最近、問題解決のための書籍を読みあさっている。
昨日読んだのはこれ。

問題解決のためのファンクショナル・アプローチ入門/横田 尚哉
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ファンクションとは、役割・効用・はたらき・意図などである。
人々は物や形でなく、ファンクションを求めている。

iPhoneを買う人は、iPhoneが欲しいわけではない。
iPhoneが果たすスケジュール管理という役割が欲しいのだ。
iPhoneが持つ情報収集という機能が欲しいのだ。

ファンクションを考える時の質問はこれだ。

これは誰のためなのだろうか?
これは何のためなのだろうか?

この思考法がファンクショナルアプローチだ。
物事の表面や形ではなく、本質を捉える思考法だ。


例えば、僕は今プレゼンテーションの本を何冊か読んでいる。
プレゼンテーション Zen/Garr Reynolds
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↑これとか。
本を読むことが目的なら、積み重ねる目標は「◯◯ページ読む」だ。
「1行読む」
「1ページ読む」
「1章読む」
これを積み重ねていけば、本を読むという目的は達成できる。

しかし、本を読むことが目的ではない。

何のために読むのか?

自分の勉強会を伝えるための、プレゼンテーション方法を知るために読むのだ。

だったら目標は、
「1章を読んでアナログ式に計画を練る」
「2章を読んでシンプルなデザインをひとつ選ぶ」
「3章を読んでデモンストレーションしてみる」

こうした目標を積み重ねていけば、プレゼンテーション方法を知るという目的は達成できる。

だが、もう一歩踏み込んで考えよう。

誰のために?

自分の勉強会に、初めて参加する人に、わかりやすく魅力を伝えてワクワクしてもらうためだ。そのために本を読み、プレゼンテーションを学ぶのだ。

ならば、目標にはこう付け加えられる。
「友人にプレゼンをしてみてフィードバックをもらう」
「すでに知っている仲間にプレゼンして感想をもらう」
「もらったフィードバックを元に改善する」


自分の勉強会の内容を伝えるというファンクションを満たすために、
プレゼンテーションを学んでパワーポイントを作るというカタチをとっているのだ。

ファンクションが満たせるなら、カタチは何でもいいのだ。

カタチにこだわるのではなく、ファンクションを見出す。

これは誰のためなのだろうか?
これは何のためなのだろうか?

勉強会にしても、仲間に幸せになってもらうという目的を果たすために、勉強会というカタチをとっているだけなのだ。
治療でも遊びでも、ファンクションが満たせるならカタチは何でもよかった。

勉強会を望まれたから、それがファンクションを満たすのに最適だったのだ。
カタチでなく、常にファンクションを考える。

問題解決、目標達成には、ファンクショナルアプローチが欠かせない。
カタチにこだわってファンクションを見誤れば、目指す目的が達成出来ないからだ。

本を読むことにこだわれば、プレゼンは出来ないだろう。
パワポにこだわれば、人に自分の思いは伝えられないだろう。

自分の勉強会の魅力をわかりやすく伝えるというファンクションを考えるから、
そこに辿り着くためのステップがわかるし、行動できる。


本質を見つけ、正しいステップを踏まなければ、真の意味で問題解決はしない。