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第一回 日本
東京 ノーニュークス・アジア会議

核被爆の現状



原発労働者の被曝死
チェルノブイリ汚染の現状

maeno

藤田 祐幸
日本、物理学者


司会(河田)
 それでは今日の午前中のセッションの最後になりますが、慶応大学の藤田祐幸さんにお願いします。藤田さんはチェルノブイリの被災地を何度も訪問して調査されています。また最近では日本の浜岡原子力発電所の労働者の被曝問題について、詳しい分析をされています。今日はそのお話になるかと思います。

藤田祐幸(日本)
 こんにちは、藤田でございます。まずはじめに、ここにチェルノブイリの汚染地図があります。これは私たちが現地を訪問して入手した資料で作成したものです。この地図はおそらく世界中でも、日本の市民運動だけが作成したものですが、海外の代表のみなさまにぜひさしあげたいと思います。チェルノブイリの現実を知るために、各国でこうした資料を利用していただきたいと思います。
 こういう場所に出てアジアのみなさんの前に立つということには、私にはいささかのためらいがあります。日本はかつてアジア諸国を侵略し、目を覆いたくなるような残虐行為を働き、そして極めて恥ずべき非人道的な行為をくり返してきました。しかしこの国の政府は、いまもなお過去の犯罪を認めようともせず、謝罪もしておりません。さらに現在、経済大国となったこの日本は、再びアジア諸国を経済的に支配し、自然環境を破壊し、そしてプルトニウムを過剰に備蓄することで、アジアに新たな緊張をもたらそうとしています。そのうえに、カンボジアに自衛隊を派遣し、さらに原発の輸出まで行なおうとしています。こういう問題を解決すべきなのは、本来、私たち日本の民衆の仕事でありまして、ここにお集まりのアジアのみなさまの仕事ではないと思います。そういう恥ずべき国の国民のひとりとして、アジアのみなさまの前に立つということにいささかのためらいがあるのです。
 いま、私たち日本の民衆がなさねばならない極めて多くのことを、私たち日本の民衆の力不足のためにいまだその責任を果たしていないことを、率直にみなさまの前に述べなければならないことを極めて残念に思います。そうしたうえで、国境を越えた地球市民のひとりとして、私の体験してきたいくつかの問題についての報告をさせていただきたいと思います。これからお話しすることは、この半世紀、人類が犯してきた過ちのひとつの結末であります。この過ちを、再びアジアのいろいろな国でくり返すことのないように、心から願って報告させていただきます。


原発労働者・嶋橋伸之くんの白血病死

 まず最初に報告させていただくのは、ひとりの青年の死であります。この青年は1991年10月20日に、29歳になったばかりの青年でしたが、慢性骨髄性白血病という病気によって極めて悲惨な死をとげました。彼の名前は嶋橋伸之くんといいます。彼は18歳で工業高校を卒業して、ただちに原発の下請け労働者として静岡県の浜岡原子力発電所で働きました。日本には16地点43基の原発があります。このなかで嶋橋くんが働いていました浜岡の原子力発電所は、ほぼ日本の中央部、太平洋に面した非常に美しい浜辺にある発電所です。
 嶋橋くんの働いていた作業現場は原子炉の炉心の真下にあたります。原子炉のなかにはたくさんの測定装置が差しこまれているわけですが、嶋橋くんはその作業現場でそうした測定装置をとり外し、分解し、部品を交換し、動作が正常であるか確認し、再び原子炉に設置する作業をくり返していました。日本の原発は、まぁ世界のどこでもそうですが、1年間のうちに数カ月間運転をとめて定期検査をします。彼はこの原子炉の真下の狭い空間で、定期検査のたびにこのような作業をくり返していたわけです。
 彼はこうした場所で18歳から作業を始めました。そして、その後の彼の毎月の被曝の様子と原子炉の運転の様子を見ていますと、1号機の運転がとまっているときに被曝量が多い。また2号機の運転がとまっているときに被曝量が増える。1号機の運転がとまって検査があるとまた増える。こういうように、原子炉の定期検査のときにこのような危険な場所で働いていたことがよくわかります。彼は18歳で作業を始めましたが、数年後にはベテランとしてほかの労働者を指導する責任を与えられるようになりました。非常にまじめな青年であった彼は積極的に働き、原発の安全を支えてきましたが、同時に大量の放射線を被曝することになりました。彼は500ミリレムから1000ミリレムほどの被曝を毎年重ね、彼が働いていた9年間に5000ミリレムの被曝量に達し、そこで彼はついに発病したわけです。
 27歳になったときに、嶋橋伸之くんは全身に赤い斑点が出て、全身から出血するという病気になりました。調べてみると白血球が異常に増加していることがわかり、白血病であると診断されました。
 その後、あらゆる治療が行なわれましたが、2年後に29歳の人生を終えました。彼はその青春を原発に奪われたのです。
 電力会社は、約10年分の彼の賃金と同じ程度の「弔慰金」と称するお金を遺族に渡しました。そしてそのときに、「今後この問題について、どのような異議も述べてはならない」という書類を作成して、悲しみのどん底にある遺族に署名をさせました。金とひき換えに口を封じたといえましょう。
 このことを知った私たちは現在、国に対して労働災害として認め、補償することを求めて請求を行なっています。政府と電力会社はこれまで、「原発はクリーンで安全であるからひとりの労働者も死んでいない」と主張してきました。しかし実際には、多くの労働者がすでにガンや白血病で死んできたのですが、遺族にお金を払って口どめをしてきたために、こうした労働者の死は闇に葬られてきました。


下請け労働者に集中する被曝

 このグラフは日本が本格的な原子力時代に入った1970年から20年間の、労働者の被曝の累積を計算したものです。この下の色の薄い部分、これは電力会社の社員の被曝量、上の色の濃い部分は電力会社以外の下請け労働者の被曝量です。現在まででこの総被曝線量は、18万人レムといった量に達しています。
 この被曝量をまた割合で見ていくと、被曝量の95%までが、電力会社の社員ではない下請け労働者に集中しているという構造がはっきりわかります。この下請けの労働者たちの大部分は専門家ではなく、貧しい農民や漁民、そして都市の失業者たちです。アジア各国に原発の建設が進めば、日本と同じように多くのそうした人々が、その危険性を知らされないままに原発で働き、そして被曝をして、そのなかのある割合の人たちが将来、白血病やガンで死んでいくことになります。
 これまでの20年間のトータルの被曝線量18万人レムによって、日本の原発でこれまでにどの程度の人が死んでいるか、あるいは将来死ぬことになるかを計算してみました。この計算はまだ、立場によって大きくその評価が分かれています。それでも非常に控え目な評価で100人くらい、最も厳しい評価では600人あまりの人が命を失うことになるだろうと評価されています。日本ではこの問題は、原発で命を奪われた嶋橋伸之くんのご両親の勇気ある告発により、ようやく明らかにされようとしている段階であります。


広大なチェルノブイリ汚染地帯

 次にチェルノブイリの報告をします。1986年の4月26日、ソ連のチェルノブイリ原発で破局的な事故が起きました。この事件は現地では、「アクシデント」ではなくて「カタストロフ」であると語られています。私はこれまでに5回ほどチェルノブイリ現地を訪ね、この悲劇について調査をしてきました。今日はそのごく一部についてお話しします。
 これが先ほどお話ししたチェルノブイリ現地の汚染地図です。この東の方が現在のロシア、この範囲がベラルーシ、この線の下はウクライナ、この国境の向こうはポーランド、そして向こうの方がバルトであります。
 さて、チェルノブイリはドニエプル川に沿ったこの地点にありますが、汚染は非常に複雑な形で広範に広がっています。この事故により大量の放射能、といっても原子炉のなかにある放射能のほぼ半分くらいであると思われますが、それが10日間にわたって環境に放出され、天候が変化するたびに非常に複雑な汚染の状態をつくりだしていきました。チェルノブイリから東の方に広がるこの汚染地は、650キロほどあります。西の方には約300キロの地点まで広がっています。北の方に約300キロ、南には約100キロの地点まで広がっています。つまり東西約950キロ、南北約400キロほどの範囲内に、非常に複雑に汚染が広がっていることになります。
 たとえばこの原発大国日本で事故が起こった場合に、この汚染はどの程度のものであるか。今日はこの評価を国際的に行なってみたいと思います。
 隣の韓国で起こった場合にどの程度の被害になるかというと、朝鮮半島全体に汚染が広がり、国境も軍事境界線も放射能の前にはまったく意味がないことを示しています。同時に、日本で事故が起こっても、そうした問題が日本だけで留まらず朝鮮半島におよぶ可能性があるし、またその逆もありうるということもこの地図は語っています。
 今度は台湾あるいは中国南部で同じような事故がもし起こったとすると、その被害がどの程度になるか。台湾はおそらく島全体が地図から消えることになります。フィリピンでもやはり極めて深刻な事態になるだろうと思います。またインドネシアに日本が原発を輸出しようとして、いろいろと陰謀が進んでいますが、ジャワ島のサイズとこの汚染地帯のサイズはほぼ同じ規模であるということを、ぜひ国に帰って多くの人々に伝えていただきたいと思います。
 私はこれまで何度もチェルノブイリ周辺の汚染地域を旅して、多くの人々と出会ってきました。現在この汚染地帯には、多くの人々がいまもなお暮らしています。しかしそこで出会う人たちは、働くことのできない老人や身体障害者、精神障害者、起きあがることのできない病人などで、そうした人々が現地にとり残されています。社会的弱者だけが汚染地帯にとり残されている、別の言葉でいうならば汚染地帯に捨てられているのではないだろうかと、私はその人たちに出会いながら考えていました。
 この悲劇が終わるという希望はいまのところありません。事故から7年が過ぎましたが、いまもなお状況に大きな変化はなく、今後数十年から数百年にわたってこの悲劇が様々な影響を残していくことになると思います。


悲劇はチェルノブイリで終わらせよう

 産業目的であれ軍事目的であれ原子力が存在するかぎり、限りなく放射線被曝者を生みだします。その被害のようすはウラン採掘現場での被曝、加工・濃縮などの施設での被曝、原発労働者の被曝、再処理工場での被曝、廃棄処分にともなう被曝などなどです。そしてまたこのような被曝は、常にウラン鉱山の周辺の先住民や、貧しい漁民や農民や都市部の失業者にもたらされ、そうした人々にその犠牲が集中しています。明らかにこれは差別であると思います。私が出会ってきた汚染地帯の人々、障害者と老人ばかりの村が、どこまで行っても続いておりました。
 核の歴史は広島・長崎の悲劇から始まりました。この歴史をチェルノブイリの悲劇で終わらせなければなりません。核の悲劇は人類の歴史で最も深刻な環境災害であると思います。私たち人類は、この誤りをくり返さないために立ちあがらなければならないと思います。それこそが私たちの世代の、次の世代に対する責任であると私は信じています。そしてこれは同時に、この地球に生きるすべての生き物に対する私たちの責任であるとも、私は信じております。
 私たちは日本の原発のすべてを廃止させるまで闘い続けます。非常に厳しい闘いをこれまでも日夜続けてきましたし、これからも続けてまいります。そして日本以外の国々にも、韓国にも中国にも台湾にもインドネシアにもインドにも、そしてどこの国にも日本が原発を建設し、それを運転することを許すことはできません。この闘いのために、私たちは国境を越えて同じひとりの地球市民として連帯し、私たちの責任を果たしていかねばならないと思います。どうもありがとうございました。

司会(河田)
 どうもありがとうございました。これで午前中のセッションを終わります。

  
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