社会問題解決型の、広告コミュニケーション | Apollo-12

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広告とか、コミュニケーションとか。
社会貢献とか、社会起業とか。
まちづくりとか、コミュニティデザインとか。
そうしたものたちの、少し先とか横の話。

おはようございますの人も、こんにちはの人も、こんばんわの人も。
どうも、おはこんばんちは^^


今回の記事では、前回お伝えしたように、僕の思う「ポジティブなコミュニケーションで人を惹き付ける、社会問題解決型広告コミュニケーション」を紹介していきたいと思います。
タイトルとキャンペーン概要を述べた後、僕なりの考察を加えていきます。

厳選したんですが、6種類ほど。
めちゃくちゃ長い記事なので、本を読む気持ちでご覧いただけたらと思います(苦笑)


①ホワイトバンド「ほっとけない世界の貧しさキャンペーン」

$Stay hungry, Stay excited.-ホワイトバンド

2005年に行われたキャンペーンで、「ホワイトバンドを身につけて、貧困反対の意思表示をしよう」というものでした。
ひとつ300円で世界中で売られたこのバンドは、とても大きなムーブメントを引き起こしました。

その広告手法としては、記載したショッキングなキャッチコピー「3秒に1人、世界のどこかで貧困のために子どもが死んでいる」のもと、今までにはないプロモーション施策が打たれたことでも有名だと思います。

例えば、フィルム。
http://www.youtube.com/watch?v=WQ0zdrnjfVQ
$Stay hungry, Stay excited.-桜井

日本だけでなく世界中の有名アーティスト達が、3秒に1度、指を「パチン」と響かせる。
その度に子どもがどこかで死んでいる、というメッセージを、視覚だけでなく聴覚で訴える、とてもセンセーショナルな広告でした。

また、東京タワーのライトアップ。
$Stay hungry, Stay excited.-東京タワー

今でこそピンクリボンなどの象徴としても東京タワーのライトアップは利用されますが、ホワイトバンドはその先駆けだったと思います。

こうしたプロモーションの結果、人々はホワイトバンドを身につける「ファッション性」、また流行によって「楽しそうだから」「一体感を求めて」参加しました。
その数、日本だけでも450万人と言われています。参加者が自発的に広げていきました。

訴求のメッセージは強いものでしたが、芸能人の起用や大規模なイベント開催を行うことで、多くの人々にポジティブな参加要因をもたらしたと言えます。

しかし、この「ほっとけない世界の貧しさキャンペーン」は、失敗事例として語られることの方が多い。
この活動の目的は、「アドボカシー」にありました。
つまり「貧困反対」という政策提言を通して、国そのものを変えることが目的でした。
そのため「300円」という収益金は全てプロモーション費用やホワイトバンドの流通費に充てられます。
しかし、参加購買した多くの人は、その収益金はそのまま寄付金として対貧困対策に直接充てられると勘違いしていたのです。

そのため、キャンペーン途中で反対運動が起きてしまいます。
ホワイトバンド側も、あわてて説明広告を店頭等に打ちました。
$Stay hungry, Stay excited.-内訳

しかし結果としては、
「収益金全てを寄付にまわしていれば、いったいどれだけの子どもが救えたんだ」
という声が支配的になり、活動は沈静化してしまいました。
ホワイトバンドの取り組みを受け、2006年に世界銀行とIMFが最貧国への債務6兆円の帳消しを発表したことを、ほとんどの人は知らないと思います。


この事例は、社会問題に対して関心の低い人にも活動に参加してもらうにあたって、とても示唆的なものだと言えると思います。

まず第一に、参加の入り口をポジティブにしていくことで、ターゲットを広めることができるということ。メッセージが強力でありながら、ファッション性を兼ね備えていました。
「手軽でかっこいい」
「楽しい」
「みんなで身につけるから、一体感がでる」
この手法は、後のワールドカップ「日本代表応援ブルーバンド」や乳がん啓発「ピンクリボン」へと継承されていきます。

そして第二に、伝えるメッセージと活動内容を、わかりやすく一致させる必要があるということです。

通常、「3秒に1人、子どもが死んでます。バンドを買いましょう」と言われたら、誰だって「買ったお金が寄付されるんだろうな」と思うはずです。
しかし実際は、「貧困反対の意思表示を一人でも増やすことで、民主主義の政府を動かして貧困撲滅をしよう」という目論みでした。
「アドボカシー」という言葉も含め、慣れ親しみのないこの活動は大きな誤解を生んでしまいました。

では、はじめから「貧困反対の意思表示をしよう」と言っていればよかったのでしょうか。
そのような訴求の弱いメッセージが主軸では、理解や注目をされず、きっと埋もれてしまったに違いありません。この問題はそこまで単純ではないと思います。

だとしたら、入り口でのメッセージとは食い違うのだとしても、活動過程で「真に訴求したいメッセージ」を上手く伝え、真の伝道者へと参加者を醸成する構造が必須だといえます。
AISASで言えば(現在はcasualやshipsなど様々な購買行動モデルが提唱されていますが、とりあえずこれで笑)、
AI→「3秒に1人、世界のどこかで貧困のために子どもが死んでいる」「だからホワイトバンドを買おう」
SAS→「ホワイトバンドは寄付ではなく、アドボカシーだ」「貧困反対の意思表示をしよう」
と、訴求したいメッセージが階層的に伝わる構造が必要です。
簡単な例で言えば、店頭で買う時に必ず「寄付ではなくアドボカシーだ」と言うルールを作るとか、RTで拡散する時は必ず「寄付ではなく、意思表示を。ひとりでなく、みんなで。」と表示する仕組みを設けるとか、そういうやつです。
(きっと絶対、もっと上手くいくやり方があるはずですが)

少なくとも「興味を持ちそうな仕掛けや言葉を並べればいい」ようなコンテンツではありません。
参加することはとても責任が重いことを、最終的には伝わる構造設計が必要だと思います。



②オビエーロ・トスカーニ「ベネトン広告(UNITED COLORS OF BENETTON)」

$Stay hungry, Stay excited.-トスカーニ

「広告は私たちに微笑みかける死体」を呼んだことがある方は、多くの説明はいらないと思います。
彼はジャーナリストとして、広告を用いて啓発活動を行ったことで有名です。
あとすみません、"「ポジティブなコミュニケーションで人を惹き付ける、社会問題解決型広告コミュニケーション」を紹介"と言いましたが、彼の行った手法は真逆です。
掲載する位置を迷ったんですが、ここで述べさせてください。

AIDS - David Kirby 1992
$Stay hungry, Stay excited.-エイズ

Hearts 1996
$Stay hungry, Stay excited.-心臓

これら広告を見て、何を感じるでしょうか。
この広告は、UNITED COLORS OF BENETTON、つまり服を商材とする企業の広告だったはずです。
なのに肝心の服は一切広告から取り除かれ、ベネトンとは一見関係のない、社会の悲惨な現状を比喩/揶揄するジャーナリズム広告と、小さくブランド名だけが記載されています。

この広告キャンペーンは、物議を醸しました。
企業として、直接関係のない社会問題に対して一定のメッセージ性をもった表現をするべきなのか。
そもそも広告とは、商品やブランドについて「広く告げる」ものなのではないのか。
広告は誰の目にも触れてしまうのだから、不特定多数を不快にさせるような表現をしてもいいのか。

これに対して、トスカーニは以下のように答えます。(僕の解釈です)
「これまでの広告では、幸せいっぱいの美男美女が映し出され、これら商品・サービスを使用することで、あたかも彼/彼女らと同等の生活が手に入るかのように訴えられてきた。しかし我々消費者は、そうした嘘と幻想に満ち満ちた広告にうんざりしている。広告は、消費者にありもしない幻想を抱かせてお金を消費させた大罪を負っている。」

ベネトンから広告制作を依頼されたトスカーニは、「企業広告」という媒体のスペースを活用し、きわめてジャーナリズム的な広告を打ちました。
ジャーナリズムといえば現状を映す鏡ではありますが、「その現状をここ(この媒体)で晒す」、つまり「世界の悲惨な現象を切り取って、同時代に生きる、しかし伝わるはずのなかった人たちの目に晒す」ということですから、そこに恣意的なメッセージは必ず存在します。

この例で言えば、
「ベネトンは、全人類を差別せず、ひとつの"混色"としてみなします」
「ベネトンは、企業であることを利用して、こうした問題に対して啓発していきます」
といったところでしょうか。
結果から言えば、ベネトンの売り上げは上がりました。顧客も増えました。
ただし、アンチの生活者も大量に生み出しました。

これらを広告効果として捉えていいものなのか、僕にはわかりません。
ただ、僕は広告の条件として、「幸せな未来への約束」があると勝手に思っています。
つまり広告を見ることで、「自分がどう行動したら(訴求する)幸せを手に入れられるのかがわかる」というものです。広告は、幸せを導くSerendipityだと思います。

しかしベネトンの広告は、悲惨な社会の現状を映し出します。
そのこと自体は必要なことだし目を背けてはならないかと思いますが、しかしこれでは「見た人が、その後どう行動すればいいのか」がわかりません。
ジャーナリズムの特徴として、強い訴求の一方で、「あとは自分が考えろ」という投げやりな態度も含まれていると思います。(良い意味でも悪い意味でも、です。)
だから見た人は困惑し、結果物議を醸したのだと思います。

例えば上記で記したホワイトバンドのように、「バンドを買えば、この現状を変えられるかもしれない」とひとつの方向へ導いてあげることが、広告の役割だと思います。



③ユニセフ「Dirty Water」他

$Stay hungry, Stay excited.-少年と銃

UNICEF。この国際機関についての説明は、多くはいらないと思います。
UNICEFは行ってきた広告のキャンペーンは多岐に渡りますが、ここではそのうち僕が感じる「ポジティブなコミュニケーションで人を惹き付ける、社会問題解決型広告コミュニケーション」について紹介したいと思います。

Dirty Water
$Stay hungry, Stay excited.-dirty water

このキャンペーンでは、1ドルが水不足に苦しむ地域へ寄付されます。
その寄付を集める方法がとてもユニークで、NYのど真ん中に写真のような自販機を設置しました。
1本1ドルで、「マラリア」、「コレラ」、「腸チフス」、「デング熱」、「肝炎」、「赤痢」、「サルモネラ」、「黄熱」の8種類の病原菌から選び、ペットボトル入りウォーターが買えるという仕組み。
そしてそこからモバイルでPCサイトに誘導し、1日4,200人以上の子どもが、病原菌に汚染された水が原因で死亡することを伝える設計になっています。


Neglected Children Are Made To Feel Invisible.
「あなたには子供たちの姿が見えていますか?」
$Stay hungry, Stay excited.-児童虐待

$Stay hungry, Stay excited.-児童虐待

これらはかなり衝撃的なビジュアルのOOH。
児童虐待防止を訴える屋外広告ですが、表現方法そのものが面白く、とても印象的。
本当に子どもが入っているのでは、と目を疑ってしまいます。


In many other coountries you woould now be mutilated! Help the victims of landmines!
「多くの国では、あなたはすでにバラバラ死体になっている。地雷の犠牲者を救おう。」
$Stay hungry, Stay excited.-地雷

これも面白いアンビエント広告。
道を歩いていると、足の裏に、道路と全く同じ柄の丸形シールが張り付く。
裏を見てみると地雷がプリントされていて、「地雷は気づかない」ことを疑似体験させる、ぞっとするキャンペーンでした。

これらの広告は、従来の広告の枠組みから飛び出して、様々な形で「伝えたいメッセージに最適化した」メディアクリエイションを行っていると思います。
「見る」という意味ではどれも半強制的な性格を持っていますが、その先の「視る」「買う」「WEBサイトへとぶ」「寄付する」といった参加の自由度は異なっています。

日本では、交通規制が厳しいことからクリエイティブなOOHやアンビエント広告は難しいらしいです。
しかし参加する「楽しさ」「面白さ」を持たせてより多くの人を巻き込むためにも、こうした広告は増えていってほしいと思います。



④コーズリレーテッド・マーケティング

「製品の売上によって得た利益の一部を社会に貢献する事業を行っているNGOなどの組織に寄付する活動を通して、売上の増加を目指すというマーケティング手法」のことを指します。
ここでは2つの例を挙げますが、後者のSONYの例は、正直分類が微妙なところです。

「1ℓ for 10ℓ」(ボルビック)
$Stay hungry, Stay excited.-ボルビック

これはかなり有名でしょう。1ℓの購買で、10ℓの安全な水が届けられるボルビックのキャンペーン。
テレビCM枠の約半分をこのキャンペーンに利用し、Web上のプログラムサイトでは、設定された目標“マリ共和国に10年間で延べ約7億リットルの清潔で安全な水を”に対して、毎週金曜日に「現在○○リットル」の表示が更新されるなど、臨場感のある演出もなされたそうです。

夏場の3ヶ月に行われたキャンペーンですが、7・8月のボルヴィック売り上げも前年比134%と増加。
猛暑日が続いたことや新商品の発売等、様々な要因が関係しているものの、ブログ上でもプログラムの好意的な意見が多数見られるなど、プログラムの実施によって同商品に対する消費者の支持が増えたことは確かだそうです。
(参考:http://www.social-market-press.jp/column/34/index.html

"普段通りの行動に付加価値をつける"このキャンペーンが成功したのは、「水はどれでもいい」と我々生活者は感じていたことが大きいと思います。
そこに「手軽さ」だけでなく「社会に良いこと」を与え、「ボルビックの水を買う理由」を創出する。

成果だけを見ても、キャンペーンとしてはとても効果的であったことは分かると思います。
しかし問題解決への寄与の観点からは、僕は少し疑問符です。
確かに多くの水を届けることに成功したこのキャンペーンは、それだけをとれば立派な成果も出ていて十分効果的だったと思います。
しかし生活者にとって、水を届けるのに要する努力は「いつも買う水を、ボルビックにする」。これだけ。

確かに手軽さの面では申し分ないけど、"あまりに手軽すぎる"ことが、こうした寄付行為においては問題だと思う。
たとえ少額であっても「誰かを想って、身を削る」行為だからこそ、届けられるお金にも支援にも意味があるんじゃないかな。
「面倒」「ひと手間」、そういった小さな障壁を、「楽しさ」や「共感」といった感情で乗り越えていくような仕組みがあれば、もっと良かったと思う。とても難しいことだけど。。
あまり参考にならない例をあげれば、「買ったボトルのIDをモバイルを通してWEBサイトに登録し、被支援者へのメッセージを書いてクリック→募金&RTされる」とか。うーん。。


「make believe "Earth F.C."」(SONY)
$Stay hungry, Stay excited.-SONY

これはSONYが電通と共同で行った、W杯のプロジェクト。
サッカー人気が高いながらもテレビの普及率が20%台と低く、観戦が難しい状況にあるガーナ共和国とカメルーン。
そこでこれらの国の、とある小さな街の広場にパブリックビューイングを設置し、街中の人たちが一緒になってサッカー観戦を楽しむイベントが開催されました。
特にサッカーが大好きで、でも同じアフリカ大陸に位置しながらも応援することのできなかった子どもたちにとっては、めちゃくちゃ嬉しいプレゼントだったと思います。

またそれだけでなく、「地球全体でひとつのチーム」というコンセプトのもと、"EARTH F.C."というプラットフォームサイトを立ち上げ、1000クリックで1個のボールを寄付する等の仕組みも整えられました。
ボールの開発においては環境に配慮した素材を使い、パブリックビューイングのハーフタイムにはUNDPやJICAと協力して作りあげたHIVへの啓発活動が盛り込まれるなど、ただ楽しむだけじゃない要素も組み込まれていたそうです。
(参考:http://greenz.jp/2010/06/05/earthfc/


この項目を書き始める際に「これはコーズリレーテッドではないかも」と書いたのは、はたしてSONYがどのようなインセンティブでこのプロジェクトを行ったのか計りかねるからです。
少なくとも"自社の強みを活かして、その時にできる最高のプレゼントをする"という姿勢や気概は間違いなくあったと思いますし、そうした視点から発想した贈り物だったと思います。
少なくともこのプロジェクトを知って、僕は感動しました。
第三者が感動できるものって、「良いことをして戦略的に儲けよう」といった視点からは絶対生まれないと思います。

なんとかして相手のためになりたくて、あれこれ考えて実施されたことが透けて見えるようで。
結局そうして実施されたものは、たくさんのお土産を連れて、また自分に返ってくるのだと思います。
それは「売り上げ」だったり、「信頼」「愛着」「共感」だったり。
結果として、SONYに大きな財産を残したのだと、関係者でもなんでもない僕が言うのも憚れますが、そう思います。

ここからは趣旨とあまり関係ありませんが、思うことを少し。
「業界一位」は色々な責任を負っているのだと思います。
それは何も「顧客満足の追求」「株主への還元」だけではなくて、「その国のある産業においてトップである」という、いわば社会的責任が自然と課せられると思っています。

SONYは、電化製品を中心として日本有数の品質を誇ります。
電通は、コミュニケーションを中心として日本有数のアイデア創発/実行力を誇ります。
この二社が出会い、お互いの強みを活かし合って「(利益は度外視で)本当に誰かのためになることをする」を追求したからこそ、とても美しいものが生まれたのだと思っています。
そしてこうした姿勢は、今後ますます活性化していくのではないでしょうか。



⑤その他...

個人的に最近知った、面白いキャンペーンを紹介。

ユニセフ×着メロ「Happy Birthday Download for Children」
$Stay hungry, Stay excited.-Happy Birthday Download for Children

「いのちを祝う歌が、いのちを守る歌になる」


世界中でおよそ600万人の子どもたちが、
毎年、1歳の誕生日さえ迎えられずに亡くなっています。
そんな切ない現実を少しでも変え、子どもたちの命を守るために。
HAPPY BIRTHDAY DOWNLOAD for children™ は生まれました。

毎日1組のアーティストが歌う、ハッピー・バースデイ。
その歌声をケータイ電話の音楽配信サイトから
ダウンロードすると、寄付ができる仕組みです。

生まれてきてくれて、ありがとう。
“ハッピー・バースデイ”という言葉に込められた、命を祝福する気持ち。
それを目の前の人だけでなく、世界にも向けられないか。
想いに賛同するアーティストたちが、今、続々と集まってきています。

恋人に、友人に、家族に。大切な人にどうぞ贈ってください。
そのメロディが奏でられるとき、守られる命があります。

日本ユニセフ協会
http://www.unicef.or.jp/musicdl/


コンセプトからとても素敵で、ラジオというメディアを攻めたのもとても面白いと思いました。
J-WAVEを視聴する人は社会貢献に興味がある人が多い、といったこともあったようです。

ただ、このキャンペーン、知ってました?

僕はつい最近まで知りませんでした。。
おまけにiPhoneユーザーなので、着うたは必要ありません。ラジオも聴きません。
参加アーティストも知らない人が多くて...少し工夫すれば、絶対もっと広まるキャンペーンだったと思います。


たとえば、こんなのはどうでしょう。
「毎朝目覚ましのアラームで、アーティストの"ハッピーバースデー"が配信される」

「起床」という行為は、無意識から意識へと飛び込むという点で、「誕生」と似ています。
そして365日、いつも誰かが起きたその時に、誰かはハッピーバースデーを迎えています。
そんな「大切な誰かに届けたい歌」を、一緒に聴いて「起床」=「誕生」する毎日。

月額サービスにして、登録した人みんなが「お楽しみで」毎日アーティストのハッピーバースデーを聴いて起床して、一日が始まった瞬間にまず誰かの誕生を祝うことができる。
集まった月額金=寄付金は、誰かのいのちの誕生を祝うために使われる。
そうすることで、「ダウンロード」という壁を越えて、恒常的に使われていくサービスになるのではないでしょうか。

気になる曲はダウンロード可能にすればいいし。
お楽しみだから、「もしかしたら自分の好きなあのアーティストが明日は歌っておこしてくれるかも」とワクワクして長続きするし。
それが毎日の話のネタにもなるし。
そもそもダウンロードのみにしても、しょっちゅう聴く歌ではないし。

どうでしょうか。
個人で消費するのではなくて、みんなで利用する視点の方が良いと思いました。


「Peace Shadow Project」
$Stay hungry, Stay excited.-peace shadow

$Stay hungry, Stay excited.-peace shadow step

ピースシャドウプロジェクトは、核なき世界の実現に向けて、
あなたの意思と存在を「平和の影」として焼き付ける署名活動です。
皆様から寄せられたピースシャドウは、
世界各地の美術館や公共的な場所に展示され、
核兵器がなくなるその日まで終わることのないメッセージを発し続けます。

http://peaceshadow.net/


このプロジェクトも、「影を焼き付けることで」意思表示をしよう、という面白い取り組みだと感じました。
ただ、このプロジェクトも先程と同様、つい最近まで知らなかったものです。
それは単純に「焼き付ける技術」がなかなか利用しづらいものだったこともありますが、全体としてかなり重いメッセージ性のプロジェクトだったため、「気軽に楽しく」利用するわけにもいかないので広まりづらかったのではないか、という印象を受けます。

ただ、影を用いたインタラクティブな仕掛けは面白い。
Blue Dragonの「BIG SHADOW」を思い出しました。
$Stay hungry, Stay excited.-big shadow

http://www.bigshadow.jp/judge/

このキャンペーンは、通りすがりの人が渋谷のど真ん中で「影絵で遊べる」というもので、参加性やエンターテイメント性、広告効果のどれをとっても優れていると個人的には感じています。
が、何より素晴らしいのが、きちんと"Blue Dragon"というゲームのコンセプトから発想されたものだということです。
(主人公は自分の影をもとにドラゴンを召還する、という物語の設定だったと思います。)


Peace Shadowでもコンセプトとは完全に一致していて素晴らしいのですが、しかし「影を映す」のと「影を残す」のとでは、キャンペーン設計がかなり異なってきます。
「映す」だけでしたら即時的なものなので仕組みは簡単ですが、「残す」となると、その技術だけでなく、どこなら残してもいいのかなどの問題も出てきてしまいます。

また単純に楽しさを追求するのとは違い、「核爆弾」「被爆者」という歴史や人とコミュニケーションしなければならないという性質上、「気軽さ」は失礼や冒涜を生んでしまう可能性が高い。
そういったことから、気軽な気持ちでは参加できないようなキャンペーン設計にしたのだと思います。

そう考えると難しいですが、少なくとも影を「残す側」ではなく、影から「メッセージを読み解く側」として、生活者にもっと参加性を持たせられたのでは、と思います。

たとえば、こんなのはどうでしょう。
残された影を見て、ARでかざす仕組みをつくる。
ARというレンズを通すと、そこには当時の風景が広がっていて、残された影の持ち主がそこで「いつも通り送るはずだった」生活を送っている様子が見れる。
それは、遊んでいる子どもだったり、読書をたしなむ青年であったり、恋人を待って雨宿りをする少女だったり。
そしてそうした映像とともに、その人のストーリーや心情描写も読むことができ、最後に読み手が感じたこと集め、キャンペーンの広告や材料として活用していく。

どうでしょうか。
少なくとも残された影を見た人は、「次に何をすれば自分はいいのだろう」という問いに答えてあげることは必要だと感じました。


⑥Volks Wargen「The Fun Theory」

さて、これはおまけ的な扱いですが、とても好きなキャンペーンなので紹介させてください。

まずはこちらをご覧ください。(動画で貼れなくてごめんなさい。。)
The World's Deepest Bin
http://www.youtube.com/watch?v=qRgWttqFKu8

Piano Staircase
http://www.youtube.com/watch?v=SByymar3bds

どうでしたか?

僕は初めて観たとき、とてもとても興奮しました。笑
なんて素敵な発想なんだろうって。
なんで身の回りにこうしたワクワクが溢れてないんだろうって。

このThe Fun Theoryは、「楽しさ」という切り口から、人の行動を変えるとてもユニークな取り組みです。
継続して取り組み続けている"Volks Wargen"という会社の度量の大きさや着眼点は、本当に素敵だと思います。

「楽しさで人の行動を、ちょっぴり良くしよう」
この発想は、目の前の当たり前が「本当に当たり前なのか」疑う視点をもたらします。
より良い当たり前があるのではないかと考えさせられます。

確かに、ゴミ箱は箱ではなく、どこまでも下へと延びる空洞への入り口かもしれない。
確かに、階段はのぼるものではなく、踏みつけたら音が鳴るかもしれない。
確かに、当たり前に付加価値をつけて、より良い行動を促すことは可能かもしれない。

しかし全部のゴミ箱や階段がこうだったらいいのに、
と思う反面、
ある日特別に変身するから、面白いと思える

ともいえます。
特別は、たまにしか訪れないから特別です。
それに加え、行為そのものも特別すぎます。


このキャンペーンで注視しなければならないのは、「より良い行動が日常化するのか」ということです。
このキャンペーンに巻き込まれた人も、キャンペーンが終わってしまえば、ゴミ箱にゴミを捨てなくなるかもしれません。階段ではなくエスカレーターを使用するかもしれません。
設置された環境や条件が特殊すぎるため、一過性の行動で終わってしまう可能性が非常に高いことを見落としてはいけないと思います。
しかし、日常的な行動から脱却し、新しい行動を試させるにあたって「楽しさ」は非常に有効です。


このような場合、解決策の一つとして、「背後に大きな物語を設定する」ということが挙げられるかもしれません。
例えばゴミ箱の例を用いましょう。背後の大きな物語として
「実はこの公園の地下には巨大リサイクル施設が隠されていて、ゴミ箱はその唯一の入り口なんだ」
と設定します。

するとどうでしょう。関連したアイデアが輪のように広がります。
「そのリサイクル施設は、地下に住むモグラが運営していることにしよう。」
「そしたらモグラのマスコットキャラクターを作ろう。可愛いやつ。」
「公園の様々なところにモグラの穴や、モグラのぬいぐるみを設置しよう。」
「ゴミを落としたら、落下音だけでなく、ベルトコンベアやリサイクルの音も聞こえるようにしよう。」
「公園に"ゴミからリサイクルで作りました"という名目で新しい遊具を設置しよう。」
「たまに"どうもありがとう"と捨てた人に対してお礼を言おう。」
「子どもを集めて、リサイクル玩具を作って遊ぶイベントを開こう。」

単なる一つの例にしか過ぎませんが(しかも僕程度の)、枝分かれに物語ができていくと思います。
そしてそのうちのどれかに生活者が遭遇し、アイデアを消費した場合、物語もない現状のアイデアと比べ、どちらがより「ゴミをポイ捨てさせない」ためには効果的だと言えるでしょうか。

...これで「いや、モグラとか余計じゃね?」と言われてしまっては敵いませんが。。笑

少なくともアイデアに「物語」という厚みを持たせてあげることで、一部を消費した際に、生活者は「自分も物語の登場人物のひとりだ」と感じてもらうことはできるのではないでしょうか。
たとえ1ヶ月程度でモグラ込みのゴミ箱キャンペーンが終わったとしても、その後も「この公園にはモグラが地下でリサイクルしてるから、ゴミをちゃんとゴミ箱に入れてあげよう」となるのではないでしょうか。

「その時だけ楽しい」というだけでは、根本的な問題解決にはなりません。
広告キャンペーンが離れてしまっても、継続して解決に寄与できるような、つまり一人立ちできるような設計が必要だと思います。



...ふぅ。
めちゃくちゃ書きました。笑 (執筆に2日かかるという。。笑)
随所に稚拙な考察や付加アイデアを書いてきましたが、いかがでしたでしょうか。

僕は広告代理店で「ポジティブなコミュニケーションで人を惹き付ける」ことを色々な分野から学び、鍛え、こうした社会問題解決型のコミュニケーションに応用していきたいと思っています。
特にこうした動きは「ブームで終わる」のか、「文化として根付く」のか、判断が難しいところでもあると思います。

だからこそ、ブームで終わらせないためにも、すぐに活躍できる状態に自分を高めたい。
そのための環境として、広告代理店でなきゃダメだとも思っています。

僕が広告を目指す理由、伝わりましたでしょうか。笑



でも実は、まだ書き足りないことがあって。
まだ書くのかよ!という感じかもしれません(笑)
僕自身そう思っています。。

ですが言及すべきポイントだと思ってますので、その話は次回にさせてください。


ここまで一気に読んでくださった方は、いらっしゃいますでしょうか...?


もし読んでくださっていたら。

本当に本当に本当にありがとうございました><。
記事を分けるべきなのは重々承知しているのですが、ごめんなさい、どうしても一気に吐き出したくて(苦笑)

もしよろしければ、次回の記事もお読みください^^


Thank you for reading!