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気仙沼高野球部、千葉県の高校と練習試合重ねる

2011年5月5日9時29分

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写真:昼食中、笑顔を見せる気仙沼高野球部の部員=千葉市中央区の千葉商高剣道場拡大昼食中、笑顔を見せる気仙沼高野球部の部員=千葉市中央区の千葉商高剣道場

写真:昼食後、握手を交わす気仙沼高・畠山宗一郎主将(右)と千葉商高・大録孝平主将=千葉市中央区の千葉商高剣道場拡大昼食後、握手を交わす気仙沼高・畠山宗一郎主将(右)と千葉商高・大録孝平主将=千葉市中央区の千葉商高剣道場

 津波の被害を受けた気仙沼市の気仙沼高校野球部が、千葉県の高校と練習試合を重ねている。学校で十分な練習ができず、甲子園出場経験のある名監督に思い切って申し入れたところ、快諾してもらった。球児たちは野球ができる喜びに笑顔が絶えない。

 3日、千葉市中央区松波の千葉商高グラウンド。「楽しもうぜ」。何度も気仙沼高側のベンチから声が飛んだ。4―7で負けたが、試合後に笑顔もこぼれた。千葉商高野球部の父母会から差し入れられたおにぎりや豚汁をほおばると、両校の部員は校歌を歌い、エールを送りあった。

 グラウンドが避難所の駐車場となってほとんど使えない気仙沼高。千葉厚監督は「野球に集中できる満足な環境で野球をやらせてあげたい」と、練習試合の相手として、春の県大会がゴールデンウイークにほぼ終わる千葉県の高校に目を付けた。

 連絡をとったのは、公立高校を度々甲子園に出場させた我孫子東高の蒲原弘幸監督。面識はないが、「昔から勉強させてもらいたいと思っていたあこがれの先生」だった。

 蒲原監督は快諾してくれたという。宿泊先や我孫子東高以外の練習試合相手も手配してくれた。5日まで千葉県内の高校と練習試合を重ねる。千葉監督は「突然連絡したのに引き受けていただき、本当にありがたい」と話す。

 津波でユニホームが流され、気仙沼高の選手たちはアンダーシャツの上に、「CHUETSU」と書かれたTシャツを着て試合に臨んだ。2004年の中越地震で被害を受けた新潟県の中越高校から今回、贈られたものだ。

 気仙沼高の畠山宗一郎主将(3年)は「(被災地では)今まで関わりのなかった人同士がお互いに支え合って生きている。千葉に来てからは、関わりのなかった人に支えてられている。(夏の選手権大会では)それに応えられるようなプレーがしたい」と話した。(金沢ひかり)

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