インターネットもぐもぐ

インターネット、おなかいっぱい食べましょう




デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話

この年に東欧革命が起こって冷戦が終わったので、世界史、特にヨーロッパ史では、この1989年以後が「現代」と見なされている[1]。
東欧革命は、2年後にソビエト連邦崩壊をもたらした。
1989年 - Wikipedia


1989年は、元号が平成に変わって、消費税3%が導入されて、中国では天安門事件が起きて、東西ドイツを隔てるベルリンの壁は崩壊して、事実上冷戦が集結した年、みたいだ。覚えてるわけがないのだけど。
ソ連が崩壊するのは2年後の1991年。東西冷戦も社会主義国家も教科書のなかの存在で、物心ついたときには隣の国はソビエト連邦ではなくロシア連邦でした。
資本主義が世界の共通ルールだってことが考えるまでもない事実で、アメリカに対する過剰なあこがれも(たぶん、上の世代と比べたら)なかった。
というより、そもそもあまり海外に目が向かなかった。中国や韓国の存在も、意識した覚えすらない。
「アメリカ的な文化」はもうそこにあることが当たり前で、アメコミアニメもたくさん見たし、マクドナルドも行ったし、ディズニーランドも何度も連れてってもらったし、宅配ピザだって食べた。ピザーラが全国展開をはじめたのも、1989年みたい。
バブル景気を知らない。日本が上向きの頃の空気を知らない。未来が無条件に明るい感じを知らない。
覚えてる大きな事件の最初は、1995年の阪神淡路大震災地下鉄サリン事件


アンパンマンとしまじろうとディズニーとセーラームーンに囲まれて育った。
ウルトラマンよりも戦隊ものとゴジラを見てた。カクレンジャーが一番すき。
恐竜のプラモデルを組みたてたり、ピコっていうコンピュータ型のおもちゃで遊んだりしてた。
今までの人生で制服のある教育機関に属したのは幼稚園だけだった。
運動会のあと、自分が出てない競技の絵を書いて怒られた。でも玉入れが一番きれいだったんだけど。いろんな色で。描きたいものを描くんじゃないんだなーって思った。


小学校の途中までは隔週で土曜日が休みだった。どこかのタイミングで週休2日制に切り替わった。
多くの子はそこに他の習い事や塾の予定を入れただけだ。別に「ゆとり」ができたわけじゃない。学校の相対的重要性は下がったかもしれないけど。
わたしは小学校とそのクラス、以外のコミュニティに属することができてとても気が楽だった。学校だけだったら気が滅入ってたに違いない。
東京以外から転校生が来たら方言にどきどきして、フィリピン人や韓国人のお母さんのいるハーフの子が、日本語以外の言語をしゃべれることがすごいなと思った。
わたしは日本しか知らないし、知ってる日本は東京郊外のこの場所だけだ。


白黒のゲームボーイポケモンをやって、カラーのゲームボーイでまたポケモンをやった。151匹はもちろん暗記した。お母さんたちはみんな「この記憶力を違うところに使えばいいのにね」って言った。
Nintendo 64スターフォックススマッシュブラザーズゼルダの伝説時のオカリナに大ハマリして弟と膨大な時間を費やした。
全然言うことを理解してくれないピカチュウとおしゃべりもした*1音声認識技術も今とは精度がまったく違うはずですね。
PSでFF7*2をやったのも小学生だ。エアリスが大好きすぎて、ストーリーの途中で放心状態になった。
寝る間を惜しんで進めてたのに、1週間くらい手がつかなくなったw
少女漫画もものすごく読んだ。りぼんが一番人気があった時代。今はちゃおなんだよね。
ちゃおもなかよしも友達に読ませてもらってた。
「神風怪盗ジャンヌ」*3はもう鉄板。今もよく話題に出る。
初めて買ったコミックスは「ミントな僕ら」で、今も本棚にある。たぶん捨てられない。
自分は絵が全然書けなかったから、書ける子のを見てるのがとても楽しかった。


はじめてインターネットをいじったのは小1のときだ。Windows 95
ダイアルアップでいとこにメールを送った。よくわかんないぴょろぴょろした音が鳴って、秒数が画面に表示された。
「ほらはやく送って、今電話かけてる状態なんだから」、と母親に言われて急いで文面を打った。3行くらい。
メールを送ること自体がイベントだったんだから、当たり前だけど内容はない。
「メール送ったよ」という電話を母親がしてる。「ほんと?届いてるか見るね」って、電話口で声がする*4
急いで書かなくても文面書いてから電話につなげたらいいんだよ、って父親にあとから笑われた。
そんなこと言われても。よくわかんない。これ、便利なの? 何が楽しいの?
別にFAXでいいのに。緊張してキーボード叩かなくてもいいし、手で絵も書けるし、りぼんの付録のシールだって貼れるのに。


本気で(親に隠れてこそこそ)パソコンを使うようになったのはもう少し先になってから。
漫画とかゲームとか本への愛が高まって、キャラクタの名前とか作品名で検索してみた。Yahoo!ですね。
ひたすら絵を見てた。小説も多少読んでたかな。いわゆる二次創作。
ああ思い出した、ハリー・ポッターのサイトを圧倒的によく見てた。こんなにきれいな絵を書く人がいるんだなって思った。
何が感動だったって、みんなカラーなのですよ。わたしが知ってる漫画雑誌はザラザラした紙に白黒で、たまにカラーページ、だもん。
コンピュータのディスプレイに表示される絵は水彩っぽいものからアニメ塗りまであって、とても楽しかった。
毎日どこかで更新される。毎月1回じゃない。


自分でサイトもつくってた。それは高学年でしょうか。HTMLとCSSを使って。当時はフレームとかテーブルとかが流行ってた(気がする)。
サイト作成のHPを見てコピペで見よう見まねで作ってた。
そのうちだんだん掲示板のカスタマイズとかもやりたくなってきちゃって、レンタルじゃ満足できなくなって、CGIを設置した。
もうそのころはブロードバンドだった気がします。ADSLかな。
今で言うブログレベルの、簡単な日記と掲示板くらいしかなかったけど、楽しかった。
ケータイ持ってなかったから更新頻度は日単位だ。でもたくさん書いた。なんでもないことを。「実のない」ことを。でもここに書くこと、その行為がすべてだったので、内容の問題じゃなかったわけです。デジタルの世界に存在するため。
名古屋や福岡に「メル友」(もうこの響きがなつかしい)ができて、チャットしたりメールしたり、お互いの掲示板に書き込んだりして遊んでた。相互リンクもした。
インターネットすごいなあって思った。遠くに友達ができた。
新幹線で行くような場所なんて、小学生のわたしにとっては信じられないほど遠い。


サイトを作る前から「ふみコミュニティ」*5というポータルサイトに入り浸ってた。
「ふみコミュ」という固有名詞に対して「うわーやばい!なつかしい!!!」ってなる層がわたしたちの世代には確実にいる。
お絵かき掲示板とか、お絵かきチャット、もちろんふつうの掲示板があって、学年ごとにわけられたサイトランキングもあった。
ふみコミュ経由で、上手な絵を見てすごーいと思ったり、ハンドルネームでチャットルームに通ううちに馴染みのひとができてそこからお互いのサイトに訪問するようになったりした。ランキングの上位から同じ学年の子が作ってるサイトを見てこんなかわいいの作れるんだ…と思ってソース覗いたりした。


絶対に親にバレたくなくて、仕事でいない時間にめちゃくちゃ集中して遊んでた。
自分の部屋にパソコンはないからHTMLを書くのも部屋じゃできない。
貴重な時間を有効に使うために、だいたいのデザインイメージのラフを決めて、頭のなかで考えて、書く順番を想像する。
どうしても今日デザインを変えたいけど、もうすぐ母親が帰ってくる、わーやめて、もう少し待って、電車遅れればいいのに、と思いながらFFFTPをつなげる。
毎日最後にブラウザの履歴を消す。たまにキャッシュも消す。お気に入りも極力登録しない。
簡単なページをHTMLで作ってあって、直打ちでアクセスしてそこからリンクで飛ぶ。アクセス解析を設置して、IPと時間をとる。
「絶対親には聞けない」からなんでも調べた。検索脳。わからないことは調べる。


このへんはずいぶんこの10年で変わったのかもしれないね。
「ネットは顔が見えなくて危なくて怖い」「パソコンで遊んでるくらいなら外で友達と遊びなさい」「そんなオタクっぽいことするのやめたら?」の世界観で生きてきたからとても肩身が狭かった。
パソコンで遊んでるだけでなんだか悪いことしてるみたいだった。インターネットは危ないですよ、があまりにも強固な価値観でしたよね。
はるかぜちゃんみたいに、大人と対峙する気には全然なれなかった。
同じくらいの年の、明言はしないけどおそらく同じような親や先生の無言の外圧を受けているであろう子たちと知り合いたかったから、
にわとりとたまごみたいだけど、その意味で暗黙の共同体だった。
だからリアルと接続することはまずなかったし、学校の友達に言うなんてありえなかった。バレたら死ぬ!と戦々恐々としてた。
別に悪口を書いてるわけではまったくないのです。それでも嫌だった。「本当の自分」的な文脈でもない。
ただ奪われたくないなーって思ってた。「こっち側」と「あっち側」。どっちもほんとだしリアルだし楽しい。
こうやってひた隠しにしてたことが今にどうつながってるのか、それがプラスなのかマイナスなのか、うまく整理できない。


はじめてケータイを持ったのは中学1年の冬。
中学受験の塾に通ってたころから電話だけできるようなPHSは持っていたのだけど、「au」のを買った。水色の。
ケータイを手にしてはじめて、クラスの友達や先輩との関係がデジタル空間に表れた。メール。
まだパケット定額制ではないからネットはほとんどしてない。
それでもケータイ宇宙と、パソコン(インターネット)宇宙はまったく接続してなかった。
ケータイのアドレス帳は今でいうソーシャルグラフでした。リアルで会ったことあるひとで、実名で登録。
中学生のわたしを取り巻くせまーい社会はもう手のひらのその機械で完結してた。
先輩、クラス、小学校の友達、というグループにわけて。それぞれに違う着信音つけてたりして。
パソコンは違う。とにかく最初に個人表出ありきで、そこからつながったひとたち。
こっちが何かしなきゃ出会いようがない。「はじめまして」が基本。
でもだんだんROMがメインになってきてしまった。サイトはいつのまにかやめちゃったし、そのころできた友達は今はもう連絡先もわからない。
ケータイ宇宙で自己表出するのが忙しくなりすぎて、こっちでやることがなくなってきちゃった、というか。


途中を一気に割愛し、2009年、Twitterにたどりつく。


見えないからこそ文章に気をつけて優しくできたり、フラットに友達になれたりするんだよ、って、
いくら言ったってわかってもらえそうになくて(少なくとも周りの大人には)、ややあきらめてたんだけど、
Twitterはなんか違った。それがよかった。ほんとによかった。
実名か匿名かなんてどうでもよくて(実際ある時期2ちゃんねるも通いつめてた)リアルもネットもどうでもよくて、
「インターネット、悪いもんじゃないじゃん、楽しいじゃん」を言えるようになればそれでいいです。


ゆとりゆとりって言われるのはもう飽きたよね。
1989年生まれのわたしには、小学校入学とWindows 95は同年です。
同じ年に生まれた誰かが、どういうバックグラウンドを持って今まで生きてきたか、とてもとても知りたい。
ソ連という国を知らなくて、ポケモンで友情を育んで、一種の背徳感を持ってインターネットに触れて、12歳で世界貿易センタービルが崩れちゃって戦争がはじまって、中学からケータイで遊んできた層。
わたしは自分を「デジタルネイティブ」だなんてこれっぽっちも思ってないけど、
上も下もほんの5歳違うだけでずいぶんデジタルな世界との付き合い方が違うだろうとは思う。
リアルがリアルで完結するなんて、そもそもケータイと一緒に育ってくるとまずありえない。
パソコンとケータイは別の宇宙だったし、ケータイだけ使ってきた人もいっぱいいるでしょう。
インターネットへの入り口は二次創作だったりアイドルの追っかけだったりするでしょう。
すごく興味がある。
消費や行動とか、世界への意識とか、働くことへの価値観とか、自己表現への飢餓感とか、
どう形成されてきてるのか、何に影響されてきたのか。同じくらいの歳のひとたちが。


1989年生まれの人に、話を聞きたいなって、最近はずっと考えています。
教えて教えて。


[追記]
今までに書いた似たような文脈の記事には以下があります。
ケータイと共に育ってきた女子大生がiPhoneに思うこと - インターネットもぐもぐ
平成生まれと9・11のはなし - インターネットもぐもぐ
とりたてて世代論がすきなわけではないけど、いつ何をどうやって情報として与えられてきたかは決定的だと思う。
テクノロジーがそれにめちゃくちゃ大きい影響与えてる、無意識のレベルで価値観形成されてる、と思います。
わたしの「無意識」をもっと明示させるために書いている、に等しいです。


もらったリプライがあんまり嬉しすぎて、まとめました。
下手なグループインタビューよりずっと参考になる気がw「あるある」すぎます。
「デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話」を書いたらリプライがすごく嬉しかった - Togetter

*1:かなり、イライラするゲームだった

*2:デートとかゲームとかも楽しかったですね。ケットシー!

*3:種村有菜はわたしたちの青春の象徴です。

*4:「パソコンにメール送っといたよ」ってケータイに電話とかメールすること、ある層は今もけっこう頻繁にしていると思う。

*5:しかし、ずいぶんサイト構成が変わっていておもしろい。はてなーのひとたちとはまったく違う文化でおもしろいと思います。「プリクラひろば」とかおすすめです。