何やら、部長がブツブツ言っていますヨ。「オイオイ、独り言とは、何かあったのかい」。「次郎さん、ちょっとしたことだが、気になることが、どうも増えているような気がするんだが…」。同じようなこと、アタシも気になっていたんです。「最近のシト、横断歩道を渡るとき、全くクルマを気にしないでいるようなんだが、危ないというより、怖いように思うんだ」。本当に多くなったようですよ、そんなシト。

 もっと気になるのは、赤信号でも平気で渡ってしまうシトがいることです。考えすぎかもしれませんが、轢(ひ)かれてもいいといわんばかり。クラクションでも鳴らしたものなら、キッとにらみつけるようにして、轢くならひいてみろと言わんばかりの形相のシトもいますワナ。「確かに、横断歩道を歩いている、イヤ、どんな道路でも、そこを歩行者が歩いている限り、ゼロ・100で自動車の過失になるのは分かる。しかし、携帯を操作しながら、あるいは、前も横も後ろも斜めも、全然見ないで渡るシト、ちょっとヒドイんじゃないかア」。部長の言う通りですヨ、あまりにも身勝手な、何か、勘違いがあるようですゾ。

 「そうそう、それはオバサンの世界もそうよ。回りに配慮するどころか、もう、数人集まったら天下無敵。電車の中では最悪よ。狭いところにお尻をねじ込むようにして座り、横の人をにらみつけるなんて序の口。大笑いで話すのでたまりかねて席を立つと、『ああ、やっと席を譲ってくれたわよお! 年寄りは大事にしなくちゃね!』って、これまた大声でこれ見よがしで言うのと同じ。アタシもそんな現象が増えているように思うの。最近、やはり変なのよ」。多少のことなら屁の河童のお局が心配しているくらいですから、大人の身勝手な行動、考えなくちゃいけませんヤネ。

 「大体、身勝手な行動の裏返しには、誰かが責任を取り、自分には責任がないという気持ちがあるのじゃないのかなあ。だから、例え自分が事故にあっても、何かを言われても自分のセイではないと、勝手に決めているフシがあるようだぜェ」。部長の言うように、何かあっても、どうせ誰かが何とかしてくれるという、期待というより、むしろ、責任転嫁と言った方がよいくらいの風潮が根底にあるのではないでしょうか。

 アタシ、誤解を恐れずに言わせてもらいますが、近頃、肝心なことを、自分で決めるということがなくなってしまったように思うのですヨ。例えば、国際的な問題にしても、この国のトップが毅然と決めるのではなく、地方の、それも出先機関の担当者が勝手に決めたこと、そんなことを言うようじゃあ、相手国になめられるのも仕方ありませんヤネ。

 企業のトップもそうですヨ。社長なら、企業で起こるすべての事象の責任は、全部、社長の責任でしょうが。それを、社員のセイにして、その首を取ればそれでオシマイ。それを見ている社員はたまったもんじゃありませんヤネ。責任を取らねばならない者が、責任を取るという立場に置かれていること、それ自体を自覚できないなんて、まるで、赤信号の横断歩道を身勝手に携帯操作しながら歩いているのと同じじゃありませんか。

 一番、おかしいと思うのは、赤信号でも国際問題でも、警告や危機という意味では同じこと、そのまま進むと危険だというシグナルじゃありませんか。なのに、例え何かがあっても、結局は相手が悪い、あるいは、いずれは折り合えるだろうという身勝手な憶測があるようです。しかし本質は、赤信号も国際的な問題も、リスクが発生したなら、そこでしっかりと現実を見据えて、ルールにのっとって、解決を図るということではないでしょうか。

 誰かが、穏便に済ましてくれると、事故が発生したときの交渉代理付きの保険会社まかせや、ノー天気な外交政策では、相手の術中にはまるだけのことですヨ。要するに、危機に際しては、そこで立ち止まり、しっかりと決めることを決めるという、チカラが今、必要ではないでしょうかねェ。戦後、何十年も米国という国と折り合いを深め、何があっても安全保障の同盟関係がある、それはそれでいいのかもしれませんが、肝心かなめの、自国で決めるチカラを他国に依存してはいけません。もしもそれが、アタシも含めて国民にも伝搬してしまったのなら、今からでも遅くはありません、ちゃんと戻さなければみんな変になっちまいますヨ。

 赤信号はちゃんと止まって青信号になるまで待て。そして青信号になっても、周囲をよく見て、自分の身を自分で守るために、自分の判断で注意しながら、自分で渡れ!ふうっ、ちょっと興奮してしまいました。ごめんなさいな、悪気はありませんヤネ。

 …お局もいいヤツですよ。「次郎さん、そんなことで怒っても仕方ないわよォ。さあさあ、怒りをおさめに行きましょ! いつもの赤提灯。今夜はアタシのオゴリよ」。てなわけで、参りましょう、いつもの赤提灯。

 飲むほどに酔うほどに…。オゴリでも、そう簡単にはおさまりませんヨ、この怒り。「次郎さんがこれだけ怒るの、久しぶり。何か、見直しちゃったワ。怒った顔の次郎さんて、ちょっとステキ」。そう言われて、急に和むアタシも情けないですが、まあ、いいでしょう。今夜はパッと、楽しくのみましょうや、と思いながら…。

 「でも、よく考えるてェと、次郎さんがそこまで怒るのも分かるんだ。最近、本来なら人間が決めなくちゃいけないようなことも、コンピュータやシステムがちゃんと決めてくれるから大丈夫、そんなことが増えたナァ」。部長が言うのを受けるように、「実はボクもそう感じることがあったのです」。アスパラがボソッと話します。「この間も、システムのことで業者さんと話していたら、『何があっても、システムは安定して稼働しますから安心してください』って、真顔で話すもんですから、貴社のご担当がもしも間違ったり、故意にシステムを破壊したりするようなことがあったときにはどうするのですかって聞いたんです。そしたら、『それは絶対にありません』って言い切るんです。ですから、そうそう、部長が見た映画、ボクも見たものですから、その話をすると、『それは映画で、現実ではありません』って、本当にイザということを考えていないんです」。「そうか、アスパラも見たのかあの映画、よかったよナァ」って、見たかどうかじゃなくて、ちゃんと考えるチカラのことですヨ。

 O君は冷静です。「中国では、赤信号だろうと、青信号だろうと、歩行者は自己責任で道路を渡りますし、自動車は自動車で、もしも歩行者を轢いてしまったら、絶対に自分は悪くない、歩行者が全面的に悪いと、そりゃあ本気で言いますよ。どちらも自己責任なんです」。う~ん、分かりやすい例えですナ。

 お局も、「次郎さん、アタシも含めて、何だかんだと言いながら、この国に住んでいるうちは、自己責任で住んでいるわけだから、何があってもしようがないでしょ。嫌なら、移住、どこかいい国に移り住めばいいことよ。アタシ、海外暮らしが長かったから、そう思うの。えっ、じゃあなぜ今、日本に住んでいるのかって? 簡単よ。今のところ、居心地がいいから、それだけよ。これ以上バカなことが続き、我慢できなくなったら、サヨナラよ。それだけのことだわ」。

 「せ、先輩、それじゃあ国民として冷たくはありませんか」。アスパラが聞くと、横からO君が、「先輩の意見に賛成です。中国人も同じです。違うとすれば、中国人は最初から、国家というより、親戚とか友人の方を信用しているし、危機のとき、一番チカラになってくれるのです。これは失礼かもしれませんが、どうも日本人は、そのあたりがちょっと弱いんじゃないですか」。う~ん、耳が痛い話ですが、外れてはいませんゾ。

 部長も、「そうだなあ、日本じゃ兄弟は他人の始まりなんていうし、まして親戚関係なんざァ、薄れちまったよナァ」。O君も、いいこと言いますヨ。「いずれにしても、今まで問題がなかっただけで、これからいろいろな問題が発生するのですから、次郎さんが言うように、赤信号になったときはちゃんと止まって考えればいいのですよ」。

 それを聞いたお局、急にニコニコしながら耳元でヒソヒソと、「そうよ次郎さん。事情が変わった時にはそこで考えればいいのよネ。実はアタシ、お財布を忘れてしまったの。危機よ、危機。赤信号はちゃんと止まらなくちゃね。だから、今夜はお願い」って、おいおい話が違うだろうが…。

 さてさて、漫画の話です。どうやら、次回からは漫画になりそうですよ。最初はプロローグ。登場人物のご案内ですよ。一体、みんなどんなツラして出てくるのか、おっ楽しみにぃ~。あっ、それから、漫画にすれば費用もかかるのに、本当に大丈夫かと、ご心配もいただきましたが、大丈夫。続かなければごめんなさい、それだけの話です。でも、一生懸命書きますし、文章版のファンの方にお叱りを受けないように、1週間後には文章版に置き換える、なんてことも考えているんですヨ。どうぞお付き合いくださいネ。では、佐々木次郎の言えない大事、これからも隅からすみまで、ず、ずい~と、おん願い奉りまするぅ~。デンデン。