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新湯温泉の歴史(1)

2005-10-10 | 北海道一泊二日旅行と九州温泉三昧
「霧島新燃荘」で「新湯温泉」について新聞や雑誌に掲載されたコピーを綴じたものを貰いました。いわばこれが宿と温泉のパンフレットというわけです。部屋に戻って目を通していると、温泉の効用書きとともに綴られているのは、先程フロントに座っておられたご主人の岩元静夫さん(大正10年生まれ、84歳)の波乱万丈な半生記でした。感動モノなので二回にわたってまとめてみました。


【新湯温泉の由来】
新湯温泉の歴史は明治12年に遡り、神のお告げに従ったハンセン氏病患者の高窪豊造氏が新燃岳の中腹の小川を堰きとめた温泉に入浴し、病状が快方に向かったことで、その効能が世に知られました。以降、西日本に住むハンセン氏病患者がこの温泉を詣で湯治を行ない、最大で数百人の患者が集まったといいます。
それから10数年後に、鹿児島県国分市の松元モト氏が湯守として管理、その結果(「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」の如く)ハンセン氏病患者は温泉から締め出され、皮膚疾患専門の湯治場となりました。
その後明治34年、谷山村の羽月氏が温泉を譲り受け、後を継いだ一子国雄氏が昭和初期に自炊棟、宿泊棟を増築しました。戦後の昭和26年、羽月氏が新湯温泉の権利が売りに出され、現主人の岩元さんが、120万円でこれを購入、温泉宿の経営に乗り出しました。


昭和26年当時の「新湯温泉」

【ご主人岩元さんの「男の半世紀」その1】
日吉町の貧しい小作農の長男として生まれた岩元さんは、小学校に弁当を持っていくのもままならない生活で、父親の借金返済のため、14歳から日雇い労働や瓦工として働き、5年間で全額返済。しかし過労ゆえに結核を患う。病気から回復してからは、自作農、警察官を経て、瓦工場の工場長の仕事に就きます。時はまさに戦後の復興期で、建築ブームに乗って、一財産を築きます。新湯温泉が売りに出される前に、皮膚病の湯治が縁で岩元さんはこの白いお湯の効能を体感していました。まさしく温泉力を信じて温泉経営に賭けたのでした。
昭和27年には、九州大学医学部の樋口謙太郎教授らが新湯温泉を訪れ、湯治客による臨床試験と泉質の調査を行い、結果を学会で発表。皮膚病に効果がある日本有数の温泉との評価が報道されたことで、訪問客が急増しました。ところが、好事魔多し。軌道に乗ったかに見えた温泉経営でしたが、昭和29年に来襲した台風5号のもたらした豪雨の影響で裏山が崩れ、温泉は全壊してしまうのでした。宿泊客と従業員計九名が土砂の下敷きになり尊い命を失います。この中には、20歳になったばかりの岩元さんの実妹・道子さんも含まれていました。
(つづく)


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