報が面で伝わらない「情報断絶」が続いている。被災地に根を下ろす災害ボラセンですら、末端の事情はつかみ切れておらず、震災直後から支援を続けるNPO・NGOのように被災地に直接入って足で情報をつかみ、解決していくボランティアが、まだまだ求められている。社協というフィルターは、万能ではない。

一般のボランティアであっても、ちょっとした仲間と資金、時間があれば、直接、避難所などの現場に出向いて役立てる場所は無数に残されている。ただし、直接の支援にはそれだけの責任が伴う。

「ボランティアは無駄と承知でやるもの」

移動手段、食事、道具など、支援に必要なものを「自己完結」することは必須条件。はまセンは十分な信頼関係があって初めて、食事をともにしているわけで、いきなり他人の家へ踏み込んで「手伝ったから食事をください」などは言語道断だ。親切の押し売りも気をつけなければならない。避難所などへ物資を運んでも、すでに十分足りていると断られるケースもある。むりやり置くのは、迷惑になりかねない。湊小ボラセンの金田代表は心得をこう語る。

「まず、被災者に受け入れられることが大事。自分は何者か、何ができるのかをきちっと説明して、下手であってもささやかでも、寄り添いたいという気持ちを伝える。そして、自分は何がしたいではなく、その地の形に合わせて身を変え、求められていることをする。ボランティアは無駄と承知でやるもの。迷惑そうだったらすぐに撤退して、ほかをあたるべき」

もっとも、社協の災害ボラセンにボランティア希望者が集中するのはこれまでで、今後はニーズがボランティアの供給数を上回るかもしれない。連休中のボランティアツアーを企画した東京都社協の職員は「今はボランティア熱が高まっているが、連休が明けて潮が引くように熱が収まるのではないかと危惧している。被災地側からボランティアが足りているかのようなメッセージを発信してしまった影響も懸念している」と明かす。

このツアーは申し込み開始の直後に応募が殺到し、10分で締め切られた。しかし、次のまとまった休みは夏までない。企業のボランティア休暇制度はあまり普及しておらず、一転、各地の災害ボラセンから「ボランティア不足」のメッセージが出る可能性は高い。

重要なことは、1人でも多くの人が支援したいという思いを被災地で形にすること。そして、その思いを持続させていくこと。16年前の阪神大震災の時は、震災後1カ月で延べ60万人以上のボランティアが活躍したとされる。今回、4月末までに社協の災害ボラセンを通じて東北3県で活動したボランティアの数は延べ約19万人。震災の規模からして、あまりに少ない。自立・復興に向けて、さらなる支援の手が必要だということは自明だ。

(井上理)

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