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震災直後とソーシャメディア

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2011年3月11日午後2時46分、東北・関東地方を中心に巨大な地震が襲った。宮城、岩手、福島などの東北地方広域の社会インフラは寸断し、電気、水道、ガス、公共交通、道路、通信などの復旧の目処がたたないほど壊滅的な状態となった。

特に、重要なライフラインである携帯・固定電話の両通信インフラには、大きな被害を受け、東北地域では一切通信ができない地域が続出した。被災現地での通信需要に加え、全国から被災地に集まる安否を確認する通話、さらに交通機関が混乱して帰宅困難になった首都圏の通信需要が急増し、携帯電話回線の完全停止を防ぐために最大90%の通信規制が実施された。

こういった状況下の中で力を発揮したのが、インターネットだった。インターネットは、米国国防総省による軍事用のネットワークとして始め戦争時にも落ちにくいネットワークとして設計されていたため、被害を受けた故障箇所を迂回し、データのやりとりができる分散型のネットワークが災害時にも強みが発揮された。

ツイッターやフェイスブックに代表されるソーシャルメディアも力を発揮した。ツイッターでは、被災に関わる安否確認や情報共有などの情報が飛び飛び交い、緊急事態に直面した中で、少しでも状況を好転させるため知恵を出し、励まし合う姿が見られた。ツイッターでは、テレビやラジオの情報を凌ぐ情報が、リアムタイムで流れていった。多くの被災地が被害にあい、非常に時にマスメディアがカバーしきれない情報を提供するプラットフォームとして、有益な情報は多くの人によって拡散されていった。

イギリスのニュースサイト「Telegraph」の調査によると、地震発生から約1時間の間に、東京からのツイートだけで毎分1,200以上が投稿されていた。ツイッター社は2011年3月14日、5周年を迎えて公開した各種統計データによると、ツイッターの平均ツイート数は、2月の場合1億4000万回/日に対して、震災発生時の3月11日には、1億7700万回のツイートを計測したという。ツイート数の増加は、日本国内に限定されたものではなく世界中で広がりを見せた。

米ツイッターは2011年6月29日、東日本大震災の際の世界でのツイートの流れを視覚化した動画を公開。大震災の際、1秒当たりのツイート数は5回にわたって5000件を超え、日本からのツイート数は500%増加したという。

今回の被災により、ソーシャルメディアは電話やメールなどと同じように情報共有の手段の一つとして認知されるようになるようになった。一方、デモ情報などで情報が錯綜する状況も見られ、ソーシャルメディアからの情報の信頼性を疑問視する声も聞かれた。そういった中で貴重な情報源としてソーシャルメディア全体の信頼性に寄与したのが被災地から発信される自治体や地元メディアの情報だった。

被災現場から情報を発信する自治体

地震発生後、被災地の自治体からはツイッターを使い、現地の被災状況が次々と発信された。

■震災発生時に被災地の状況を発信した宮城県気仙沼市危機管理課

宮城県気仙沼市危機管理課(@bosai_kesennuma)は地震発生から9分後の2時55分、「宮城県沿岸に大津波警報高台に避難」と、被災地の自治体では、最も早く情報ツイッターから情報を発信。

気仙沼市役所では地震直後に停電となり、残された通信手段は携帯電話のみとなった。危機管理課の担当者の伊東秋広氏はパソコンと携帯電話を使い現場の被災状況の情報の発信を始めた。津波が市役所の庁舎1階にも押し寄せたため、4階の駐車場まで駆け上がり、パソコンと携帯電話をセット。津波の状況を目で確認し、防災無線を聞き、津波の警報や避難を呼びかける情報を発信し続けた。気仙沼市の携帯電話の基地局は地域の高台にあっため、停電中も非常用電源を使い数時間程度の通信ができた。

16分後の3時2分には、「大津波警報発令 高台へ避難」。その後数分おきに「大津波警報発令 高台へ避難」とツイートし続け、住民に避難を呼びかけた。50分過ぎの3時39分には、「市街地まで津波到達 すぐに避難」、「商港、新浜町、中みなと町、内の脇、中央公民館付近、鹿折唐桑駅前からバイパス方面に火災発生中 直ちに避難」、「避難所からは絶対に離れないでください」など、被災現場からは刻々と変化する被災状況と大津波と市内各地の火事により街が壊滅的なっている情報がリアルタイムに届けられた。地震発生直後から22時37分までの約8時間、携帯の基地局の予備電源が切れつながらなくなるまで、約60のツイートが投稿された。

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気仙沼市の担当者がツイッターで発信した現場の被災状況は、リツイートにより拡散された。そして、震災翌日の12日午前1時ごろにはNHKにその取り組みが放送された。解説者が「気仙沼市危機管理課がツイッターで情報を発信しています。」と、気仙沼市がツイッターで発信した時間ごとのツイート一覧を見せ、現場の切迫した被災状況が伝えられた。

気仙沼市は、震災後の津波により、湾岸の船舶用燃料タンクが流され、水上に流れでた大量の油が、押し寄せた津波とともに市街地を包み込み、引火によって大規模な火災が発生したと見られている。NHKの空からの中継でもその火災模様が放送され、街はまるで火の海となっている状況が伝えられた。気仙沼市の被災現場の状況が全くわからない状況で情報が混乱する中で、気仙沼市危機管理課の担当者が書き込むツイッターからの情報から、気仙沼市の被災状況を知ることができた。

危機管理課の担当者はNHKの取材に対して「住民にはとにかく助かってほしい。この情報を見て助かってほしい。今思いつくのはこれしかない」と述べ、担当者の迅速な判断と住民を助けたいという思いと行動、そして手段としてのネットにつながるツイッターの組み合わせが、現場からの状況をリアルタイムに届けることができた。

ツイッターによる情報発信は、3月12日、13日の二日間は停電などで使えず空白期間があったものの、公式ホームページに変わってツイッターから発信される現場からの被災状況や避難所などの案内は、貴重な情報源となった。

気仙沼市危機管理課では、2010年7月2日に防災情報などの発信を目的にツイッターアカウントを開設し、日頃から津波情報などを中心に災害情報を発信し続けていた。今回の震災で、横浜市など多くの自治体がツイッターアカウントを開設するなど、防災情報や災害発生時の緊急情報としての期待が高まった。

■気仙沼市でおきた感動的な人命救助

気仙沼市では、ツイッターからのつながりが、多くの人々の命を救うきっけかとなった。震災発生後、地震と津波を逃れ400人あまりが、気仙沼市の中央公民館の屋上に避難した。避難者の中には、病院のお年寄りや生まれたばかりの幼児もいた。中央公民館は3階建ての鉄筋コンクリートで、津波による水位は2階天井まで達したものの安全を確保できたが、しばらくしてから、船舶用の燃料タンクから水上に流れでた油の引火によって、その炎が公民館にも押し寄せていた。

自閉症の子どもたちが集まる児童福祉施設気仙沼マザーズホームで園長を務める女性は、唯一の通信手段である携帯メールで「公民館にいます。火の海 ダメかも がんばる」と家族に危機的な状況を伝えた。メールを受け取ったイギリスのロンドン在住の長男は、Ustreamから火の海になった気仙沼の街を見て、最悪の事態も覚悟したものの「火に包まれた街が見えた時点であの中に母親がいると思うと、何かできないか」と思い、日本の消防に国際電話をするもののつながらず、ツイッターを活用し、現場の危機的な状況で支援を求める情報をツイートした。

「(拡散願い)障害児童施設の園長である私の母が、その子供たち10数人といっしょに、避難先の宮城県気仙沼市中央公民館の3階にまだ取り残されています。下階や外は津波で浸水し、地上から近寄れない模様。空からの救助が可能であれば、子供達だけでも助けてあげられませんか。」

140文字の中でより正確に簡潔な情報を書きこむために、1時間を要した。このメッセージは、数時間で何百回という多くの人たちにリツイートされ、またたくまに広がった。東京で偶然読んだ男性は、「本当になんとかしなきゃ、行政機関に伝われば」と思い、面識はないが、ツイッターを積極的に活用している東京都副知事の猪瀬直樹氏(@inosenaoki)にツイッター経由で情報を送った。

猪瀬副知事は、詳細な情報が書き込まれていたため事実であると判断し、東京消防庁の伊藤克己防災部長に「大至急副知事室に来てくれ」と電話。9階の防災センターから6階の副知事室まで急いで降りてきた伊藤氏に対し、猪瀬氏はツイッターの情報の内容を印刷して手渡した。伊藤氏は至急対応を進め、夜明けには東京消防庁のヘリコプター送り出し、障害施設の子どもたちを優先的に救助することが決まった。

翌日朝の気仙沼市には、東京消防庁のヘリコプターが公民館に到着。消防士は「児童施設の施設長さんいらっしゃいますか! 子どもたちがいるとのことで助けにきました」と呼びかけ避難を開始した。避難してからおよそ18時間後、容態が悪化したお年寄りや子どもから順番に救助がはじまった。

猪瀬知事は12日の午後5時12分、ツイッターで「朗報! 東京消防のヘリが気仙沼施設の障害児9名全員を救助しました。」と書き込んだ。そして、400名の避難者は、二日間かけて全員が無事救助された。

家族への助けを求める一通のメールが、日本とイギリスの1万キロの距離を超え、家族からツイッターにより情報が拡散され、東京都の副知事に伝えられて東京消防庁が救助するまで、人それぞれの思いが込められた情報のバケツリレーにより、多くの命が助けられた。

今回の救助後、東京消防庁は、猪瀬副知事のツイートを随時チェックし、東京消防庁と15万のフォロワーを抱える猪瀬氏との連携により、福島第一原発へ東京消防のハイパーレスキュー隊の派遣をはじめ、様々な取り組みがツイッターを通じて伝えられた。

ツイッターなどのソーシャルメディアは気仙沼の事例のように、災害時において被災地における人命救助や安否確認としても力を発揮した。地震発生後は、なかなか電話がつながりにくい状況が続き、家族の安否確認をいち早くできたのは、ツイッターなどインターネットを使ったサービスが多かった。ソーシャルメディアの場合は、自らがツイートするといったように情報発信することで、自分自身が無事であることを伝えることができる。一人ひとりと連絡をとりあわなくても、心配している相手に対しても無事であることを伝えることができた。実際に今回の震災をきっかけに、安否確認ツールとしてソーシャルメディアを始める人も増えている。これまでの災害では、テレビや新聞、電話などで安否確認をすることが一般的であったが、ソーシャルメディアが安否確認においても大きな役割を担うようになっている。

■県知事との情報連携など複数のソーシャルメディアを活用した岩手県

岩手県広報広聴課(@pref_iwate)は地震発生から17分後の3時3分、「県内で大きな地震が発生しました。津波警報(大津波)が出ていますので、沿岸部の方は注意してください。」とツイート。庁内ではネットワークがつながらず、サーバーもダウンしている状況も書き込まれた。3時間後に「現在、災害対策本部会議を行っています。追加情報が入りましたらお知らせします。」と災害対策本部で対応が進められている状況が伝えられた。

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岩手県知事の達増拓也氏(@tassotakuya)は、2011年3月11日の17時40分、「地震発生直後に岩手県災害対策本部が設置されました。午後6時に次の本部員会議が開かれ、状況把握の後、知事の記者会見を行う予定です。極めて大きな災害ですが、皆で力を合わせ、少しでも被害を少なくしていきましょう。」と呼びかけ、その後も、停電状況、陸上自衛隊や消防隊の救助、緊急支援物資の搬送や通行規制などの情報を発信した。岩手県広報広聴課では、岩手県知事の達増拓也氏とツイッター上でも連携を密にし、首長の迅速な判断のもと対応が進められていた。

達増拓也知事は3月13日午前9時、ツイッターで、「見たり書いたりできる機会が取れないことも多いのですが、県の広報広聴担当が私宛のツイッターを見て、災害対策関係の情報は被害対策本部に伝えるようにしていますので、皆さんよろしくお願いします。」と書き込んだ。被災地では、電話やメールがつながりにくい状況の中で、ツイッターを活用し、首長と災害対策本部との間で指示と情報共有も進められていた。

岩手県の広聴広報課の担当者は産経新聞の取材に対して「手軽に使われているツイッターではホームページより広範囲に情報を伝えられる。口コミで被災者に届けばいい」と話し、ツイッターによる情報の伝播力が被災地まで届くこと願い、情報発信を続けていた。

さらに、岩手県広報広聴課では、ツイッターだけでなくフェイスブックページも開設しており、被災状況、避難所、鉄道の運行状況などの情報を発信するなど、ツイッターよりも詳細な情報が発信されていた。フェイスブック上では、被災地を応援するメッセージや、避難所の詳細な情報などを求める声、被災地の関係者からの安否確認の声など、多くのコメントが書き込まれた。県が発信する被害状況などをボランティアが自発的に英語や韓国などに翻訳した書き込みも見られた。フェイスブックの場合は、ツイッターの140文字のように文字数が限定されないため、より詳細な被災地からの情報の発信されていた。フェイスブックの場合は、原則実名で登録しているため、デマ情報などはなくユーザーからの生の声や情報共有などから被災地の状況を正しく可視化することができた。 

岩手県は、ツイッターでは被災地からの被害情報などをクチコミで拡散。そして、フェイスブックではより詳細な情報が書き込まれ、実名ユーザーによる様々な情報の書き込みなどにより、被災地のより詳細でリアルな情報を確認することができた。さらには、ツイッターの伝播力とフェイスブックの状況の可視化が相乗効果を生み出し、首長のツイッターとの連携も加わり、より多くの情報が被災地及び全国に届けられた。

岩手県は震災前からソーシャルメディアの活用において力をいれていた。2010年2月1日に達増拓也知事がツイッターアカウントを開設し、「インターネット知事室」とリンクさせ、県の食や観光などに関する情報を発信。2010年4月16日には広報広聴課がツイッターアカウントを開設、2011年にはフェイスブックを開設している。岩手県はある調査で知名度などが低いという結果が出ており、ソーシャルメディアを通じて地域の食や観光の案内など地域ブランドの向上などに活用していた。こういった平常時の活用が、知事との連携や的確な情報発信など、震災にも力を発揮した。

■液状化現象などの対応にソーシャルメディアを活用した千葉県浦安市

千葉県浦安市(@urayasu_koho)は、震災発生13分後の2時59分、「ただ今、宮城県北部で震度7の地震がありました。浦安市でも震度5弱となっています。千葉県内では津波警報、注意報が出ていますので海岸沿いには近づかないでください。また、交通機関などへの影響も懸念されますので、今後、最新の情報にご注意ください。」とツイート。その後対策本部の設置や避難所などが案内された。

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浦安市では、震災により道路などが激しく波打つなどの液状化現象がおきていた。浦安市は、震災翌日の3月12日、「現在、市内のいたるところで液状化と思われる現象が起こっており、道路上に地中から噴出した水混じりの土砂がたい積しています。 道路は、舗装面やマンホールなどの隆起や、縁石の倒壊があり、危険な状況ですので、通行の際は十分ご注意ください。」と注意を呼びかけた。

被害を受けたライフラインの中でも下水道が大きな被害を受け、最大約3万3千世帯の下水道が不通となった。浦安市では、ツイッターなどを通じて液状化による断水状況や給水所の案内を発信した。「飲料水300トンを積んだ海上自衛隊による水の運搬船がまもなく到着する見込みです。今後、順次、市内の給水所へ運搬します。」と、海上自衛隊の水の運搬船による大規模な給水準備が進められていることが伝えられた。

浦安市では、液状化への対応により様々な情報が発信されており4月10日、「市では、災害情報をホームページ、重要なお知らせメールサービス、Twitterなどでお知らせしています。インターネットを使えない環境で、情報を入手できない方が近所にいましたら情報を伝えていただきたいと思います。災害時は地域による助け合いも大変重要です。ご理解ご協力をお願いします。」と、積極的にホームページやメルマガ、そしてツイッターで情報発信をし、その情報を受け取った人たちによる地域への情報の伝達と助け合い呼びかけた。

浦安市のように、液状化現象により刻々と状況が変化し、水道の復旧情報などの生活支援の情報が必要となる中、ツイッターはリアルタイムに情報を発信することができるため、市民に迅速に適切な情報を届けることができた。また、ツイッターを読んだ住民がクチコミで他の市民に連絡するケースも見られ、情報を正しく拡散させていくことができた。

自治体公式ホームページの代替手段として力を発揮するソーシャルメディア

県や市町村の庁舎に設置されている公式ホームページのサーバーは、地震や津波、停電により、アクセスできなくなるケースが相次いだ。気仙沼市の公式ホームページの場合は、本庁舎が津波に襲われサーバーなどが水没し、地区全体も停電となったため、復旧したのは地震発生後から10日後の3月21日だった。地震や津波や停電の影響を受けなかった被災地の自治体のホームページにも被害状況の確認などのため全国からのアクセスが集中しつながりにくい状況が続いた。被災地では、災害時においても切れない強固な通信手段としての消防防災無線も津波で破壊され、津波警報を流せない状況となった。

被災地の自治体では、ホームページによる情報提供の代替手段、そして消防防災無線に変わるリアルタイムで緊急性の高い情報を発信する手段として、ツイッターなどのソーシャルメディアのサービスが活躍することとなった。

ソーシャルメディアのサービスは、被災地以外のデータセンターにサーバーがあり、今回の震災で停止することはなく、アクセスが集中してもつながらなくなることはほとんどなかった。携帯電話からネットにつながる環境であれば、どこからでも閲覧や投稿することができたのだ。今回の震災を機に、自治体では、非常時における住民への情報提供手段として、ツイッターのように、携帯電話やスマートフォンなどのモバイル機器からも利用できるサービスを採用する動きが加速することが予想される。

震災後に公共サービスとして活用されるソーシャルメディア

県や市町村の自治体のツイッターの活用は、平常時においては住民向けの地域の情報発信など地域活性化を目的とした情報が占めていたが、地震発生後は、これまで各自治体の取り組みを紹介したように、被害情報の提供や安否確認など、緊急性の高い情報の連絡手段として力を発揮した。被災地の自治体では、震災発生後から1週間程度の間、主に以下のような情報が発信されていた。

  • 地震に関する情報
  • 津波警報
  • 避難勧告・指示
  • 避難情報
  • 被災地の被害状況(死傷者・負傷者、家屋の倒壊状況など)
  • 災害対策本部の情報
  • 被災地への生活物資受け入れ情報(窓口)
  • 停電や復旧情報
  • 断水情報
  • 人口透析などの急病診療情報(窓口)
  • 通信状況(固定・携帯)
  • 銀行ATM稼動情 報
  • 鉄道などの交通運行情報
  • 自衛隊や消防隊の派遣情報
  • 海外からの救 助隊支援の情報
  • その他生活情報

情報が錯綜し、時間ごとに状況が次々と変化する中において、被災地の自治体から発信される避難情報や被害状況、医療、交通運行などの情報は信頼性が高く、被災者や被災地以外の人々にとっても貴重な情報源となった。

岩手県大船渡市(@ofunato_city)では、ツイッターで罹災証明書発行や仮設住宅の建設・着工、お金の払い戻しなど、被災者がこれから生活をしていく上で、欠かせない情報を知らせるなど、被災者の生活支援や復旧に向けた情報発信としても活用された。

茨城県農林水産部園芸流通課うまいもんどころ推進室(@umaimon_ibaraki)は、日本の自治体で最も多くのフォロワー数を抱え、2011年3末時点でフォロワー数が10万を超え、8月時点では13万を越える自治体の中では最も多くのフォロワー数を持つアカウントだ。茨城県の茨城県産農産物の一部は、福島第一原発事故の影響により、暫定基準値を超える放射線物質が検出され、出荷や摂取の制限になった3月下旬以降は、風評被害を受け、制限対象外の品目まで価格が大幅に下落していた。そのため、うまいこんどころ推進室では、風評被害への対応を強化するため、ツイッターやブログなどを活用し、積極的に情報発信やフォロワーとのコミュニケーションをはかっていった。県産農産物の安全確認と分析調査結果の情報を随時発信し、東京など全国各地で実施されている茨城県産の農産物の販売情報などを積極的に情報提供した。フォロワーからも多くの応援メッセージが届けられた。「温かい励ましに感謝します! 」「これからも応援お願いします!」「震災後復旧に向け頑張っている茨城の生産者に、皆様の温かい声援を伝えて行きたいと思います。」など、多くの激励や応援のメッセージに対して返信をするなど、風評被害を乗り越え、茨城の食の魅力を伝えるため、ツイッターを積極的に活用した。

政府のソーシャルメディア活用

震災後、政府も情報発信をした。総務省消防庁(@FDMA_JAPAN)は震災発生の19分後の3時5分、「平成23年3月11日14時53分ごろ大きな地震が発生しました。全国での最大震度は震度7です。また、大津波警報も発令されています。沿岸部の方は十分に注意してください。この地震をうけて消防庁は同時刻に災害対策本部を設置しました。」と、ツイート。そして、「これより、消防庁災害情報タイムラインの災害時運用を開始します。崩れかけた建物の近くには近づかないでください。テレビやラジオで情報収集をしてください。大津波警報・津波警報が発令されています。絶対に海岸に近づかず、近くの高台や避難地に避難してください。」と、災害対策本部を設置しツイッター上でも災害情報に関する情報発信を開始した。津波については、39分後に「すでに岩手県に津波が到達しています。まだ津波が到達していない地域の方も一刻も早く避難してください。 津波情報はこちら→(津波の情報サイトのURLを表記)」と警戒を呼びかけた。

約2時間の間には、被害状況のとりまとめや、気象庁からアナウンスされる警報・注意報、そして緊急消防援助隊の被災地への派遣などの情報が発信された。その後、【消防庁被害情報○○報】というタイトルで死傷者数や行方不明数、倒壊・火災情報などの被害情報のサイトを伝えた。

総務省消防庁のアカウントは、2010年5月18日に開設され、米国ツイッター社の認証済みアカウントマークを国内の行政機関として(法人としても)初めて取得した。主に震度5強以上の地震や死者・行方不明者20人以上などの大規模災害時に向けて、消防庁がとりまとめている被害情報を発信することを目的とし、平常時は消防庁からの報道提供資料等の内容を発信していた。総務省消防庁のアカウント震災後にフォロワー数を増やし、3月25日の時点でフォロワー数は21万を越えた。

震災前から開設していた厚生労働省 ( @MHLWitter )や文部科学省( @mextjapan )、そして、経済産業省情報プロジェクト室( @openmeti )などは、震災に関する情報を積極的にツイートした。

厚生労働省は、人工呼吸器など電気を使う医療機器の停電時での対応方法、被災のために被保険者証を提示できない場合の医療機関の受診、人工透析の提供体制、そして避難所の被災者のための健康維持や生活支援、仕事探しなどが発信された。文部科学省は、福島第一原子力発電所の放射能モニタリングデータなどが公開された。

経済産業省情報プロジェクト室では、公的機関の運用を経済産業省で確認している信用できるツイッターアカウントのがばったー(http://govtter.openlabs.go.jp)や国・自治体ツイッターアカウントリストなどを案内。また、消防庁や厚生労働省などが発信した重要な情報、震災後に政府が開設したアカウントも積極的にとりあげた。経済産業省情報プロジェクト室では、震災発生時において公共機関のソーシャルメディア活用の普及に向けての旗振り役となった。

震災後、政府も次々とアカウントを開設

政府はこれまでツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの活用に一部慎重な姿勢を見せていたが、今回の震災を機に、政府はリアルタイムに正確な情報を国民に届けるために、ツイッター、そしてフェイスブックなどのソーシャルメディアを積極的に活用し始めた。

首相官邸は2011年3月13日、首相官邸(災害情報)の公式アカウント( @Kantei_Saigai )を開設。首相官邸では震災直後は、菅首相や枝野官房長官の記者会見模様や福島第一原発の放射能汚染や計画停電に関する情報が発信され、3月末にはフォロワー数が30万を超えた。その後、住まいや法律や雇用や各種手続きなどの被災者支援に関する情報、義援金や食品出荷制限などの情報が発信された。

首相官邸は年3月22日、首相官邸のフェイスブックページ「Prime Minister's Office of Japan」を開設し、菅首相や枝野官房長官の会見模様や震災や原発などの震災に関する情報を英語で発信した。フェイスブックページはアカウントに登録していなくても閲覧できるため、ホームページに代わる情報発信ツールとして期待されている。

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海外では福島第一原発など被災情報が正確に伝わらず、外国政府も放射能汚染などに関する情報不足に不満を示していた。そのため、世界中で6億人以上が利用しているフェイスブックページを活用し、政府自らが海外に向けて情報を発信した。フェイスブックページのコメント欄には、政府や東京電力の原発への対応などについて多くの質問が英文で書き込まれ、日本人がその質問に答えるなどのやりとりが見られた。世界各地では原発に関する情報不足で一部では間違った報道がされていた。また、原発の情報不足と対応の長期化が進めば、海外からは同情から不満に変わるというイメージの悪化を招く恐れが懸念され、世界中の6億人以上がアクティブに利用するフェイスブックでの情報発信は、英語で発信される情報が少ない中、重要な役割を担っていた。首相官邸のフェイスブックページには4月15日時点で7,000名を超える人が「いいね!」ボタンを押しており、2011年7月末には8,500人を越えた。

首相官邸は2011年3月16日に、英文の首相官邸(災害情報)のアカウント( @JPN_PMO )を開設。首相官邸のフェイスブックのページと連動させ、フェイスブックにコメントが掲載されると、ツイッターに自動的にツイートされた。

被災現場で賢明に救援活動をすすめる陸上自衛隊、そして海上自衛隊もツイッターの利用を開始。自衛隊の救助活動は過酷な状況であるにも関わらず、温かい言葉が被災地現場から次々と書き込まれた。

陸上自衛隊は2011年3月20日、陸上自衛隊のアカウント( @JGSDF_pr」)を開設した。JGSDFは、Japan Ground Self-Defense Forceの略となる。「本日より新たに、陸上自衛隊広報用として、ツイッターアカウントを開設いたしました。陸上自衛隊の様々な活動や取り組みについてお知らせしていきますので、フォローをお願いいたします。」とツイート。プロフィールには「陸上自衛隊は、この大地と国民の生命・財産を守るため、日頃から国民とともにある存在として全国各地でいろいろな活動を行っています。この場を通じて、陸上自衛隊に対する理解を深める一助となれば幸いです」と書かれた。

陸上自衛隊は被災地からの活動写真を掲載するなどの災害派遣の活動模様や隊員へのメッセージの受付も行った。ツイッターでは、「捜索活動において、発見された思い出の品を手渡す陸自です」「捜索活動を行う陸自隊員です。」「泥や瓦礫等の除去作業を行う陸自隊員です。」「給食支援活動を行う陸自隊員です。」医療支援活動を行う陸自隊員です。」「入浴支援活動において、子供とふれあう陸自隊員です。」「音楽演奏後、子供にサインをねだられる音楽隊の隊員です」など、写真の投稿とともに現地の救援活動の模様をツイート。また、YouTubeチャンネル、Ustreamなどを通じて動画も公開した。陸上自衛隊の救援活動のツイートは、多くの利用ユーザーの共感を呼び、2011年3月25日時点でフォロワー数は10万を超えた。

海上自衛隊は陸上自衛隊の動きを受け4月4日、海上自衛隊のアカウント(@JMSDF_PAO)を開設し、被災各地での活動模様を写真で掲載している。海上自衛隊はYouTubeに「海上自衛隊チャンネル」を開設しているなど、写真や動画を積極的に公開している。2011年4月28日には、フェイスブックページを開設し、海上自衛隊の活動模様やイベント情報など写真を交えて公開している。フェイスブックには「感謝の気持ちとともにこれからも応援しております。」「海上自衛隊が、とても身近に感じられるようになりました♪」などが書き込まれており、2011年7月25日時点で、13,000以上の人が「いいね!」ボタンを押しているなど、多くのファン層を増やしている。

各省庁も震災後、ツイッターやフェイスブックのアカウント開設が相次いだ。総務省行政管理局電子政府グループは、3月15日にツイッターの公式アカウント( @eGovJapan )、経済産業省は2011年3月16日、3月20日には英語版の( @METI_JPN )を公開した。フェイスブックでは、外務省が6月1日に日本外交の発信強化のためフェイスブックページを開設、文部科学省も2011年6月2日に新着情報や動画や施策紹介などを目的にフェイスブックページを開設するなど、活用が広がっている。

メディア、コミュニティFMの存在

今回の震災から地元のテレビ、ラジオ、そして新聞社各社がツイッターを積極的に活用した。

(宮城県河北新報社)

宮城県仙台市に本社をおく河北新報社では、新聞の紙面と併せ、新聞の紙面だけでは伝えられない現場のより細かな情報を、リアルタイムかつ双方向で伝えられるツイッターにメディアとして新たな可能性を感じ河北新報の公式アカウント(@kahoku_shimpo)「夕刊編集部」(@yukan_kahoku)、地域SNS「ふらっと」(@flat_kahoku)、の複数のアカウントを使い積極的に情報発信を続けた。

仙台の街では、電気、水道、都市ガスなどのライフラインが断たれ、公共機関も止まり、仙台に住んでいても仙台の街の状況がどうなっているのか、その様子がわからない状況だった。仙台の街で何がおきていて、市民が何を知りたいのか、その状況をリアルタイムで市民に伝えていきたいという思い持ちから、河北新報社では夕刊編集部記者とネット事業部員が、震災直後から実際に街に足を運び、ツイッターやSNSやブログなどのソーシャルメディアを積極的に活用し、被災地現場や街でおきている出来事や人の姿など市民生活などを取材しリアルタイムに情報発信を続けた。

震災発生後4日後の3月15日、夕刊編集部は、「朝から曇り空だった仙台は、細かい雨が降り始めました。今日もダイエーを目指す列は、定禅寺通りまで続いています。 #senndai」と、震災発生後の最初のツイート。その後も、「河原町商店街の精肉店が開いています」など、街のお店の営業情報や人々の姿など、市民目線で、歩きながら目にした情報を、時には写真も付けながら、次々と携帯端末から情報を発信した。

市民参加型のコミュニティの地域SNS「ふらっと」は、安否確認の掲示板や、生活情報に関する伝言板などを設置。ツイッターでは「被災地はじめ地域の方々が元気になれるツイート」を目指し、生活情報など様々な情報を発信。

地域SNS「ふらっと」内のブログでは、3月14日に夕刊編集部の公式ブログを開設。ブログを使い仙台の市民と街の姿の情報をほぼ毎日更新し続けた。最初に投稿されたタイトルは「助け合う仙台の街」で、市民が食事や物資など支えながら生活している様子が伝えられた。また、ふらっと編集室スタッフは「若林区で震災復興を叫ぶ平社員のブログ」というタイトルのブログを開設し、被災した仙台市の写真の投稿や取材記者から送られてきた現地のルポなどを投稿した。

地域SNS「ふらっと」内のブログには「気仙沼を元気に ブロガー発信」というブログサイトが震災前に開設され、気仙沼・南三陸地域在住の8人がブロガーとして地域情報を発信していた。震災発生後に投稿されたのは3月14日、「生きていますか?」というタイトルで、被災現場の街が壊滅的となっている写真と短いコメントが投稿された。「あまりに突然の事でした。僕は、生きています・・・みんな生きててくれ!・・・頼むから・・・気仙沼ブロガー 伊藤より」。その後も被災現場から、家族を失い必死に生活をしている姿や「がんばっぺ!気仙沼!」というタイトルで、被災直後から自衛隊や消防庁などへの支援に対する感謝の気持ちや、「がんばります。復興めざし力を合わせます。皆さん応援してください。」など、街の復興に向けて力をあわせて取り組んでいる様子が伝えられた。

地域SNS「ふらっと」内のブログには、「3.11大震災 ボランティア活動報告 『絆』 手を携え、前に!」というタイトルで、「ボランティア情報ステーションin仙台・宮城」や「みやぎ連携復興センター」や「災害者コミニティ仙台」そして、「宮城復興支援センター」や「東北関東大震災・共同支援ネットワーク」などの各団体がブログを開設し、支援、復興に向けた取り組みが報告された。

また、河北新報社の公式サイトには、震災の特集ページを立ち上げ、被災地へ震災情報を提供する一つの手段として、ホームページに紙面イメージの一部を掲載した。特集ページには、「避難所いま」などの現場の悲痛な状況や、応援メッセージの募集などの記事や情報が掲載された。

河北新報社では、被災にあった街々には新聞社の支局があり、その記者の多くは被災の当事者となった。ネットでメディアを提供するインターネットサイト「現代ビジネス」には、『余震の中で新聞を作る 河北新報編集委員が記録する「被災地のジャーナリズム」』という特集が組まれ、記者と当事者の視点での実体験に基づく取材模様が詳細に記録された。

こういったソーシャルメディアなどによるネットでの情報発信により、ツイッターなどで拡散され、河北新報社には市民からの声や激励や応援メッセージなど様々な声が届けられた。

市民からは、被災からの時間の経過とともに、求める声も変化していった、食料の供給が安定してくると、ガソリンスタンドや銭湯の営業、そして墓園などの情報を求めるツイートが多くなり、墓園の様子を問い合わせられる番号をツイートするなど、市民感覚、市民目線にたって、情報のやりとりがされていた。

「PCも携帯も持っていない仙台の両親に伝えます」といったように、県外の人がツイートを見て、仙台の家族や知人・友人に情報を伝えるといったケースも見られた。

また、全国から、「頑張れ!仙台駅」や「昔お世話になった店が元気で安心しました」「街に明るさが戻ってきました」などのコメントが寄せられ、さらには、「3/11以降、こういう記事を読むたびにおろおろと涙を流し、何万人もの犠牲者の一人ずつに全て違うエピソードがあることを体感する。その記憶を根っこに持ちながら、毎日を精一杯暮らしていくことが、残された我々の努めなんだろうと。」など、河北新報社がツイッターなどネットなどで発信する情報を見て、激励や感謝などのメッセージが編集部に届けられた。

河北新報社は、震災発生後から1ヶ月後の2011年4月11日、公式のニューサイトで震災後のツイッターやブログなどのソーシャルメディアの取り組みを紹介するとともに、「ツイッターユーザーの皆さまからいただいた激励や感謝の言葉が、どれほどわたしたちの励みになっていることか。この場を借りてお礼申し上げます。」というコメントを残した。

「河北新報」「夕刊編集部」「ふらっと」(地域SNS)の三つのアカウントは、震災後にフォロワー数を伸ばし、「河北新報」は、震災前の約3、000から16,000、「夕刊編集部」が約100人から約2、600、「ふらっと」が約800人から約2、900人と増え、被災者のユーザーからも指示された形だ。

(岩手県IBC岩手放送)

岩手県のIBC岩手放送(@IBC_online)は、震災発生の8分後、「岩手県沿岸に大津波警報」とツイート。その後、県内の釜石市や宮古市の津波情報や火災情報、交通情報などを次々と発信。IBC岩手放送のツイッターアカウントのアイコンはIBC岩手放送のキャラクター「おらくん」で、平常時は親しみやすい書き込みが多いが、今回の震災発生時においては、8分後のかなり早い時間から情報を発信し続け、警戒を呼びかけていた。

(福島県ラジオ福島)

ラジオ福島では、受信状態悪い避難所などに配慮し、USTEREAM上で音声放送を同時中継した。海外のUSTREAMの視聴者からは、「私は今、カナダからこのラジオを聴いています。私の実家はいわき市にあり、この一週間いろいろな思いでニュースを見たり聴いたりしています。このラジオを聴くと、遠い福島の地が近く感じられます。福島は負けない!日本は負けない!」と、ツイッターからの応援メッセージが届けられた。

ツイッターで発信される情報は、安否情報、避難所、原発、ライフライン、お店の営業情報、医療情報など多岐にわたった。USTREAMなどとの連携で相乗効果を出し、3月31日時点でフォロワー数が25,000を超え、東北の地元メディアの中でも多くのユーザーから支持された。

(その他の地元メディア)

その他、東北地方などでの地元メディアは、

青森県では、東奥日報(@toonippo)、デーリー東北新聞社(@daily_tohoku)、BeFM(八戸市のコミュニティラジオ局)( @BeFM_hachinohe)、

岩手県では、IBC岩手放送(@IBC_online)のほか、エフエム岩手(@fmiwate)、ラヂオもりおか(@RADIO_MORIOKA)

宮城県では、河北新報ニュース(@kahoku_shimpo)のほか、朝日新聞福島総局(@asahi_fukushima)、東北放送ラジオ(@tbcr_directors)、仙台シティエフエム (@radio3_fm762)、

茨城県では、茨城新聞社(@ibarakishimbun)、茨城放送(@ibs_radio)、

など、多くの地元メディアがアカウントを開設して、地元の震災関連の情報を発信し続けた。

地元メディアとツイッター

震災発生後、ライフラインが断たれた状況下で情報が混乱する中、多くの人々がリアルタイムで流れる地域の「生活情報」を強く求めていた。地元メディアは現地の取材網を生かし、現場に足を運び、実際に記者が自分たちで見た街の様子を伝えた。多くの地元メディアはツイッターを通じて、これまで一辺倒な情報提供からより双方向のコミュニケーションを実現し、刻々と変化していく要望に迅速に答えていくことができたのだ。

全国の放送局では、4月以降から通常の番組編成に戻りつつあり、震災関連でも全国的に関心の高い福島第一原発など放射線に関する情報などが、被災地の現場の様子が放送される回数も減少していった。

そういった中で、ソーシャルメディアなどを利用し、地域から発信される地域情報のメディアの有効性が再評価された。東北の地元メディアは、地元企業の被災などにより、広告収入が減少し、経営的には厳しい状況にある。また、ソーシャルメディアによる情報発信は、有効性は確認されたものの直接収益には結びつかず、地域情報とソーシャルメディアをどのように活用し、収益に育てていくかが大きなポイントとなる。

テレビ、ラジオ、新聞への評価

これまで、自治体や地元メディアのソーシャルメディアの活用を紹介してきたが、全国放送のテレビ局やラジオにおいても変化が見られた。

NHKや在京民放局は地震発生直後から相次いで地震に関する報道特別番組を流した。各局は災害対策本部を設置し、報道局を中心にヘリコプターなどを飛ばし現地取材を進めた。NHKは今回の震災取材で各地の記者など最大約500人を被災地などに派遣し、これまでにない規模となる報道態勢となった。テレビ東京以外の在京民放放送局は13日いっぱいまでCMを入れずに放送を続け、各局の看板番組や大型特番は相次いで中止となった。

こういった状況の中、一般のユーザーがNHKの報道特別番組を動画配信サイトのUstreamを使い、許可なく同時配信を始め、ツイッターなどで情報が広がり19時頃には3万人に近い視聴者数に達した。この同時配信について、ツイッター上で「著作権上の問題はないのか」といった問い合わせが、NHK広報局に寄せられた。問い合わせを受けたNHKの広報局員は、ツイッターで「停電のため、テレビがご覧になれない地域もあります。人命に関わることですから、少しでも情報の届く手段があるのでしたら、活用していただきいたく存じます(ただ、これは私の独断ですので、あとで責任はとるつもりです)」とツイート。このツイートを受け、多くのツイッターユーザーから応援メッセージが相次ぎ、共感の輪が広がっていった。

NHKはその後、東北地方太平洋沖地震のみの特別対応として公式にUstreamで同時配信を始めた。民放では、TBSやテレビ朝日やフジテレビが放送中の地震に関する緊急特番をUstreamの公式チャネルで配信を始めた。ドワンゴが運営する動画配信サイト「ニコニコ動画」でもNHKとフジテレビの承諾を得て、特別対応として、同時再送信を実施した。

これらのNHKや民放各社のネットによる同時再送信の取り組みは、ツイッターやSNSなどのソーシャルメディアを経由し、視聴数を増やしていった。特に、被災地では停電でテレビが見られないため、スマートフォンなどを通じて動画を視聴することができたのだ。そして、被災地の情報は、テレビ局による同時再送信とソーシャルメディアにより、状況を把握できない海外に暮らす日本人など世界中にも拡散され、リアルタイム日本の放送を視聴できたため、貴重な生の情報源となった。メディアと個人のつぶやきの共存によって、相乗効果を生み出し、被災地から全世界まで瞬く間に情報が広がっていったのだ。

フジテレビの広報部は、読売新聞の取材に対し「テレビを見られない方に対し、あらゆる機器を使って情報提供するのが放送局の責務」とコメントした。また、NHK、フジテレビの地震関連番組を動画共有サイト「ニコニコ動画」で同時放送したドワンゴの担当者は、「初めてのチャレンジだが、ネットの特性を生かしながら、やれることをやっていきたい」とコメントした。ニコニコ動画によると、NHKは1日あたり最大約210万人(11日)が視聴したという。

今回の緊急性の高い情報が求められる中で、放送とネットの融合への拍車が一気にかかった格好だ。

ツイッター上では、「ツイッターやUSTでの状況共有と、それに連動するマスコミの動きは、阪神淡路大震災の時とは比べ物にならない質の高さを感じる。もちろん過去の辛い経験から得た教訓を、みんな活かそうとしている感動。」というツイートも見られた。

NHKの場合は、現行の放送法では、受信料制度はテレビなど受像機の設置を根拠に成り立っているため、番組と放送とネットで同時配信することは認められていない。総務省は、今回の配信の主体は、ニコニコ動画などの民間事業者によるもので、NHKと民間事業者との間での問題になるので、放送法にかからないという認識を示した。今回の震災により多数の人々が深刻な被害に直面し現地の情報が必要とされている中、建前論に固執せず、公共性と緊急性に基づき、自らの判断でネットによる同時再送信に踏み切った格好だ。

NHKや民放各社などもツイッターを活用し、被災状況や放送番組の案内などを発信した。特にNHKでは、各アカウントが急激にフォロワー数を伸ばした。NHKについてユルく案内をするNHK広報局(@NHK_PR)は、震災前の約123,000から3月末には328,000を超え、NHKニュース(@nhk_news)は、約63,000から255,00を超えた。また、NHK報道局科学文化部(@nhk_kabun)は、原発関連事故などで、大きな注目が集まり、約14,000から72,000までフォロワー数を伸ばした。

「災害に強い」と評価されるラジオ局にも注目が集まり、積極的にネットを活用した。今回の震災で被災地では、電気がつかずインターネットがつながらないところもあり、情報収集の手段として、ラジオが重宝された。

(政府)

首相官邸は2011年3月28日、正確な情報を被災者に届けるため、震災の被災者向けの全国ネットのラジオ番組を開始すると発表した。28日からTOKYO FM系列の38局で毎日午後7時55分から午後10時の間に5分間放送を開始した。番組名は「震災情報 官邸発」で、当時の枝野幸男官房長官らが被災者や国民向けに震災情報や政府の対策など内容を放送した。初回は、枝野幸男官房長官が出演し、視聴者に「復興への道のりは険しいが国民一人一人が力を貸してほしい」と呼び掛けた。

(FM東京)

FMラジオ局大手のエフエム東京は、震災発生から1週間にわたり、番組はすべて生放送でCMなしの特別編成で放送した。震災後は、テレビから悲惨な多く映像が流れたため、ラジオでは被災地からのリクエストを受け、子ども向け番組のテーマソングや演歌・歌謡曲など普段は流さないジャンルの音楽や絵本の朗読も実施し、被災地のリスナーへの励ましとなる音楽が多く放送された。

その結果、震災後約1週間で約3万通のメールが寄せられた。視聴者のメールには、「ラジオは温かい」など激励や感謝の言葉が多く、ウェブへのアクセス数は通常時の4~5倍に上った。

(Radiko)

パソコン、iPhone、Android端末向けに関東・関西地区のAM/FM/短波ラジオ放送を、インターネットでラジオ放送を同時配信するサービス「radiko.jp」を提供するradiko(ラジコ)は、3月13日午後5時より地震への対応としてエリア制限を当面の間、解除すると発表した。これにより、通常は、首都圏の1都6県と、関西圏の2府4県でのみ利用できるエリア制限があるが、今回のエリア制限の解除により、一定の期間、日本全国どこでも、radiko.jpが聴けるようにした。

(全国FM放送協議会)

全国FM放送協議会は3月16日、FM青森、FM岩手、Date fm(仙台)、FM秋田、FM山形、ふくしまFMの東北6県のFM局とTOKYO FMの計7局の放送をインターネットで全国配信を始めたと発表した。パソコンやスマートフォンでTOKYO FMのホームページにアクセスし、無料で聴くことができた。同協議会では、全国配信を始めた背景として、被災地の人が近県の被災情報や生活情報の情報収集や、全国の人が知人の安否を確認するために役立ててもらうことをあげている。

(地元メディア)

被災地の東北では、口頭の申請だけで即座に放送免許を受けられる「臨時災害放送局」が次々と開設された。総務省の4月15日の発表によると、東日本大震災では過去最多の19局が放送を開始した。

大船渡市や気仙沼市などの自治体では、ツイッターと連動した取り組みも見られた。大船渡市は、3月31日に「おおふなとさいがいエフエム」を開局することをツイッターで案内。「おおふなとさいがいエフエム」では、ライフラインの復旧状況や医療機関の再開状況や仮設住宅の建築予定など、地域密着の情報を放送し、パーソナリティーはボランティアが務めた。

気仙沼市では3月14日からツイッターを再開し、地域コミュニティの立ち上げに向けて、「けせんぬまさいがいエフエム」の開局やボランティアセンターの設置など、明るいニュースの一つとして紹介した。

新聞にも変化が起きた。

(全国紙)

日本経済新聞や毎日新聞などは、震災関連の記事が掲載されている一面や社会面、そして特集面など一部を紙面イメージのままインターネット上で無料公開した。日本経済新聞の場合は、有料会員向けに提供してきたが、地震や停電などの影響により新聞の配達ができず、配達の遅れが生じているケースが多く、被災地の人々に被害情報などを広く伝えるために、無料配信に踏み切った。

朝日新聞など新聞各社はツイッターを活用し、震災関連のニュースや被災者向けの生活情報なども配信した。特に朝日新聞では、40を超えるツイッターのアカウントを持っており、新聞各社の中で最も力をいれていた。今回の震災でも各部署が積極的に情報を発信し続けた。朝日新聞は震災直後の2011年3月12日に、朝日新聞社会グループ(@Asahi_Shakai)を開設し、被災者向けの情報や被災者支援に関わる情報を発信し続けた。また、朝日新聞官邸クラブ(@ asahi_kantei)は、管首相や枝野官房長官の取材記者会見などの動きをフォローし注目を集めた。

(政府)

首相官邸は、救援情報や暮らしに役立つ情報などをまとめた政府の壁紙新聞をつくり、ホームページに毎日掲載するとともに、自衛隊が避難所へ運ぶ救援物資と一緒に配布した。

(地元新聞紙)

宮城県石巻市に本社をおく石巻日日(ひび)新聞は、震災発生後、震災と津波により、編集・発行の設備を失い、新聞の印刷ができない状況に追い込まれた。そのため、6人の編集陣が取材、3人がペンで紙に直接執筆し、手書きの壁新聞を発行。被災者に情報を提供し続けた。

震災翌日の2011年3月12日付の壁新聞「第1号」は、世界中から新聞を収集していることで知られる米ワシントンの報道博物館「Newseum」に展示されることになった。「Newseum」では、壁新聞を「人類の情報へのあくなき欲求と、それに応えようとするジャーナリズムを強力に物語る、時代を超えたメッセージ性を秘めた新聞」と高く評価された。

被災地の新聞各社も停電などによりシステムが動画しなくなるなど新聞製作に支障が生じた、被害の大きかった河北新報(仙台市)、岩手日報(盛岡市)、山形新聞(山形市)、デーリー東北新聞(青森県八戸市)、茨城新聞(水戸市)の新聞各社5社は、近隣の新聞各社に支援を要請し、各社の被害事情に応じて、11日の号外から14日の朝刊について、組み上げ作業や代行印刷などの支援を受けた。一方、日本製紙石巻工場(宮城県石巻市)など新聞用紙を生産する4工場が被災し、操業停止に追い込まれたため、紙不足に直面した。一部の地元新聞社においてもPDFで一部記事の無料公開をした。

被災地の地元新聞には、身元不明者の特徴情報や震災生活情報など4面程度が毎日掲載され、被災地の人々にとっては貴重な情報源となった。被災地の現場では、ネットになかなかつながらないところも多く、ラジオや新聞などのアナログ情報がむしろインターネットの情報よりも重宝され貴重な情報源となっていた。「今」を伝える情報では、テレビやラジオ、そしてツイッターなどのネットには及ばないが、網羅性の高い新聞から自分の必要な情報を手に入れることができた。特に高齢者は、携帯電話や情報端末を持たない場合が多く、新聞やラジオは情報を知る上で貴重な情報源となった。

政府や自治体が発信する情報とソーシャルメディアに対する評価と課題

野村総研は2011年3月29日、「震災に伴うメディア接触動向に関する調査結果」を発表した。今回の震災に関して、重視する情報源は、NHKのテレビ放送を重視する人が80.5%、民放を重視する人が56.9%、そして、インターネットのポータルサイトの情報が43.2%、新聞の情報が36.3%と上位を占めた。インターネットの政府・自治体の情報は23.1%、ソーシャルメディアの情報が18.3%とラジオ放送(民放)の11.8%やNHKラジオの11.4%を上回った。

信頼度が増したメディアとしては、NHKとポータルサイトの情報に続きソーシャルメディアの情報が3位となっており、今回の震災を機にソーシャルメディアへの信頼感が増した形だ。

一方、信頼度が低下したメディアでは、政府・自治体の情報が28.9%となっており、政府や自治体が発信する情報の内容や発信手段などについてのあり方が問われているといえる。

今回の震災によって、今回の震災によって、ツイッターなどのソーシャルメディアは一定の評価を得たものの、まだまだ試行錯誤が続いているのも現状である。政府や自治体などによるソーシャルメディアによる災害情報の提供が、実際にどれだけの効果があったのか、検証も必要だ。また、被災者各地から発信されるツイートから、各被災地がどうなっていて、どんな支援が必要なのか解析し、プッシュ型の支援をしていくといった取組みも検討が必要だ。

また、インターネットへの接続環境を持たない人やソーシャルメディアを使いこなすことに慣れていない高齢者へのサポートや、利用方法の周知や啓発活動、そして、情報を受け取った人が伝える仕組みなど、デジタル情報をアナログ情報に変換する取組みが求められた。また、アナログ情報をデジタル情報に変換し、被災地以外に安否情報やどんな支援が求められているのか、という情報を共有させていく仕組みづくりも求められた。

システム面においては、今回の震災や津波により、携帯電話の無線局基地局が破壊されたり、停電などにより、通信ができなかった地域も多数あった。携帯電話の端末も充電方法が確保できなければ、電池切れで使えなくなってしまう。こういった中で、充電の確保の方法や災害発生時におけるソーシャルメディアの活用方法について事前に検証・評価をしていく必要も求められた。

ソーシャルメディアへの情報の信頼性も問題視された。地震発生直後、「他の人に知らせてください!」「拡散希望!」と書かれたチェーンメールが、飛び交った。

「茨城県で化学物質が大量に含まれる雨が降る」、「放射線による被害を防ぐには、ヨウ素を含むうがい薬を飲んだりワカメや昆布を食べたりするといい」など、確認された被災関連のチェーンメールは数十種類にものぼった。

コスモ石油千葉製油所での火災後、「コスモ石油の爆発により有害物質が雲に付着し、雨などと一緒に降るので、外出の際は傘かかっぱを持ち歩き、身体が雨に接触しないようにしてください」というメールが不特定多数に出回った。

デマ情報が飛び交う中、政府や自治体などがツイッターなどで情報を修正する動きをとった。

千葉県浦安市震災翌日の3月12日、公式ツイッターで「市原市のコスモ石油千葉製油所LPGタンクの爆発により、千葉県、近隣圏に在住の方に有害物質が雨などと一緒に飛散するという虚偽のチェーンメールが送られています。千葉県消防地震防災課に確認したところ、そのようなことはないと確認できました。正確な情報の把握により行動してください。」とチェーンメールへの注意を呼びかけた。この情報は100人を超える人にリツイートされた。コスモ石油も同日、「人体に及ぼす影響は少ない」と内容を否定した。

厚生労働省は、同日の2011年3月12日の午後5時23分ツイッターで、コスモ石油の情報は厚生労働省の名前でも広がっているため「厚生労働省です。不特定多数の方に送信されている、コスモ石油千葉製油所における火災関連のメールについては、厚生労働省からの発表情報ではありませんのでご留意願います。」と、厚生労働省を装ったメールへの注意喚起を呼びかけた。

枝野幸男官房長官は官邸で3月12日午後5時50から記者会見を実施し、会見の中で「この間、特にメール、チェーンメールを通じて、事実と全く異なっている情報を、あたかも警察によると、などのあたかも事実に基づいたかのように装ったメール、チェーンメールが多数出回っていることを把握しています。こうしたことはいたずらに不安感をもたらすものだけでなく、対応で救出救難活動が遅れて、人命に関わることがあります。ぜひこうしたことは避けていただきますようお願い申し上げます。」とコメントし、政府が記者会見の時間を使って事態の収拾をはかった。

今回の震災でツイッターなどのソーシャルメディアの信頼性が課題として指摘されたが、平常時にフォローしていた友人・知人などの情報を信じて確認せずに拡散し、それが連鎖的に広がっていったためだ。そのため、災害時などの緊急時には、自治体や地元メディア、政府、交通機関や緊急地震速報などの公共性の高いアカウントをフォローまたはリスト化しておくことが、冷静に正しい行動をしていく上で重要となる。

今回の震災では、多くのユーザーがソーシャルメディアの自らの手でどう自身がそれぞれの小さなメディアを行使し、潜在力をフルに有効活用しできるのか、正しい情報を正しく収集できるのか、情報を拡散できるのか、一人ひとりのソーシャルメディア・リテラシーと行動が求めれていたといえる。

※本記事は、2011年に執筆した記事を再編集したものです。

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