日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

研究者がブロガーの標的になったときは・・・

2010-12-25 21:06:15 | 学問・教育・研究
昨日の朝日新聞朝刊に今年の科学10大ニュースが出ていた。科学関係の報道に携わる朝日新聞記者が投票で選んだとのことで、第1位が「はやぶさの帰還」で第2位が「日本人2人のノーベル化学賞受賞」であったが、私の目を引いたのは第8位「ヒ素食べる細菌、常識を覆す」であった。というのも「異論も相次ぐ」と但し書きにもあるように、この「発見」に対して多くの疑義が湧き起こっているのが現状だからである。ことの起こりは次のニュースであった。

ヒ素食べる細菌、NASAなど発見 生物の「常識」覆す

 猛毒のヒ素を「食べる」細菌を、米航空宇宙局(NASA)などの研究グループが見つけた。生物が生命を維持して増えるために、炭素や水素、窒素、酸素、リン、硫黄の「6元素」が欠かせないが、この細菌はリンの代わりにヒ素をDNAの中に取り込んでいた。これまでの「生物学の常識」を覆す発見といえそうだ。

 今回の発見では、NASAが記者会見「宇宙生物学上の発見」を設定したため、「地球外生命体発見か」と、CNNなど国内外の主要メディアがニュースやワイドショーで取り上げるなど「宇宙人騒動」が起きていた。(後略)
(asahio.com 2010年12月3日5時1分)

私のこのニュースに対する反応はどちらかといえば醒めたもので「ほんまかな?」であった。確かにDNAの骨格にあるリンにヒ素が入れ替わって、それが代々複製を繰り返して細胞が増殖していくのが本当であればこれは大ごとである。それだけにどれだけの実験的根拠があるのかがまず気になったのである。

Felisa Wolfe-Simonらによる件の論文は「F. Wolfe-Simon, J. Switzer Blum, T.R. Kulp, G.W. Gordon, S.E. Hoeft, J. Pett-Ridge, J.F. Stolz, S.M. Webb, P.K. Weber, P.C.W. Davies, A.D. Anbar and R.S. Oremland (2010). A bacterium that can grow by using arsenic instead of phosphorus. Science. in press.」としてダウンロードすれば今のところ誰でも見ることが出来る。またこの論文の要点はScience誌のニュース、「What Poison? Bacterium Uses Arsenic To Build DNA and Other Molecules」に見ることが出来る。私が要点を一つに絞るとすれば「DNA骨格のリン(P)がヒ素(As)に入れ換わった」ということに尽きる。ところが「置換」について誰もが納得する実験的証拠が欠けていたこともあって多くの論議を呼ぶことになった。では何が実験的証拠となるかと言えば、私はこの方面には疎いので意見を引用するだけであるが、Nature Newsには次のようなコメントがある。

The big problem, however, is that the authors have shown that the organism takes up arsenic, but they "haven't unambiguously identified any arsenic-containing organic compounds", says Roger Summons, a biogeochemist at the Massachusetts Institute of Technology in Cambridge. "And it's not difficult to do," he adds, noting that the team could have directly confirmed or disproved the presence of arsenic in the DNA or RNA using targeted mass spectrometry.

ところが著者らのとった方法は私にとって昔懐かしいExtended X-ray absorption fine structure (EXAFS) spectroscopyで、私の実験材料でもあった金属酵素の金属イオンと配位子との距離を決めるのに使われた手段である。Arsenic Bacteria Breed Backlashの記述である。

To learn more about arsenic's chemical environment, the team performed X-ray studies. Extended X-ray absorption fine structure (EXAFS) spectroscopy, one technique the team used, can reveal arsenic's oxidation state and average distances of any bonds it's making, explains Keith O. Hodgson at Stanford University, an expert on X-ray techniques. In its report, the team "looks at the average distances, they make comparisons, and they conclude that it's a reasonable assumption that arsenic could be part of a DNA backbone," Hodgson says. However, "there's no direct proof in the X-ray absorption data that the arsenic is a part of the DNA backbone."

そしてこのように続く。

The team "has not conclusively proven, in my view, that arsenic has been incorporated into DNA," Hodgson says. It'll take studies on isolated molecules with techniques such as X-ray crystallography or NMR to unambiguously prove that, he says.

いろんな論議が交わされているとしても、ここに示されているように構造決定を行えば答えは自然と出てくる。問題の科学論文の筆頭著者Wolfe-Simonがそのイニシアチブを取れば良いだけのことである。

科学そのものの問題はこれで解決と思うが、多くの科学者にとって意外だったのがこのScience論文に対しての批判的な意見がブログを通じて燎原の火の如く広がったことであろう。問題の広がりの時間的経緯はArsenic bacteria - a post-mortem, a review, and some navel-gazingに要領よくまとめられているが、Arsenic-eating microbe may redefine chemistry of lifeでは多の研究者の指摘する問題点も含めてScience論文を紹介したNatureが、一週間後にMicrobe gets toxic response Researchers question the science behind last week's revelation of arsenic-based life.で、その批判的な意見を紹介している。

ブログによる批判の口火を切ったのがUniversity of British Columbia in Vancouverの微生物学者Rosie Redfieldで、彼女によるとほんの限られた研究者の目にとまればと書いたブログ記事が、公表して一週間もしない間に3万回以上のヒットがあったというから、科学的論議にしてはなかなか面白い展開である。ブログという気安さからであろうか、感情の吐露が素直であり、また直截的な表現が目立つのでジャーナル記事とは違った味わいがある。

Wolfe-Simonは疑問を提出したブロガーに対して、当初は査読制度をとるジャーナルの上で論争することを望んだが、いくつかの疑問に対してはResponse to Questions Concerning the Science Articleで論文に記載されていない情報をも使って答えると、それに対してさらにComments on Dr. Wolfe-Simon's Responseでコメントが寄せられるなど応酬が続いている。Science誌は寄せられたコメントとそれへの返答を査読のうえ今後の号に載せるそうである。そしてこのような応酬がThe Washington Postのような新聞でもAuthors of arsenic-based life study respond to Web critiquesと紹介されるまでになった。この新聞記事ではFelisa Wolfe-SimonがScience論文の要点を講演しているビデオを見ることが出来るが、なんだか口説かれているような気分になるところが妙である。Los Angeles Timesもつい最近のSomething's amiss with aliens and arsenicで今回のNASAの発表とScience論文にまつわる数々の問題点を要領よく紹介している。ここまで出来る新聞が日本にあるようには思えないのが残念である。

今回の問題はこの論文が公表されるのに先立ってNASAが記者会見を開き一般に公開したことが、査読制度をとるジャーナルによらないブログなどを介しての活発な議論を引き起こしたように感じる。日本の研究者にもいずれ押し寄せてくる潮流ではなかろうか。もし自分の論文が槍玉に挙げられたときに、もちろん一切の批判を無視するのも手である。しかし神ならぬ身ゆえ自分の気付かなかったミスを指摘される可能性が皆無でないと思えば、頭をかっかとさせながらもこれらのコメントに目を通さざるをえない気持ちになることだろう。無視出来るものは無視し、明らかに問題点を指摘されたと自分で判断出来れば、その批判には実験をもって応えるのが最善の選択であろう。それにしても忙しない世の中になってきたものである。ブログで叩かれTwitterで囁かれっぱなしではたまったものでない。それを切り抜ける強靱な精神を宿すために、若者よ、身体を鍛えておけ!




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