東海道新幹線で東京に帰ってくると、あと数分で到着という頃、左の車窓から「宮崎牛」の3文字が目に飛び込んできます。ビルの屋上に毛筆体の縦書きで、ただ「宮崎牛」とだけ。そこに宮崎の誇りを感じていましたが、今回の口蹄疫騒動のさなかには、痛ましい思いで看板の健在を確かめたものです。宮崎の口蹄疫については、これまでしつこく書いてきました(こちら「『旦那様のお出ましーっ!』 殺処分に思う」(5月21日)と、こちら「口蹄疫は治るのに、『しめしがつかないから種牛も殺処分』の意味」(5月26日)と、こちら「宮崎の家畜はなぜ殺される」(6月4日))。それは、この看板をいつも見ていたことで、他人事(ひとごと)ではないとの思いが心の底で育っていたからなのかも知れません。
18日、宮崎・高鍋町の薦田さんの種牛6頭がついに殺されてしまいました。ところがここへきて、口蹄疫は軽い、ありふれた病気で、これまでも牛たちは罹ったり治ったりしてきたことが、じつは国の検査でとっくのとうにわかっていた、ということがバレてしまいました。
いくつかの検査法のうち、これまで国はウイルスの有無を調べるPCR検査の結果しか明らかにしてきませんでしたが、抗体検査もしていたこと、あちこちの牛から抗体が発見され、それはいつどこからの感染によるものか一切わからないし、このたびの感染防止のためなら殺処分する必要もないのに、全頭殺処分の方針で突っ走ってきてしまった、だから抗体検査はしていないことにしていた、するとしても、そのやり方は疫学の常識を踏まえていない、というのです。
詳しいことは、以前もご紹介した原田和明さんのメルマガをお読みください。原田さんの連載は、すでに10回を重ねています。これらを読むと、いかに国の対策がデタラメか、よくわかります。10回目だけでもぜひ(こちら)。
口蹄疫がありふれた、軽い伝染病なら、なぜこんな大騒ぎになったのでしょう。それは、日本は口蹄疫の清浄国で、よそから入ってこない限り、ウイルスは国内にはまったく棲息しないことになっていたからです。清浄国かどうかはその国が宣言するという国際ルールに、まず首を傾げたくなりますが、つまり口蹄疫清浄国というのは、事実に反して日本が、具体的には農水省の官僚が、勝手にそう言っていただけなのです。
そのとんでもない嘘をつき通し、官僚の無謬性を守り通し、農政の一貫性をむりやり押し通すために、3カ月前に突然、口蹄疫を中央官庁が見つけたことになってしまったので、いちおうA牧場が輸入した水牛がウイルスのキャリアーだったらしいことになっていますが、とにかくどこからか口蹄疫ウイルスが新たに国内に侵入して「宮崎限定で」猛威をふるったことにして、30万頭近くもの宮崎の牛や豚を殺しまくった、そんなホラー犯罪じみた真相が浮かび上がってきました。「宮崎限定」とカッコに括って強調したのは、口蹄疫が鹿児島県との県境を1ミリたりと越えなかった不自然さがこの騒動の恣意性を感じさせ、騒動全体を限りなくアヤシクしていると思うからです。けっきょく、国家は家畜の移動制限解除延期という強権発動をちらつかせて、農家でも畜産でもなく、霞ヶ関の官僚機構を守ったのです。
新型インフルエンザ(私は香港型、ソ連型のように、もういいかげん「アメリカ型」と呼ぶのがいいと思っていますが、なぜかそうはならない!)騒動の時、国の施策をきびしく批判した現役の厚労省検疫官、木村盛世さんのことは、記憶に新しいと思います。感染症疫学が専門の木村さんが、口蹄疫騒動は新型インフルに次ぐ第二の官製パニックだ、効果も定かでないのに殺処分が自己目的化している、と指摘しています。ブログで疫学の考え方をとてもわかりやすく解説してくださっているので、ぜひお読みください(こちら)。
水際作戦だ、深夜の大臣会見だと、官僚も政治家も空しいパフォーマンスに走ったあの時、それに鉄槌を下すために木村さんを国会に参考人招致したのは、当時の野党、民主党ではなかったでしょうか。今回はなぜ、民主連立政権は木村さんに所見を求めないのでしょう。民主連立政権では、官僚ではなく政治家が政策を決定するのではなかったでしょうか。木村さんのような、官僚機構の権力ピラミッドに跪くことなく、是々非々で物を言う優秀な官僚に、その力をいかんなく発揮していただいて。なのに、現実はそうなってはいません。なにが政治主導だ、政権交代してますます官僚支配が強まっているではないか、と言いたくなります。
また、木村さんは口蹄疫のことでマスメディアに登場なさっているでしょうか。私は寡聞にして知りません。もしも、新型インフルの時よりも木村さんのメディア発言が抑えられているとしたら、なにか裏を感じざるを得ません。
木村さんによると、オランダはこのたびの宮崎の惨状を見て、今後一切、口蹄疫に罹った家畜は殺処分しない、と宣言したそうです。宮崎を犠牲にして、日本の官僚機構は権力を温存し、オランダは貴重な教訓を引き出しました。彼我のあまりの違いに、しろうとは天を仰ぐしかありませんが、このたびの口蹄疫騒動、国は信頼できる専門家に依頼してきっちりと検証し、情報をつぶさに開示するべきです。その専門家チームには、もちろん木村盛世さんも参加していただきたいと思います。
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18日、宮崎・高鍋町の薦田さんの種牛6頭がついに殺されてしまいました。ところがここへきて、口蹄疫は軽い、ありふれた病気で、これまでも牛たちは罹ったり治ったりしてきたことが、じつは国の検査でとっくのとうにわかっていた、ということがバレてしまいました。
いくつかの検査法のうち、これまで国はウイルスの有無を調べるPCR検査の結果しか明らかにしてきませんでしたが、抗体検査もしていたこと、あちこちの牛から抗体が発見され、それはいつどこからの感染によるものか一切わからないし、このたびの感染防止のためなら殺処分する必要もないのに、全頭殺処分の方針で突っ走ってきてしまった、だから抗体検査はしていないことにしていた、するとしても、そのやり方は疫学の常識を踏まえていない、というのです。
詳しいことは、以前もご紹介した原田和明さんのメルマガをお読みください。原田さんの連載は、すでに10回を重ねています。これらを読むと、いかに国の対策がデタラメか、よくわかります。10回目だけでもぜひ(こちら)。
口蹄疫がありふれた、軽い伝染病なら、なぜこんな大騒ぎになったのでしょう。それは、日本は口蹄疫の清浄国で、よそから入ってこない限り、ウイルスは国内にはまったく棲息しないことになっていたからです。清浄国かどうかはその国が宣言するという国際ルールに、まず首を傾げたくなりますが、つまり口蹄疫清浄国というのは、事実に反して日本が、具体的には農水省の官僚が、勝手にそう言っていただけなのです。
そのとんでもない嘘をつき通し、官僚の無謬性を守り通し、農政の一貫性をむりやり押し通すために、3カ月前に突然、口蹄疫を中央官庁が見つけたことになってしまったので、いちおうA牧場が輸入した水牛がウイルスのキャリアーだったらしいことになっていますが、とにかくどこからか口蹄疫ウイルスが新たに国内に侵入して「宮崎限定で」猛威をふるったことにして、30万頭近くもの宮崎の牛や豚を殺しまくった、そんなホラー犯罪じみた真相が浮かび上がってきました。「宮崎限定」とカッコに括って強調したのは、口蹄疫が鹿児島県との県境を1ミリたりと越えなかった不自然さがこの騒動の恣意性を感じさせ、騒動全体を限りなくアヤシクしていると思うからです。けっきょく、国家は家畜の移動制限解除延期という強権発動をちらつかせて、農家でも畜産でもなく、霞ヶ関の官僚機構を守ったのです。
新型インフルエンザ(私は香港型、ソ連型のように、もういいかげん「アメリカ型」と呼ぶのがいいと思っていますが、なぜかそうはならない!)騒動の時、国の施策をきびしく批判した現役の厚労省検疫官、木村盛世さんのことは、記憶に新しいと思います。感染症疫学が専門の木村さんが、口蹄疫騒動は新型インフルに次ぐ第二の官製パニックだ、効果も定かでないのに殺処分が自己目的化している、と指摘しています。ブログで疫学の考え方をとてもわかりやすく解説してくださっているので、ぜひお読みください(こちら)。
水際作戦だ、深夜の大臣会見だと、官僚も政治家も空しいパフォーマンスに走ったあの時、それに鉄槌を下すために木村さんを国会に参考人招致したのは、当時の野党、民主党ではなかったでしょうか。今回はなぜ、民主連立政権は木村さんに所見を求めないのでしょう。民主連立政権では、官僚ではなく政治家が政策を決定するのではなかったでしょうか。木村さんのような、官僚機構の権力ピラミッドに跪くことなく、是々非々で物を言う優秀な官僚に、その力をいかんなく発揮していただいて。なのに、現実はそうなってはいません。なにが政治主導だ、政権交代してますます官僚支配が強まっているではないか、と言いたくなります。
また、木村さんは口蹄疫のことでマスメディアに登場なさっているでしょうか。私は寡聞にして知りません。もしも、新型インフルの時よりも木村さんのメディア発言が抑えられているとしたら、なにか裏を感じざるを得ません。
木村さんによると、オランダはこのたびの宮崎の惨状を見て、今後一切、口蹄疫に罹った家畜は殺処分しない、と宣言したそうです。宮崎を犠牲にして、日本の官僚機構は権力を温存し、オランダは貴重な教訓を引き出しました。彼我のあまりの違いに、しろうとは天を仰ぐしかありませんが、このたびの口蹄疫騒動、国は信頼できる専門家に依頼してきっちりと検証し、情報をつぶさに開示するべきです。その専門家チームには、もちろん木村盛世さんも参加していただきたいと思います。
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