2011年01月10日

「TAK」さんは、ずっと昔は研究者で、博士課程に在籍したり、研究所で働いたこともあります

ただ、ひとつのことを深く研究することは、自分には向かない、と気付きました

研究は、「TAK」さんよりも好きな人、得意な人にお願いして、

自分はそれらの研究成果を実用化に活かしたり、いろいろな研究のネタを融合して思いもかけないことにつなげる、

産学官プロデューサーをすることにしました

学位も修士を2つ持っていますが、博士の学位は、何度も勧められましたが、取得していません


なんて考えていたら、MITのMBAを修了されたLilacさんのブログ

を見つけました


研究者か?実務家か?と考えている方には参考になると思いますので、抜粋して紹介します


就活中の大学生とかに「何で研究者やめてコンサルに来たんですか?」とよく聞かれる。

私は物心ついたころから科学者になりたい、と思っていた。小学1年のころから、周囲の子とファミコンで遊ぶより顕微鏡を覗いたり、化学実験をしてる方が好きな変なガキだった。


時には利根川進目指して生物化学者を志したり、アインシュタインに憧れて物理学者を目指したりと、なりたい科学者の種類は色々ぶれたが、科学者になりたいという気持ちは変わらなかった。

だから何の迷いもなく、大学では理学部に進学し、そのまま大学院に進学した。ところが、大学院に入るかくらいの頃から状況が変わってきた。


私がいた分野では伝統的に毎年全国の院生400人程度が数日間泊りがけで行う若手の会の運営委員のリーダーをやることになった。

このリーダーの大切な仕事のひとつが、全国の関連研究所や企業に、若手の会の意義をプレゼンし、協賛金を頂いてくる仕事だった。

私は昔から面接やプレゼンの類は得意で、ここばかりは本領発揮だった。

ある研究所の所長氏は、私のプレゼンに感動して、研究所全体で活動を支えると満額以上の回答を下さった。

色々あったが、この若手の会自体は大成功にて幕を閉じた。


本業である勉強や研究はほとんど進まず、自分の研究者としての能力を何度も疑った。

研究者になりたい自分にとって企画運営やプレゼンの能力よりも、研究を進める力が欲しかった。

見つけた研究テーマも、研究室の方向性と合わないから、という理由で何度か教授に却下された。

そして何とか博士課程に進学した。


学科には、それなりに成果も出しているのに、ポストにつけないままに35歳を過ぎ、先のポストが無いポスドクの先輩が何人もいた。

「大学院重点化」および「ポスドク1万人計画」の第一世代だ。研究が進まずにうつ病状態の友人や、自害する先輩・後輩すらいた。

これが日本の最高学府で、最も優秀だといわれる人たちが行く分野なのかと思った。

もちろんそんな状況でも、才能を世界に羽ばたかせたり、若いのに助手になったり、優秀な学生はたくさんいた。

私の周囲は皆優しく、研究室は楽しかったが、私は妥協した研究テーマ自体に既に興味を失っていた。


人生は一度しかなく、いつ死ぬかもわからない。

だったら、自分が組織運営や経営に興味があるなら、今それがやれる職業に就くべきじゃないか。

メーカーの企画や経営の分野を考えた。

博士中退者を取るかどうか、日本のメーカーに問い合わせたが全滅だった。

「博士卒業してからなら採用を考えますが、研究職ですね」と言われた。


そんなころ、今勤めているファームから説明会の案内があった。

ずばり「理系研究者の将来を考える」という内容だった。

日本の科学技術分野には優秀な人が多いが、企業の戦略や組織がうまくなく、人を生かしきれていないという問題意識は、大学にいた私も持っていたものだった。

そういう日本の組織を内部から変えようという人がいて、その動きを外部から手助けするのがコンサルティングだというのは、なるほどと思った。

よく「外から変えるのがコンサル」という人はいるが、内部が連携せずに外からだけで変えられるわけがなく、この「手助けする」という謙虚さに真実味があると思った。


中途のような形で採用試験を受け、面接を受け、即採用になり、2ヵ月後に博士課程中退で入社した。







「TAK」さんstakeid at 20:23│コメント(0)トラックバック(0)このエントリーをはてなブックマークに追加

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