「成功する自転車まちづくり」オプショナルツアー(2)

京都ろじ裏散歩(続き)


 昨日に引き続き、自転車ツアーの体験記です。

琵琶湖疎水



 


 さらに北上し、丸太町通りの手前、冷泉通りから疎水沿いに入った。
 第三代京都府知事の北垣國道の銅像が見える小公園で小休止。舟溜りと夷川発電所が美しい。


 ここで琵琶湖疎水のお話を聞く。
 琵琶湖と京都を結ぶ舟運の開設は平清盛豊臣秀吉も考えたが出来なかった。
 江戸遷都のあと、意気消沈していた京都を元気にしようと官選知事である北垣國道が一念発起し、当時のお金で125万円をかけて完成させた。
 これは、今でいえば1兆円。関西空港と同じぐらいの規模の大規模公共事業だったことになる。


 大津と京都の舟運は1日100回に達し、また蹴上げには日本初の水力発電所も完成。市電の動力ともなったことは著名だ。
 目の前にある夷川発電所は少し遅れて作られた。


 また船だまりは、昔は水泳講習会などが行われていたという。僕は泳いでいる人を見たことはないが、写真の保育園からの眺めはきっと良いに違いない。

平安神宮



 


 ここも江戸遷都により沈滞した京都を盛り上げようとして行われた第四回内国勧業博覧会のパビリオンを転用して神社にしたものだという。


 全体が大内裏とその周辺を模してつくられており、写真の門も本物の八分の五の大きさだという。あまりに立派なので、是非、残そうという話になって、それなら神社にしてしまおうとなったという。桓武天皇孝明天皇を祀っている。


 平安神宮が明治以降に作られたこと、博覧会に関係していたことは知っていたが、建物が立派だからと神社にしてしまったとは知らなかった。明治の人のいい加減さはなかなか良い。


 ガイドさんは中の無駄に広い空間も大内裏を模したためと説明していた。


 また毎年行われる時代祭の説明もあった。男衆はイマイチで、西郷さんなのに痩せていたりとイメージへの配慮が足りないとの厳しい指摘。たいして女性陣は芸妓舞妓さんが参加しているので綺麗な人が多いらしい。


 ただ、参加者の辻堂さんによると、あまりにゆっくり、ゆったり進むので、見ているとイライラしてくるそうだ。見るなら御苑や平安神宮など広い場所がお勧めとのことだった。


 なお、内国勧業博覧会は、大内裏があった千本丸太町のあたりでの開設が目ざされたが、用地取得に失敗し岡崎で開催された。その岡崎は京都の公的な文化施設の集積地になっている。


 建築の人にはなじみが深い京都会館の修繕も決まったようで、市では公園内でのレストランの営業等の規制緩和をもとめて特区申請をするようだ。


 できれば創造界隈にしたいのだろうが、昔、岡崎にあった京都市立音楽短期大学が出ていってしまったのは、いかにも惜しい。上野公園のように芸大があれば、と思うのは僕だけだろうか。

白川



 


 岡崎公園から白川に沿って祇園に向かう。
 白川は一部、ホントに綺麗な箇所があるのだが、自転車が止めにくいからか素通りしてしまったのは惜しかった。
 写真は三条を南に下がったところ。


 説明では、そばにある花風という舞妓着付け屋さんが、本格的で、一度は体験する価値があるという。男でも体験できるらしい。

路地を通って祇園新橋



 


 白川から離れて祇園に向かう。
 僕も通ったことがない道に入っていく。
 そして路地の中に。
 途中に折れ曲がりがあり、その先に視界が開けると、そこは祇園新橋だった。

祇園新橋



 
 


 祇園新橋の白川はさすがに美しい。
 裏手にある祇園新橋の伝建地区の街並みを外国人も自転車で楽しんでいた。


 その街並みを眺めながら、お茶屋さんの説明を聞いた。京都の町家は2階の背が低く虫子窓が付いているタイプが多いが、お茶屋さんは総2階タイプになっている。というのも2階は舞妓芸妓さんを呼んで楽しむための空間だからだという。


 またどの町家にも簾がかけられている。昼間だと外から中は見えないが、中から外ははっきりと見えるという京都らしい設えだ。
 昔は火事のときに水につけて防火にも役立てていたとの話だったが、本当だろうか?。


 ところで、舞妓さんを二人も見てしまったが、これが変身舞妓かどうかが話題になった。
 昼間から撮影をしているのは、99%が変身舞妓さん。さきほどの花風も、変身と町なかでの撮影をセットにしたサービスもある。


 一時期、変身舞妓が自由気ままに町なかを濶歩していたが、舞妓さんの格好をしてヤンキー座りをしてタバコをふかすといった極端な例もあって、必ずお店の人が付くようになったと別の人から聞いたことがある。ちょっと出来すぎた話なので本当かどうかは怪しいが、京都人の変身舞妓への眼差しが伺えるエピソードだと思う。


 この舞妓さんの世界。ガイドさんによると着物代や教育費用は置屋のお母さんが持ってくれるが、年季明けまでは花代はお母さんが全部取ってしまううえに、やる気を見せるためにも言いつけには逆らえない厳しい世界だそうだ。


 上七軒のフォーラムでは、朝から行儀作法やお稽古ごとに明け暮れるという話を聞いたことがある。ただ、昔と違い、今では、地方から花嫁修業代わりに出てくるお嬢さんも少なくないそうだ。年季奉公という世界とは様変わりしているようだ。
 たいして芸妓のなり手はどんどん減っている。


祇園新橋



 


 路地に入って町家の説明を聞く。
 隣の町家とすき間がないこと、だから坪庭や通り庭が設けられていることなど、など。


 ところで辰己大明神の横に自転車をとめて散策していたのだが、セミナーの後の交流会で、景観への配慮が足りないのではないかと指摘されていた。


 たしかに人びとが風景を楽しみに来ている場所に、自転車をいっぱい置くのは無神経かもしれない。

続く

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