情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

君が代を歌わない自由、自分が伝えたい事実を口にできる自由~君が代不当判決に日弁連会長声明

2011-02-10 01:11:44 | そのほか情報流通(ほかにこんな問題が)
 読売新聞によると、【東京都教育委員会が入学式や卒業式で教職員が国旗に向かって起立し、国歌斉唱するよう通達したのに対し、都立学校の教職員ら395人が都と都教委を相手取り、通達に従う義務がないことの確認などを求めた訴訟で、教職員側は9日、通達を「合憲」と判断して請求を退けた2審・東京高裁判決を不服として、最高裁に上告した】(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110209-OYT1T00566.htm)。

 この訴訟は、入学式などの際、教員に起立して君が代を斉唱したり、音楽教員に君が代のピアノ伴奏を強いる東京都の通達に本当に教員が従わなければならないのか?が問われた。

 【一審の東京地方裁判所は、「起立したくない教職員、斉唱したくない教職員、ピアノ伴奏したくない教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱等させることは、いわば、少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置であると思料する」として、国歌斉唱などの義務がないことなどを認め、憲法上の思想・良心の自由を尊重する判断を示し】たが、これに対し、

 【今回の東京高裁判決は、国歌をピアノ伴奏する義務の有無が問われた最高裁判所の判決(2007年2月27日)を無批判に踏襲し、君が代斉唱などが「直接的にその歴史観等を否定する行為を強制するものではないから、客観的にはその歴史観等と不可分に結び付くものということはできない」として、教職員の思想・良心の自由は侵害されないと判示した】

 のである(日弁連会長声明 http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/110209.html)。

 どう思いますか?

 この問題は、2つのレベルで検討しなければならない。

 まずは、そもそも国歌なるものを儀式で歌うことを強制することが自由を侵害しないか?

 次に、仮に、国歌一般は強制してもよいが、「君が代」については、どうか?という問題である。

 
 米国では、第1段階で自由を重んじている。

 ニューヨーク連邦地裁は、1977年、
「国歌吹奏の中で、星条旗が掲揚されるとき、立とうが座っていようが、個人の自由である」

と判示したという(http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html)。

 また、国旗についても、最高裁判決は1989年、国旗焼却事件において、

「我々は国旗への冒涜行為を罰することによって、国旗を聖化するものではない。これを罰することは、この大切な象徴が表すところの自由を損なうことになる」

と判示し、

 さらに、上院で可決された国旗規制法に対し、同年、

「国旗を床に敷いたり、踏みつけることも、表現の自由として保護されるものであり、国旗の上を歩く自由も保証される」

と判示したという(上記サイト)。

 明快でいいですね。国家よりも個人が優先されるということだろう。おそらくは、国家が個人を抑圧する存在になるかもしれないが、そのときに、その国家が強制する国歌や国旗に抵抗するのは当然だという発想があるのではないだろうか。

 現に、原審のテキサス高等裁判所は「Recognizing that the right to differ is the centerpiece of our First Amendment freedoms, a government cannot mandate by fiat a feeling of unity in its citizens.」と述べている。

 「憲法修正第一条(米国の表現の自由に関する条項)の真価が違った存在である権利の保障であることに鑑みるならば、政府は市民を法によって団結させることはできない」といったところだろうか。

 ということで、米国であれば、これで議論はおしまいなわけだ。

 日本でも本当はこれでいいのだと思う。

 政府はいつ、市民に牙をむけるかもしれない存在だ。そのときに、その政府にノーという権利、その政府のシンボルにノーという権利が許されないとしたら、市民に牙をむけた政府に抵抗することが象徴的に許されないことになる…。

 


 で、念のため、君が代が特殊かどうか?これは、見解が分かれるところだろう。でも、見解が分かれるという場合に、他の見解が間違っているといえるような種類の議論でもないはずだ。君が代が軍国主義のシンボルであったと考え、戦争賛美の道具と考え、国歌にふさわしくないと考えること、それ自体は間違いとは言えないはずだ。

 また、歌詞そのものについても見解が分かれる。

  たとえば、

「わたし~ぃたちの、じゆうぅをまもるため、た~ちあがれ、屈してはならぬ、いのちのあ~るぅかぎぃり」

 というな歌詞の場合と比較すれば、歌詞そのものに議論が生まれるのも仕方ないのではないだろうか。

 であれば、やはり、強制はできないのではないだろうか?違うことが保障される社会でなければならないという総論に賛成する場合、君が代というテーマは、違うことが保障されなければならない要素が大きいのではないだろうか。

 
 日弁連会長声明(http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/110209.html)は次のように言う。

【個人の内心の精神的活動は、外部に表出される行為と密接に関係しているものであり、自己の思想・良心を守るためにとる拒否の外部的行為は、思想・良心の自由の保障対象となるのである。そして、君が代については、大日本帝国憲法下において天皇主権の象徴として用いられた歴史的経緯に照らし、現在においても君が代を歌うこと自体が自らの思想・良心の自由に抵触し、抵抗があると考える国民が少なからず存在しており、こうした考え方も憲法19条の思想・良心に含まれるものとして憲法上の保護を受けるものと解されるから、君が代斉唱などを当然に受忍すべきものとすることは、憲法の思想・良心の自由の保障等の意義を没却するものと言わざるを得ない】

【また、教育とは、旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決(1976年5月21日)も述べるように、「教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われ」る「人間の内面的価値に関する文化的営み」であり、だからこそ、「教育内容に対する国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請され」、子どもの学習権を確保するためにも、教師の自由な創意と工夫の余地が確保されなければならないのである。教師に対し国歌斉唱やピアノ伴奏を強制することは、結局のところ教師の自由な創意と工夫を大きく阻害することにつながるものであり許されないと考える(当連合会2007年2月16日付け「公立の学校現場における『日の丸』・『君が代』の強制問題に関する意見書」、2010年3月18日付け「新しい学習指導要領の問題点に対する意見書」)。】

 菅直人首相に民主党の女性議員約20人がネクタイをプレゼントしたことを伝えるスペースのあるマスメディアに、この会長声明を伝える自由はあるのだろうか…。その自由がないことの原因を断ち切ることを、東京地裁の裁判官は願ったのではないだろうか?

 あなたに、伝える自由はありますか?


東京地裁判決全文→http://www.news-pj.net/siryou/2006/tokyo-chisaihanketu_060921.html 






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