【コラム】教授になれれば、幸せなんだろうか?

アカデミアの世界では、みんなが教授を目指して頑張っている。
何故、教授になりたいかというと、一義的には誰にも命令されず自分の好きなことをしたいからだ。

但し、日本以外ではこの目的は教授にならなくても達成できる。

こういう立場を英語ではprincipal investigator、略してPIと呼ばれるが、職務の階級を
教授 > 准教授 > 助教 とすると、
アメリカ・欧州だと助教の時点ですでに独自のプロジェクトを独自の予算で持てるようになっている。年齢的には30代前半くらい。
日本だと教授にならなければ無理。年齢的には早くて40代前半くらいか。30代で教授になる人もいるが稀。

最近では理研など独立研究機関でPIに相当する独立職が用意されているが、学部と切り離されているため学生が来ない問題を抱えている。

昔は研究者を志向している人の人数自体が少なかったので、丁稚奉公で教授に仕えていると例え同じ教室を継げなくとも自然と他所のポジションが用意されていた。
ただ真面目にやっていれば、そのうちどうにかなる世界だったのだ。

ところが、ポスドク1万人計画で、一気に競争社会になった。それはそれで良いことなのだけれど、実際は昔通りの丁稚奉公を優先する体質が半分残っているため本来の自由競争になっているポジションは半分あるかないかで、残りは出来レースになっている。
とはいえ、じゃあ、コネで教授になった人の業績がしょぼいかと言えばそうではなくて、ギリギリなれなかった人とどっこいどっこいである。

結果、昔の教授に相当するような業績を持った人がうじゃうじゃいるけど、日本で教授になれる人はごく少数で、残りは別の職に就いたり、海外でPIになったりしている。

こういう状況に出来レースの教授選を責める人もいるけれど、やはり人間関係は組織を上手く運営する上で重要なのでなかなか難しい。

じゃあ、日本はそういう人向けに新たにポストを用意すべきなのか?というと、経済的にそんな余裕は全くない。
それに実は給与的にはそれだけのポジションは用意されている。それが、准教授と助教だ。
日本では教授のための使いぱっしり的に使われるポストで、業績や学位に関係なく与えられている。

このポジションを独立職にするだけで、アカデミアの生産性はかなり上がるはずである。

さて、本題。仮にそんな風になったとしても、教授になれれば、幸せなんだろうか?

自分のラボだから、権力はある。最終的な判断は全部自分だ。予算も全部税金だからどんなに無駄遣いしてもある程度業績がでていれば関係ない。
但し、現場で新たな事実を発見した喜びはなくなる。何故なら、その仕事はマネージメントとなり、実験はほとんどしなくなるからだ。
当然、ピペットを握っていないから勘所はどんどん鈍ってくる。それでも自分の過去の勘を信じて、強気に命令していると、どんどん部下の心は離れていく。
下からの提案を適切に判断する力が必要になってくるわけ。野心的なテーマに冒険しない手段と方法で取り組むという相反するアプローチを取らないと生産性は高まらない。

私の今のボスと2番目のボスは出来ていたけど、これが出来る人は本当に稀だ。
これが出来るなら幸せだろう。
何故なら、ラボの生産性が上がって、部下から強い信頼と尊敬を受けられるからだ。

一方、そうでない場合、というか、ほとんどがそうじゃないんだけど、どうなるだろうか?
部下の進言に耳を傾けないボス。回りは先生先生という業者の人だけ。もちろん、彼らは自分が辞めたら一切近づいてこない。
同じ教授同士でも、お互いに仕事のやり方に関しては深く関与しない。
偉そうにしているのと、大学にこもっているのでほとんど友人がいない。
必死で頑張れば頑張るほど、家族サービスはできなくなるので、家族からも冷たく扱われる。
残っているのは、業績だけ。
世界中に何十万何百万とある論文のうちのどんなに多くてもせいぜい0.1%。しかも、本当に人類の未来に貢献している仕事はほとんどない。
今の50代後半くらいまでは今まで通りびっくりするような年金を貰えるけれど、その後はどうなるかわからない。

これが現実だ。


あなたは正月でも、何でもないときに(元)上司の家を訪ねたりするだろうか?
うちの祖父は教授だったけれど、退官して30年経っても家にお弟子さんが遊びに来ていた。
私自身も、そうしている元ボスはいる。

ほとんどの科学者が、教授になることを目指しているけれど、辞めた後のことはイメージ出来ていない。
ラボでどんなに偉そうに出来ても、ある年齢に達したら、所詮雇われ職員なので一切の権限がなくなる。
教授でも何でもない。一人の老人に対して、社会はどう接するだろうか?誰が声をかけてくれるだろうか?
答えはいくつかあるけれど、教授という職に関係しない多様なライフスタイルを持つことが肝になるだろう。

実はこれ、教授という部分を部長に換えてみれば、一般会社員にも通じる話だ。