【読書】読みの整理学/外山滋比古 本を読めども本は読めない
既知の文章を読むことと、未知の文章を読むこと
僕は読書が好きだ。
しかし、説明書や書類を読むのは嫌いだ。
その違いはどこから出てくるのだろうか。
この本は、そんな疑問をわかりやすく解きほぐしてくれる。
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読みには二種類ある。
既知の文章を読むことと、未知の文章を読むこと。
既知を読むとは、自分の知識の中にあることと照らし合わせ、再確認すること。
未知を読むとは、新たな知識を掘り起こし、探りにいくこと。
現代においては、既知を読むことが非常に増えている。
なぜなら簡単な、平易な文章で溢れているから。
知っている文章、身近な文章は簡単に読めるけれども、馴染みがない分野の話を読むことが苦手。
そういった場合、後者の力が不足しているのだと。
今まで読むという行為について深く考えたことはなかったが、なるほど面白い。
そんな一冊。
あなたは本を読めていますか?
「本を読めども本は読めない、という人間がいかに多いか」
読み方には二種類ある。
片方しか身に付けていない人が多いと著者は述べる。
果たして僕は、読んでいる本を本当に読めているのだろうか。
「ことばは自分の既知に合わせたわかり方をする」
「受け手の先行経験や知識によって加工される」
面白いと感じる文章は皆同じではない。
人によって、ことばに対する理解の深さや思いが違う。
だからこそ、面白いと感じる書籍が違ってくる。
そんな中にも、未知に軽やかに惹きこむ著者もいる。
彼らの文章を見習うことが力を伸ばす秘訣。
「筆者と読者との間には、文章の解釈について、つねにある不一致が存在する」
人間は皆、バックグラウンドが異なる。
読者と筆者の間で理解が違った場合、どちらが正しいのか。
つねに筆者が正しいなんてことはない。
違った角度から読まれることで文書が成長することもある。
それが古典の名著となるわけだ。
未知を読む力はどうやって伸ばせるのだろうか?
「学校がすることのうちでもっとも重要なひとつは、この未知を読む能力を育てることだ」
子供は教科書の中で未知に触れる。
未知に触れ、読み進めることが困難だから教科書が嫌いになる。
大人になってから、未知を読み進めることができているだろうか。
手触り感のない文章から逃げてはいないだろうか。
もっと教科書を読んでおけばよかった
「創作は、ユニークな世界の表出である」
「物語と文学的読みものはベーターへの入門としてたいへんすぐれている」
ベーター読みというのは未知を読むことである。
物語は、非現実な未知のものであふれている。
それらを読むことは、未知を探ること。
力の付け方は意外に身近なところにあった。
「未知を読むことは、しばしば、読者の自己を読むことになる」
未知の中に見えてくること、それは自分の内面であり、自分の世界である。
未知の文章を読む中で、自分を発見することができる。
内容そのものではなく、過程の中にもキラリと輝くものが生まれる。
平易な文章が増えた理由は?
「出版の商業化がすすむと、とにかく読まれればいい、という本がふえる」
人は、読みづらい本よりも読みやすい本を好む。
出版業界は、売れる本を作らないといけない。
だから、読みやすい本が書店に溢れてしまう。
水は低いところに流れるのだ。
「このままではいけない、何か勉強しなくてはという気持をもっていたに違いない」
社会人たちが自己啓発本や資格の勉強に勤しむのは、焦りを感じているからではないだろうか。
今の仕事をしていても、スキルは身につかないとか、勉強になっていることがないと感じるといった焦り。
なぜ身に付けたいのかといえば、今の会社がどこまで安泰なのかわからないから。
それとも転職が頭の中にあるからか。
いずれにせよ、従業員にとっては終身雇用が前提でなくなったからだろう。
会社に雇ってもらっているという意識よりも労働力を提供しているという意識で働くようになったから。
会社と従業員の間のいい関係であると僕は思う。
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