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シリーズ 70億人の地球 MARCH 2011 |
文=エリザベス・コルバート 山を削り、都市を築き、海や大気に化学物質を排出してきた人類。その活動は、未来の地球にどんな痕跡を残すのだろうか。流れの速い小川を横切り、息絶えたヒツジのそばを通り過ぎて、丘の頂きへと登っていく。ここは、英国スコットランド南部に広がる丘陵地帯だ。つづら折りの最後の折り返し地点を曲がると、半ば霧に包まれた滝が見えてきた。 そこには、頂上がのこぎりの歯のような形をした岩が露出している。ちょうどスポンジとクリームを交互に重ねたケーキを横に倒したように、岩には何層もの地層が縦に走っていた。案内してくれた英国の地質学者ヤン・ザラセウィッチが、灰色の地層を指し示した。「ここがそうですよ。大量絶滅の跡です」 この地層ができたのは、およそ4億4500万年前。まだ、ほとんどの生き物が水中に暮らし、フデイシなど太古の生物が繁栄していたころだ。この時期に、海洋生物種の8割が絶滅する「オルドビス紀末の大量絶滅」が起きた。生き物の死骸は砂や泥に混じって海底に堆積し、やがて厚さ1メートルほどの灰色の地層を形成した。地球上では、この大量絶滅を含め、過去5億年の間に5回の大絶滅が起きている。その時期は、気候、海面の高さ、海水の化学組成が大きく変化した時期と重なる。 ザラセウィッチは地質学のなかでも層序学が専門だ。地層から見つかる断片的な手がかりを基に、地層のできた順序を調べて地球の歴史をたどるのが、層序学者の仕事である。彼らが扱う時間の尺度はとても長い。45億年の歴史がある地球上で起きた数々の出来事のなかでも、現代まではっきりと痕跡をとどめているのは、並外れて激しい変動だけだ。このような大変動は、地質年代の区切りとなっている。 実は今、層序学の分野で、ある議論が展開されている。私たち人類がまさにそうした大変動を起こしているのではないかという議論だ。人間はわずか1、2世紀の間に地球環境を大きくつくり変えてきた。地球はすでに、新しい地質年代に突入したとみる専門家もいる。 遠い未来の地質学者たちは、“人類の時代”の痕跡をどんな形で見いだすだろう。今起きている変化は、未来に大きな影響を及ぼすほどのものではないのか。それとも、過去の大絶滅のように、その痕跡が地層にくっきり残るのか。 私たち層序学者が議論しているのはまさにそこなんです、とザラセウィッチは言う。 ノーベル賞化学者が提唱 人類が地球環境を変えた時代を指す地質年代として、“Anthropocene”という用語が提唱されている(まだ決まった訳語がないため、この特集では「人新世」と訳す)。 この用語の生みの親は、フロンガスによるオゾン層破壊の研究でノーベル賞を受賞したオランダの化学者、パウル・クルッツェンだ。10年ほど前のある学会で、議長が「完新世」(1万1500年前の最終氷期の終わりから今日までを指す公式の地質年代)という用語を何度も使ったので、クルッツェンはたまりかねて遮った。「その言葉を使うのはやめましょう。今はもう完新世ではありません。『人新世』です」。突然の提案に、会場は一瞬静まり返ったという。 その後、人新世の概念は、多くの学者に受け入れられた。世界の人口が19世紀末の4倍になり、70億人に達しつつある今、人間の活動が地球環境に大きな影響を及ぼしているのは明らかだ。「20世紀における人口の増加パターンは、霊長類というより細菌の繁殖パターンに近い」と、米国の著名な生物学者E・O・ウィルソンは書いている。ウィルソンの計算によると、すでに人類のバイオマス(生物量)は桁外れに大きくなり、これまで地球に存在したあらゆる大型動物と比べて、100倍も大きいという。 クルッツェンが2002年に英国の科学誌『ネイチャー』で人新世の概念を正式に発表すると、この用語が多様な分野で採用され、他の科学誌でも盛んに使われるようになった。 当初、人新世という年代区分を主に使っていたのは地質学者以外の科学者だったが、ザラセウィッチはこの造語に興味をもった。「学術論文で他の専門用語と同じように、ふつうに使われていたんです」 ザラセウィッチは2007年にロンドン地質学会で層序学委員会の長を務めていたとき、ある会合で層序学者たちにこの言葉について意見を求めた。すると22人中21人が人新世の概念には意義があると答え、これを地質学の正式な研究課題として検討することになった。 |