2010年11月24日水曜日

第2回リサーチアドミニストレータ研究会で考えたこと。

 第2回リサーチアドミニストレータ研究会へ参加してきた。今回はその感想を書いてみる。

 リサーチアドミニストレータ(以下RA)という言葉はあまり一般的でないだろうから、まずはその説明から。RAとは文科省の資料によれば、「単に研究に係る行政手続きを行うという意味ではなく、大学等において、研究者とともに、研究活動の企画・マネージメント・成果活用促進を行う人材群(作家に対する編集者のような存在)」。すなわち、研究者でも事務職員でもなく、研究を支援することができる立場といったところ。元ネタはアメリカであり、この存在がアメリカの競争力の源泉であるという指摘がある。これにならって、こういった人材を日本の研究機関でも導入するべきだという声があり、そのためにどうするべきか、どうあるべきかということを議論するのがこの研究会の目的である。

 それではなぜRAを導入するべきだという声があるのか。色んなところで色々なことが言われているけれども、理由はおおよそ以下の2つに集約されるのではないかと思う。

・研究者が研究そのものに集中できる環境づくり
研究の大規模化、複雑化によって生じた研究以外の雑事(書類作成、プロジェクト管理、知的財産管理、コンプライアンスなど)を引き受ける立場として必要。

・博士人材のキャリアパス多様化
博士課程まで進んで研究に従事してきた優秀な人材の有効活用のために必要。


 そもそもの議論が起こったのは前者のためである。近年、大学における研究者の活動時間に占める研究時間の割合は減少傾向にある。この減少の理由として挙げられているのが上記に挙げたような研究以外の雑事である。特に近年は競争的資金の拡充が行われることにより、書類作成、獲得後のマネジメントの業務が増大しているという声は根強い。
 これらはそれぞれ必要な業務ではあるけれども、研究者本人が必ずしもやらなければならない業務ではない。しかし、現状としてはその多くを本人がやらざるを得ない状態となっている。なぜならば、それを任せられる人間がいないためである。事務職員は機械的事務手続きのみを担当し、研究にかかわる部分については関与しないというのが大学における常識である。そもそも、やらせようにも専門的な能力があるわけではないから任せるわけにもいかない。こういった現状を改善させるための対策として期待されているのがRAという立場である。

 前者に比べて、後者はこじつけの意味合いが強いように思う。いわば、予算取りのためのテクニックではないだろうか。RAの導入を、ポスドクの雇用問題というそれなりに社会に認識されている問題に対しての対策として捉えている。とはいえ、RAの業務には研究にかかわる部分も多いため、過去に研究に携わっていた人材がその立場となることに異論はない。研究職の活躍の幅を広げ、キャリアパスを多様化していくことは優秀な人材の活用という点で有効で、それらの人材がRAとして機能していくのであれば全体の利益につながっていくと思われる。


 これらの理由を元に、日本にRAを導入するべきだという議論がある。実はすでに文科省の予算要求にもしっかり計上されていて、うまく行けば平成23年度からこの仕組みが導入される見込みである。

リサーチ・アドミニストレーターを育成・確保するシステムの整備(H23の文科省予算要求資料より)

 このような話をしていると、実に素晴らしい理念で、かつ予算も付きそうで、ということで順風満帆であるかのように聞こえるかもしれない。しかし、わたしはこの動きに対して極めて懐疑的であり、現状のままで事業が進んでいくことには反対である


 わたしが現在進みつつあるRAの制度化に対して懐疑的である理由は、それが現場のニーズに基づかないままに進みつつあるためである。これまで述べてきたとおり、RAという立場は研究者と事務職員の間に立つ存在であり、この立場がどうあるべきかということは各機関によって大きく異なるはずである。よって、導入するためには、まず何よりも個々の研究機関の中でたとえば「今後どのような研究体制を目指すのか」、「目標に対して、今の研究環境にどのような課題があるのか」、「その課題をどのように解決していくのか」といったようなことが十分に議論されなければならない。これらの分析があってこそ、それを解決するべき立場がどのような能力を求めるのかということが明確になる。ニーズが明確であれば、的確な人材を捜すことができるだろう。さらに問題意識が機関内で共有できていれば、その人間がやることに対してある程度は内部の理解もあるだろう。この結果、掲げた目標を果たすことが可能となる。

 逆に、このような分析なしに突然RAという立場の方が各機関に来たとしたらどうだろう。ニーズが不明確なのだから雇用する人間が本当に必要な能力を持っているとは限らない。さらに、問題意識が共有されていないのだから、その人間がやることは内部の理解を得にくい。結果、わざわざ専門的な人材を雇用したにもかかわらず、成果を挙げるどころかロクに利用もされないままということになってしまいかねない。※

※ この例として「産学官連携コーディネータ」を挙げる方がいた。詳細はまだ調べていない。


 制度化をひとつの足がかりとして、全国的に普及させていこうとしているのだという主張もある。けれども、成功の保障もないようなものを国の予算として行うことに一体どれほどの妥当性があるのか。税金は税金であって、財務省からもらえるお小遣いではない。現時点で、どこの大学でどのような成果が挙がっているのか。役割を果たすことのできる人材がどの程度いるのか。こういった問いに答えられない以上、成功どころか、成功の可能性を理解させることすら難しいだろう。
 なにより、このような人材を措置することで研究のパフォーマンスが上がるということであれば、各研究機関が自身の判断で勝手に措置すれば良い話である。それぞれの機関がそれぞれの目的を掲げた上で独自に人員の配置を行えば良い。事実、現時点で日本の研究機関でも一部においてはRAのような人材がすでに導入されている。これが本来のあるべき姿であろう。予算化というのは、これらの機関の経過を見てからでも遅くはない。少なくとも現時点では時期尚早であるというのがわたしの考えである。


 これまでの主張は、RAという立場自体を否定するものではない。第一回から研究会に参加する程度に、わたしはRAというものに大きな期待をしている。ただし、とりあえずRAを導入してしまえばすべてうまく行く、といったような風潮となることはきわめて危険であるように思う。研究会の最後の方でJST高橋宏さんがおっしゃっていたけれども、「目的」と「手段」を混同してはならない。研究者が研究に集中することのできる環境を作ることが「目的」であり、RAを導入することはそのためのひとつの「手段」に過ぎない。RAが導入されるにしても、「目的」の部分が十分に検討され、組織の中で共有されない限りはRAが役割を十分に果たすことは不可能で、「目的」を達成することも叶わないだろう。

RAについては以下のファイルが参考となると思われる。
「リサーチアドミニストレータにかかる現状と課題について」(理化学研究所 高橋真木子氏)

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