自虐史観という語を藤岡さんという名だったとおもう、ある東大教授
十年近く前に使い始めました。日本の過去の悪行をいつまでも
歴史の授業で教え続けることは子どもたちに日本人としての誇りを
失わせるというのです。
しかしドイツのように、他民族の生命・生活を踏みにじったことから
目をそむけず毎年首相が同じことを繰り返さないと宣言することは
はたして“自虐”でしょうか。それは寧ろ自尊というべきなのでは?。
というのは他民族の殺戮・虐待を平気で行なう政府は往々にして自国民をも
大事にしないものです。他民族も自国民も人間として尊重していく、そういう
宣言をトップができること、そういうトップを頂くことこそが自尊ではないので
しょうか。
旧日本軍兵士は中国で食を得るために常に“徴発”をしていました。つまり
住民からの強盗です。
イラク戦争をアメリカがしかける直前に、“車列”が襲われる
のではないかという危惧(米軍にとっての)が盛んに報道されていました。
車列とは米軍兵士のための食糧と武器です。日本軍兵士は
武器弾薬の本国からの補給を受けることはあっても食糧を送られる
ことはありませんでした。
これらの兵士は“天皇の赤子<せきし>”と呼ばれました。天皇の子どもと
して天皇に愛されているのだぞ、だから喜んで命を捨てよという
言葉だけプレゼントされ、食糧は贈ってもらえなかったわけです。
ドイツはナチスのホロコーストを子どもたちにきちんと教え、
憲法も“闘う民主主義”つまり、言論の自由を原則としつつも
ネオナチのようなグループの“自由”は許さないというコンセプトで
作りました。
日本はKOREAや中国でしたことを子どもたちに教えないように
してきて、自分では自由な国だといばっています。
ドイツは再処理を自国民に多大な被害を被らせる可能性を
直視して手を引きました。
日本は再処理の危険性に頬被り<ほおかぶり>して依然巨額の税金を
投じていく方針を捨てないでいます。
@@@@@マーク以降は三陸の海を放射能から守る岩手の会のHP
http://homepage3.nifty.com/gatayann/101126answer.html
に依拠しています。
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(旧)西ドイツ政府内務省は再処理工場の重大事故評価を
行いました。
そして「核再処理工場の重大事故、国民の半数
死亡も」という評価報告を得て再処理から手を引きました。このことは1977.1.15付毎日新聞が報じています。
日本はどうでしょうか。
実際に使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、その過程で出る
死の灰をたくさん含んだ廃液(放射性廃液)を海に大量に捨てる“アクティブ
試験”を、そのドイツの決断に見習うことなく四年前に始めてしまいまいした。
試験開始前にはもちろん1cm3 も存在することはなかった高レベル廃液
は、今や240m3にもなっています。
この廃液は絶えず冷却し発生ガスを掃気しなければなりません。
そうでないと沸騰し、ひいては爆発事故を起こすおそれがあるからです。
一旦こうした事故が発生すると場合によってはチェルノブイリ事故以上の
地球規模汚染につながりかねません。